2012年08月19日

原本現代訳54 蘭学事始 杉田玄白

古文は苦手なので江戸時代以前の著作には興味があってもなかなか手がでない。
そんな折、図書館で古文の現代語訳シリーズがあるのを見つけた。1980年代に出版された古い本であるが、中身をみるとまあまあ読めそうなので、試しに蘭学事始を借りてみた次第。

蘭学事始は杉田玄白が蘭学というジャンルを前野良沢や中川淳庵とともに始めたといういきさつからそれがどう発展していったかということが書かれている。オランダ語を日本人が本格的に学びはじめたのが吉宗の頃で、そのオランダの書物からいろんなことを学ぼうとはじめたのが蘭学というジャンルになる。有名な「ターヘル・アナトミア」の翻訳の苦労話は私も学生時代に聞いた覚えがあって、さらに、中川淳庵や桂川甫周などは「居眠り磐音」でおなじみだし、なんとなく親しみを持ちながら読んだ。
それにしても、オランダ語を学ぶということが最初はあまり推奨されていなかったということには徳川の慎重さがよく現れてるように思う。だが、権力を維持したいがために、新しいものを遠ざけるという方法はあまり感心しないなあなどとも思った。一方、玄白は平穏な時代に生まれて学問ができることにありがたみを感じでいて、この点については確かにそうだとも感じた。

この本にはほかに「形影夜話」というのが収録されてるが、こちらは玄白が宿直の折に書き付けた医師の心得のようなもので、公に出版されるのは書き付けた当時よりもだいぶあとなのだが、それ以前に筆写されて弟子などの間では読まれていたというこの著は、なかなか鋭いことが書いてあって面白い。
医者の仕事を孫子の兵法にたとえて物事の原理を知らないのは兵法を知らずに戦を経験だけで行ってる軍師のようだ、などと書いていたり、勉強と経験の両方をおろそかにしないこと、それから一番素敵だなと思ったのは、貴賎にとらわれずに患者が出たら手をつくすことを述べていることだ。自分はおべっかを使う気持ちがおこりはしないかと無用に高貴の人の家には出入りしないということも述べていて、こういう医者はいいねなどと思った。
蘭学事始 (教育社新書 原本現代訳 54)
蘭学事始 (教育社新書 原本現代訳 54)杉田 玄白 濱 久雄

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2012年06月01日

平家物語(上)(下) 講談社文庫

古典は学生時代から苦手だったが、全篇にふり仮名つきの講談社文庫でがんばって読んだ。現代語訳で読むという選択もあって、前に一度ダイジェストになってるのをざっと読んだことはあるけれども、これはがんばってもぜひ古文で読んだほうが趣があって面白い。
たとえば、教経が壇ノ浦で両脇に敵をかかえたまま沈んでいく場面、教養文庫のダイジェスト版では
「ええい、きさまら、この教経の死の旅の供をせい!」
という口語訳になっていて、彼の豪胆さというものが伝わってくるのだが、こちら古文のほうはというと
「いざうれおのれら、死出の山の供せよ」
というせりふになっている。ここには、豪胆さというよりも一抹の哀愁が漂ってきてなんとも私は涙が出そうになったのだった。
いや、口語訳というのは実に味気ないものだ。古文を読む前はこの物語で泣いたという昔の人をどこか醒めた目で見ていたのだけど、昔日は栄華を誇った平家は滅び、平家を追討して、絶頂にあった義仲や義経が一転追討される立場になり、まさに諸行無常の世界をこういう名調子で延々と語られると、確かに涙が出てきそうになるものである。
しかし、建礼門院が、後白河法皇に「私は六道を全部見ました」みたいな告白をするところなんざ、ほんとに泣きそうになる。まあ、凄い生涯だよなあ。彼女で大河ドラマつくるのもまた面白いのではなかろうか、などと最後に思った。
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2012年03月17日

お伽草子 ちくま文庫

どうも気合が入らない。したがってややこしいのは読めない昨今。そこで現代語訳のお伽草子を読むことにした。古文のは申し訳ないがとても読む気力がない。

この本に収録されてる話は全部で13篇。「文正草子」「鉢かつぎ」「物くさ太郎」「蛤の草子」「梵天国」「さいき」「浦島太郎」「酒呑童子」「福冨長者物語」「あきみち」「熊野の御本地のそうし」「三人法師」「秋夜長物語」である。
前半に載ってる話はどちらかというと仏教説話の色合いが濃くて、まあ、わたくし自己啓発の本とか読むの好きなのでそう思ってしまうのかもしれないが、「文正草子」なんかは物事は妥協するな、とか「鉢かつぎ」や「物くさ太郎」などは教養大切とかそんな自己啓発厨な発想ばかりしてしまう。そんな中その啓発厨が発動しない話が3つ。

