まあ、ともかく。
今エッセイというかドキュメンタリーというかそういう種類の本を読んでるのだが、その中に禁煙しようと思いつつつい吸ってしまうみたいな描写がところどころ出てくる。
それを読みながらふと思ったのだが、禁煙