まずは谷崎潤一郎訳による「三人法師」がとても良い。訳文に情緒があって、3人の法師が語る懺悔物語にほろりとしてしまうのである。
この話は江戸時代に出た「御伽草子」というシリーズ本には入っていないけれどもこの話はなんというか人間の哀愁が漂っている。
調べてみると中公文庫の「聞書抄」に収録されてるようである。ああ、この本持ってるけどまだ未読なのよねえ。

それから「秋夜長物語」(永井龍男訳)これはどうしても隠遁できない高僧が道心を堅固して欲しい祈念したときのお話。御仏ははどういうわけか、堅固とした道心どころか、煩悩の固まりにしてしまうんだけど、その恋物語に人間の情緒を感じる。最後、仏の方便とかいうのが出てくるけれども、まあそれはご愛嬌ということで。

そして、最後にすごいのは「福冨長者物語」(福永武彦訳)なんですか、この話は。山田風太郎あたりがなにか翻案してしまいそうな内容だし、筒井康隆の短篇に出てきそうなラストにぶっとびました。黄金仮面ですw
お伽草子 (ちくま文庫)
お伽草子 (ちくま文庫)福永 武彦

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2012年03月12日

空海コレクション2 ちくま学芸文庫

「空海コレクション2」では「即身成仏義」「声字実相義」「吽字義」「般若心経秘鍵」「請来目録」を収録。
密教では三密と呼ばれる教えがあるが、「即身成仏義」「声字実相義」「吽字義」はその教えについて述べているもの。「般若心経秘鍵」は大般若菩薩のさとりの境地を説いた密経と本の説明にあるが、十住心的にそれぞれの仏教の教えがそこに含まれているという解釈をしている。「請来目録」はそのタイトルどおり、空海が持ち帰った品物の目録と留学についての報告書である。

またもや現代語訳と注釈での青息吐息的読了なので適当な話になってしまうかもしれないが、この世界はどんなものも繋がっており、隔てるものなどないので、生きとし生けるもの実は仏のさとりに他ならないと自分は読んだ「即身成仏義」。愚かなことに即身成仏というとあのミイラ仏などをつい連想してしまうんだが、即とはもちろんすぐ悟れるよ、というのが密教の売りだから直ちにという意味もあるんだけど、この身に即して、ということらしい。だから煩悩の雲を払えば私たちは仏そのものなのだ、ということらしい。
また「声字実相義」「吽字義」では言葉や文字が表層の意味を表すほかに隠された象徴を表すということが主張されている。だから、浅はかな解釈では見えない世界の象徴が実は仏のさとりや教えそのものなのであるという。
ちょっと汎神論みたいではあるけれども、言葉をも含めたこの世界すべてが繋がっていて即仏の表れというのは実は私大好きである。
みんなが実は仏そのものなんですよ、とか言われたらそりゃ悪い気はしない。
そういえば、「徒然草」だっけ?馬の脚を挙げさせようとして「あしあし」と言ってるのを聞いた明恵上人が「阿字阿字」といってありがたがって泣いたとか(うろ覚えですいません)というのはきっとこのことを言ってるんだろうと思った。
空海コレクション 2 (ちくま学芸文庫)
空海コレクション 2 (ちくま学芸文庫)宮坂 宥勝

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関連:「空海コレクション1」
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2012年02月28日

空海コレクションⅠ ちくま学芸文庫

ちくま学芸文庫「空海コレクションⅠ」は「秘蔵宝鑰」と「弁顕密二教論」を収録。
前者は人の心を獣のような心からさとりへいたる心へ10段階に上昇していくとし、そこに各種の宗教を当てはめて解説した、宗教比較論のようなもの。後者は顕教と密教の違いをさまざまな経典から引用してその違いを論じたものである。
専門用語がえらく多くて、全く、私のような学のない人間にとってはその用語についていくだけでへとへとになるが、まあ、注釈と現代語訳のおかげで、おぼろげながらも読了することができた。
この2つの論はどちらも過去にかかれた膨大な経典の引用が多くて、それが妥当なものなのかどうかはさっぱりわからない。
ただ、こうした引用を多用して、空海が持ち帰った真言密教が、仏教の最奥の教えであると書き連ねているのを読んでいると、空海という人はなかなかにプロデュース能力の優れた人なのではないかと思う。
それはさておき、「秘蔵宝鑰」ではさきほど10段階の心の有様を述べていると書いたが、それを読んでいくと、人は目の前の事物に振り回されているのが獣のような心の状態で一番低く、だんだんに、目の前の事物がなんであるか、そしてその本質がなんであるか、というところへ気が付いていく様子が伺えて、ああ、さとりを開いてゆくということは、目の前の事物に振り回されなくなることなんだなあ、と感じた。それでも華厳から密教への跳躍はどうすればいいのか書いていない。ただ、華厳までのところは所詮哲学であり、密教はそれの実践であるということがほのかに述べられてるに過ぎない。
「限りない仏はわが心の仏である。大海の滴ほどもある無数の金剛部、蓮華部などの菩薩たちはまた、わが身である」(第十秘密荘厳心より現代語訳)
というところが密教の肝なんでしょうかね。
まあ、くわしくは密教をやってごらんなさい、ってところだったんでしょうか。
空海コレクション 1 (ちくま学芸文庫)
空海コレクション 1 (ちくま学芸文庫)空海 宮坂 宥勝

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2011年10月28日

五輪書(宮本武蔵) 鎌田茂雄訳注

文庫本1冊におさまる五輪書は意外と短い文章なんだなと思った。
中は一応自分用の覚書として書いておくと、二天一流の見方について書いた地の巻、型や構えについて書いた水の巻、戦い方を書いた火の巻、他流についてその欠点をのべた風の巻、最後に真実の道へ至る空の巻となっている。
水の巻については構えの具体的な形についていろいろ述べており、剣豪小説に出てくるような構えのシーンなどを思い浮かべながら読むと、門外漢も結構とっかかりがあって興味がつきない。
だが、日常生活において、参考になるだろうと思うのは、地の巻における大工のたとえと、戦うときの戦術を指南した火の巻だろう。
適材適所を見極めること、心理面で優位にたって勝負をものにするための方策がここには描かれている。
特に火の巻では先手を取るために相手の追廻方法や、膠着したときの打開策、とにかく先手をとれと武蔵は指南する。そのためには状況を的確に見極めできるようにしなければならないが、そのために鍛錬が必要だと説くのである。
また、武蔵がえらいなあと思ったのは型というものは決まっていないというところだ。状況に応じてそれは変わるものであるから、相対的なことはいえても絶対というのはないというところ、いたく同感。まったく、マニュアルは便利だが、マニュアル絶対主義は物事に弊害をおよぼす。
鍛錬。工夫。そのいわんとするところをよく味わう。五輪書の文末はそういう文言で埋まっている。目的を知ったらそれを工夫するのは自分なのであろうなあ。
五輪書 (講談社学術文庫)
五輪書 (講談社学術文庫)鎌田 茂雄

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2010年01月19日

南総里見八犬伝(十) 曲亭馬琴

岩波文庫版『南総里見八犬伝』いよいよ最終10巻目です。
177回から180回プラス回外剰筆。巻末に幸田露伴と内田魯庵の八犬伝に関する小文つき。
前の巻で道節が助友と戦いだしたが、その続きから。結局、その戦いの間に定正は逃げるが伏兵に捕まってしまう。
そんな調子で里見側は次々と城を占領して、捕虜多数。管領側の負けに終る。
で、戦後処理が始まるのだが、これがまた都合よく照文が京にいってて気を利かせてとりなしを頼むんだな。で、無事和睦したのち、八犬士と里見家のその後が描かれる。まあ、この巻はほとんど大団円に向けての記述ばかりなので、ちょっと退屈といえば退屈。エンディングがこんなに長くてよいのか、といった面持ちではあるが、やっぱりこんなに長く続いてきたから当時の人は結構楽しんだかな?
回外剰筆では目が悪くなったためにこの巻のほとんどにあたる部分が息子の嫁による代筆になったいうことを明かしている。加えてまた例のごとく版元のやり口(昔の作品を今の年に変えて売り出す)に苦言。まあ、人気作家は大変です。

巻末、幸田露伴の文は、八犬伝の人物像と当時の社会についての講演をまとめたもの。荒唐無稽に思える八犬士たちが当時の人々の「胸中」にあった人物像だ、ということを述べて、こういった虚構の話の本質を指摘している。明治時代には八犬伝は酷評されてたというのをどこかで読んだが、それは当時の新しい文学がリアリズムを目ざしていたからという時代背景があるのだろう。さらに時代は移り、リアリズムだけでない文学が当たり前になってきている現代では再評価されるのもわかる。

もう1つ内田魯庵の文は「ここが変だよ八犬伝」ではないけれど、私も突っ込みたくなったような箇所を突っ込んでくれてる。鉄砲のこととかw。
南総里見八犬伝〈10〉 (岩波文庫)
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2010年01月17日

南総里見八犬伝(九) 曲亭馬琴

岩波文庫版『南総里見八犬伝』9巻目
154回から176回まで。
毛野は先手を打って相手方に仕掛をしておいた。その役割に大角とヽ大法師が出かけたことは前の巻に見える。その仕掛は図に当たり、扇谷、山内側はみごとに引っかかった。
さて、戦場は3箇所、洲崎での水戦、行徳、国府台での2箇所の陸戦で、ここに犬江、犬村を除く6犬士たちが防禦使としてそれぞれ持ち場へ赴いて戦いが始まる。
松岡正剛の千夜千冊『南総里見八犬伝』というページでは鴎外がこの話を聖書に喩えたということを書いてるが、なるほど、聖書とはなかなかうまいたとえだな、と思った。
特に、この管領対里見の戦いにおいては、「まいた種はことごとく刈り取らん」じゃないけれど、仇敵、旧恩の全てに報わせるためなのか、馬琴先生は対峙する敵味方、実に緻密な配置をして物語を進めている。そして正義側にたつ里見のキーワードは『仁』。これに基づき八犬士たちも行動するのだ。ああ、まさに勧善懲悪とスローガンは宗教的なのだ。
まあ、馬琴先生も唐国の書物に触れることのない婦幼のために書いてる部分もあるということを書いてたし、道徳教育と言う意図はあったのだろうね。
ところで、面白さですが、聖書を物語として面白く読めるなら、この9巻のくだりもその塩梅で面白く読むことができると思う。権力をもってしてではないけど、悪を懲らしめる水戸黄門好きでも可。で、私も根が単純なので、結構そういう話は好き。
南総里見八犬伝〈9〉 (岩波文庫)
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2010年01月14日

南総里見八犬伝(八) 曲亭馬琴

岩波文庫版『南総里見八犬伝』8巻目。
136回~156回まで。(あらすじ長文になってしまいました)
犬江親兵衛が管領細川政元のところに単身留め置かれることになったのは前回までの通り。
この背景には、あの悪僧徳用が政元と乳兄弟であったことから、徳用が讒言に一応耳を傾けた、ということがある。とはいえ親兵衛があの通りの神童ぶりなので、丁重なもてなしをしている。
で、仁は京の五虎といわれる5人の武芸者+徳用と腕試しを行なうことになるが、これはまあ、読者の予想通り。
ここで、話は一度別なところへ飛ぶ。政元のもとに瞳無しの虎の掛け軸が持ち込まれるのだが、その持ち込まれるまでの話が語られている。政元はこの掛け軸の話に疑念をもって瞳のない虎の絵に瞳を描かせたところ、虎が飛び出してさあ、大変。瞳を入れた絵師をかみ殺して山へ逃亡。それから京は大騒ぎになって、前に親兵衛と戦った武芸者のうちの四人が虎退治を仰せつかるが、彼らは山には入らず、京と山を隔ててる川に留まって警護するといって、京童たちに皮肉を言われたりする。
で、いつまでたってもらちが開かず、とうとう親兵衛が虎退治をという話になり、代わりに安房へ返してもらうという条件を出して、これを受ける。
その後虎退治の顛末が描かれるが、それがひと段落して、舞台はまた関東へ。十一郎が再び使者として、仁を帰してもらうよう、京へ出かけた後、里見は扇谷を警戒して兵の訓練を始めたりなど、臨戦態勢に入る。
折りも折り、八犬士が逗留した穂北では夏行が亡くなったので、里見へ挨拶をしようと使者を立てたが、河鯉を取り逃がした人物が彼をちょうど探している最中、この使者が酔っ払って八犬士や河鯉のことを話しているのを聞いて、彼らを捉えてしまう。そのことを知った穂北の有種が部落全体に呼びかけ火をかけ、逃亡。これが原因となって、扇谷は里見を攻めることとなる…

ふう、どういうわけかあらすじを長々と書いてしまった。京が舞台の部分は、絵の虎が飛び出して暴れるなど、ちょっと昔話っぽい面影があるな。まあ、親兵衛が主役だし、京の百鬼夜行ぶりの雰囲気が出てていいかも。
で、とうとう里見家、八犬士の出番が近づいてきて、わくわく。残り2巻は管領たちとの戦争場面になるのかな?

ところで私は7巻のところで怪異現象多くなってきてるな、と書いたんだが、この8巻中ほどに、巻二十九の贅弁が出ていて、昔の読者も私と同じ事を馬琴先生にいったらしい。馬琴先生はそもそも、最初からこの物語には鬼話怪談があるじゃないか、地蔵のくだりは女子どもにもわかるよう詳しく書いたんだ。それがわからないようではずっとわからないよ、というようなことを書いておりました。
作者の思惑読者知らず、ですいません。
南総里見八犬伝〈8〉 (岩波文庫)
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2010年01月12日

南総里見八犬伝(七) 曲亭馬琴

岩波文庫版『南総里見八犬伝』7巻目
116回から135回まで。
この巻では親兵衛が河鯉孝嗣と知り合い、彼の元乳母に妙椿攻略の計を授かる。そして命により再び館山へ帰って、見事かの城を取り戻したあとは、七犬士を倶さんという命を果たしてないとして、再び里見の領を離れる。
さて、その七犬士たちはヽ大法師の行なう法会に出席のこと、その法会についての顛末、及び八犬士がうちそろい小団円を迎えるのこと。ここまでの話が131回までに書かれている。
もし、日本にも金聖嘆みたいな人物がいたら、ここでぶった切り決定かもしれない。
というのも、山田風太郎がどこに書いてたか忘れたが、あとはひたすら勧善懲悪因果応報をきっちりあわせるかのような物語展開になってしまって、それまでよりは面白くないという意味のことを読んだのを思い起こしたからだ。
とはいっても、私自身まだ先の話を読んでないのでなんともいいがたいが、この巻にある132回以後の話、というか、犬江親兵衛が出てきてからの話の展開が今まで以上に怪異現象多すぎだろうよ?とちょっと思ってたし。
まあ、とにもかくにも、その後八犬士たちの氏変更を願うため、親兵衛が使者となって京へ赴く途中でまた一波乱。
どうでもいいですが、決断力の漢、犬山道節だな、とつくづく感じた7巻ではありました。今までの話の中で親兵衛を除いては一番目立ってるよ。
南総里見八犬伝〈7〉 (岩波文庫)
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2010年01月10日

南総里見八犬伝(六) 曲亭馬琴

岩波文庫版『南総里見八犬伝』6巻目。
じゃじゃ~ん。犬江親兵衛仁登場して、いきなりの大活躍です。
親兵衛は9歳、身の丈三尺四五寸というから大体1メートルちょっとですか。今の子どもからみるとそれほど大きくないように思えるのですが、当時は大きいほうだったのでしょうね。
この親兵衛は伏姫自ら育て上げた神童として存在し、なんと彼と一緒に、あの行方知らずになった姥雪一族もかの場所にいて暮らしていたんです。
馬琴先生、やるな。
さて、親兵衛がきてからはあっというまに素藤は捕えられて一件落着しますが、ここで話がおわるわけもなく、素藤と一緒にいた妙椿の計略に里見の殿様はかかってしまい、親兵衛は遠ざけられ、またしても館山はとられてしまいます。
苦戦する里見。その戦の間に、里見の殿は妙椿が幻術にたぶらかされて、親兵衛を離してしまったことに気が付き、急ぎ彼を呼び寄せるための手配をします。
一方、旅に出た親兵衛は、他の犬士と縁のあった武士の処刑場面に出くわすことに。
とりあえず、6巻はここまで。

この巻では八犬伝出版について、馬琴先生の附言つき。ここまで到達するのに20余年、この間には版元の転遷、また自作にまつわる版元とのトラブルなど書いてまして、昔の作品を勝手にタイトルを変えられて新作として出されたとか、まだ拙いころの作品でもう出したくないものを勝手に出されたとか、版元に対する作家の悩みは今も昔もかわらないようで。
それにしても、ここまでくるのに20余年ですか。ガラスの仮面状態ですな。でも、岩波文庫は全10冊なのでまだまだ終わりませんよ。
南総里見八犬伝〈6〉 (岩波文庫)
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2010年01月08日

南総里見八犬伝(五) 曲亭馬琴

岩波文庫版『南総里見八犬伝』5巻目。
途中で別な本を読みたくなるかな、と思いきや、遅読ながらここまで一気読みです。
5巻は83回から103回まで。
さて、4巻で船虫のことについて少し感想書いたが、この巻でとうとう彼女も引導を渡されてしまう。まあちょっと残念ではあるな。最後の最後まで敵役として登場してくれれば良かったのに、とは思うものの、馬琴先生、ちゃんと次なる毒婦を用意してくれてる予感。というのはこの巻最後の方に、そんな女性かな?と思われる人が出てくるのだ。
で、内容だが、穂北で盗賊に間違えられた現八、大角なのだが、一人の女性の助け、及び犬士たちの登場で土地の領主と懇意になり、話は一気に扇谷を討つ計画までになる。毛野もまた、一人仇を探して、ようやく見つけたが、それが扇谷に関係あったので、結果的に、他の犬士と合流し、七犬士そろっての、ちょっとした合戦になった。
一方、その頃、安房では浜路姫に懸想した素藤が、婚姻を申し入れたが、拒絶されたためまだ子どもの御曹司、義通をさらい、こちらも合戦となる。こちらは膠着状態になり、義実は伏姫の居た洞窟へ、墓参へ向かう。そこで、彼らは…
この巻最後の最後に犬江親兵衛が登場。9歳の彼は大人も顔負けの手腕で流石に犬士だ。

犬士の話ばかり書いたけど、ヽ大(ちゅだい)の活躍も外伝的に載ってる。村人たち惑わして金品を巻き上げてるいかさま法師を、知恵を使って退治する話だ。彼だって伏姫の許婚だったのだし、こういう見せ場はあっても良いよね。

いよいよ八犬士、全員が出揃ったけど、集うのはまだまだ先なんだろうなあ。だって、まだ巻にして半分だけだもの。
南総里見八犬伝〈5〉 (岩波文庫)
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2010年01月05日

南総里見八犬伝(四) 曲亭馬琴

岩波文庫版『南総里見八犬伝』4巻目。
この巻は62回から82回まで。輯にすると七輯と八輯の途中までの収録。現八とともに大角の家の悶着が前巻より続く。
その後、ここにまた仲間とはぐれた犬塚信乃の逸話が始まる。ここで信乃は亡き浜路と同じ名をもつ女性と出会うのだが、くる途中でさる武士の行為を懲らしたことから、また災難に巻き込まれる。
さて、彼はいかになるのか?
と思いつつこの巻まで読んでくれば、まあ八犬士たちは危難に遭いながらもそれを切り抜ける、その切り抜け方が読みどころだとわかってくる。うーん、少年マンガ雑誌みたいだなあ、と思いつつ、読み進める。この後は、再び小文吾と船虫との遭遇。
船虫はたくましいぞ。ちょっと逃げ方は違うけど、なんだか福田和子を彷彿とさせる。
この巻で小文吾は探していた犬坂毛野と再会。玉の由来、あざのことなど、語り合い、この巻ですべての犬士の特徴と経歴が出揃う。
しかし、毛野は再び彼らと別れ、仇を追っていったのであった。
さて、この後は、いかに8人が揃うのか?一番気になるのは神隠しの犬江親兵衛。彼がどうなってるのか、先が気になるう。
南総里見八犬伝〈4〉 (岩波文庫)
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2010年01月02日

南総里見八犬伝(三) 曲亭馬琴

岩波文庫「南総里見八犬伝」3巻目
この巻ではせっかく5人まで集った犬士たちがまたしてもバラバラになってしまいます。
ことの起こりは大塚へ帰って犬川荘助を迎えにいったところ、彼は陣代殺しで捕まっており、その救出作戦を展開するところ。そこでまた数奇な縁により、彼らを助ける人物たちが現れるのですが、ここでは音音(おとね)と2人の嫁の暮らす家に関しての出来事がなかなか涙をさそいます。
その後、小文吾はひとり離れて、とある家に泊まったために、あたら1年を幽閉されたように過ごしてしまうという災難。
一方、現八も仲間とはぐれて、3年を京で過ごすのですが、これではいかんと再び仲間を探すたびに出ます。そして庚申山の近くで因縁話を聞かされるのですが、これがなんとまだ見知らぬ犬士へ繋がる情報だったのでございました。

まだ3巻目だが、「話は聞かせてもらった」とばかりよく外や別の場所で話を立ち聞きしてるのがなんとなくおかしいというか、まあいいんだけど、ありがちなお約束でなんとなくうれしくなってしまうようなベタさ。
それと、人に今までのいきさつを話すときに、今の小説のように略さないで、いちいち説明してくれるのは親切設計。これがなければ恐らくもっと短くなるんだろうけど、私のような並脳では忘却してることも多いので、これはとても助かる。元が庶民向けの読本ということもあるのかな?

それにしても、各輯の初めに序文があるのだが、これ、返り点しかついてない漢文なので、読みにくくてほとんど飛ばしてる。なにせ漢文は苦手。
各輯のあらすじをまとめたものがついてるのはなかなか親切だが、それよりは序文の書き下し文をつけて欲しかった。ああ、なんて書いてあるんだろう。気になる。もっと漢文を勉強しておくべきであった。
南総里見八犬伝〈3〉 (岩波文庫)
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2009年12月31日

南総里見八犬伝(二) 曲亭馬琴

岩波文庫「南総里見八犬伝」第2巻目。
この巻では第二十一回から第四十回まで。
信乃がたばかられて、村雨をすりかえられてしまい、気が付かぬまま許我へ向かい、そこで初めてすりかえられたことに気が付くが、敵の間諜と思われ、犬飼見八と戦うことになる。
2人は塔の頂上からもつれ合うように落ちて舟に落下、そのままどこへともなく流されるのだが、ついた先にまた犬士である人物とであう。それが犬田小文吾である。
この巻では信乃と見八の戦いと、犬田小文吾と妹の婿との確執が話の山場となっている。
あのひとはあのひととこんな因縁があったのね、と犬士たちの縁が次々と明らかになっていくところは読むのを中断できないくらい面白かった。
これだから伝奇ものは面白い。
ところで、この巻の解説では八犬伝の絶版問題があったことを書いている。芝居になるほど人気がでた物語なのだが、儒者林家から絶版にしろといわれたらしいのだ。申し開きを再三に渡って行い、この件は解決したらしいのだが、時は天保の改革の頃。山東京伝も手鎖の刑をやられてるしね。詳しいことは馬琴自身用心したためか何も書き残しておらずよくわからないらしいが、儒者たちの嫉視、あるいは当時は儒学擁護、で漢学洋学迫害の時代ではあったということあたりが問題の要因なのか、とも。

しかし、2巻まで読んだ限りではこれ、結構反体制文学だよな。忠孝推奨とはいえども、時の権力者ではなく反対勢力へ傾いてゆくんですもの(笑)
南総里見八犬伝〈2〉 (岩波文庫)
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2009年12月28日

南総里見八犬伝(一) 曲亭馬琴

岩波文庫の「南総里見八犬伝」を読み出す。全十巻あるが、1冊読むのに4日もかかるという遅読ぶりなので、1冊ごとに覚書として記事をあげてゆくことにした。
まずは1巻目。
この巻では第20回までが収められている。結城合戦で鎌倉方についた里見家は息子義実に家臣2人をつけて落とす。南総にやってきて、神余の所領だった国を山下定包が奪っていたが、かつての神余の家臣金碗八郎が義実に近づき、山下を討たんと助力を求めて、彼らは攻め入り、里見家がその土地を継いだ。
こうして、里美家は復興するのだが、山下の妻玉梓の祟りか、後年、生まれた伏姫に試練が襲う。
あとはご存知のとおり、伏姫から飛び出した霊気のようなものは、玉とともに飛んでいき、八犬士の誕生となるわけだが、この巻では犬塚信乃と、犬川荘助の生い立ちが描かれている。

90年に出たこの岩波文庫版はかなり表記を改めていて、「椿説弓張月」に比べるとかなり読みやすくて結構なことだ。
物事が起こって、どうしてこうなったのかというときに、折々に出てくる言葉遊びのような解釈、これが面白い。抄訳や現代語訳の本は読んだことがないので比較できないが、これがあるのとないのとでは随分印象が違うだろうなあ、と思う。あらすじだけでも面白いであろうことは想像できるが、言葉遊びの妙、これ原文だけがもつ楽しみの一つ。余り難しい古文ではないので、時間があるのなら読んでみて損はないだろうと思う。
ということで、こんなことを書いてる暇があれば早く2巻が読みたいのでこれで終わる。
南総里見八犬伝〈1〉 (岩波文庫)
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2009年06月26日

椿説弓張月(全3巻) 曲亭馬琴

源為朝は学校の歴史ではあまり出てこない。保元の乱で島流しになって、しばらくはそこに住んでいたが、後に自害したため、歴史で特に目立った活動はしてしないからだ。だが、曲亭馬琴は伝奇物語として、正史稗史を参照に、この為朝を偉大なる英雄にした。
為朝のことなどほとんど知らなかったので、昔は有名人だったのかと驚いた。
あらすじは為朝の剛勇ぶりと、伊豆諸島から、落ち延びてしばらくさすらい、琉球へとやってきて、奸を懲らしめ、子が王になるまでを描いているのだが、因果応報、勧善懲悪ぶりがはなはだしく、忠や考にそむく行いにはかならず報いがくるという徹底振り。まあ、痛快といえば痛快ともいえるが、なにかやるごとにやれ忠だの考だの持ち出されると、うんざりする点は否めない。これは現代の感覚で読むからそう思うのであって、江戸時代はそんなに違和感がなかったのかもしれないが。
それでも、細かい設定、義家が前九年の役の供養に放ったとされる金の牌をつけた鶴や崇徳院の御霊のこと、その他、死せるものの魂が、いけるものを助けたりすることなどは幻想小説みたいだな。「南総里見八犬伝」は水滸伝の影響を強く受けたとされてるが、この話もかなり影響を受けてる感じはする。いでたちを細かく描写したり、細かいエピソードを繋ぎ合わせたりするところがよく似ているのだ。
時代が近いので、古文といっても、読みやすいと思う。
それでも、読み慣れないので普通の本を読むよりは倍の時間がかかったけれども、「花伝書」なんかは現代語訳なしではちんぷんかんぷんだったのに比べるとだいぶいい。
椿説弓張月 (上巻) (岩波文庫)
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椿説弓張月 (中巻) (岩波文庫)
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2009年06月06日

花伝書(風姿花伝) 世阿弥 川瀬一馬注訳

世阿弥の名が出てるので世阿弥が著したと思ってしまうのだが、本書を読んで、これは父の観阿弥が言っていたことを世阿弥が書き起こして注意書きをつけたものだ、ということを知った。
従って、この著は観阿弥の能舞台論ということになる。
ところで内容であるが、観阿弥の言うところ、およそ全ての表現者が読んでみて損はしない内容ではあるまいか。
花という言葉が出てくるが、花とめずらしさとおもしろさは同じものであるという。ここに観阿弥の芸術観が見える。すなわち、珍しいとか面白い、というのは花のように咲いては散り、散っては咲く、というふうに変化することだ。確かに、年がら年中桜の花が咲いてたらちっともありがたいとも思わなくなる。
そして、春には春の、秋には秋の花があるように、時分にあった花をみせるよう、物数を増やしておけば、いろんな花をずっと見せることができる。
などなど、含蓄のある言葉がたくさん。
私が読んだ講談社文庫のは、本文と校注のほか、巻末には現代語訳と解説、簡単なまとめがついている。
古文が苦手な向きには読みやすくていいかもしれない。
私も古文は苦手なので、現代語訳を参照しながら本文を読んだ。

一、稽古は強かれ、情識はなかれとなり
(稽古はたくさんやれ、自分勝手な考えでやるのはいけない)

というのは舞台に限らず、どの分野でも参考になる言葉ではあるな。
花伝書―風姿花伝 (講談社文庫 古 15-1)
花伝書―風姿花伝 (講談社文庫 古 15-1)世阿弥

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タグ:古典
posted by てけすた at 13:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 本 (国内) 近世以前の古典 | 更新情報をチェックする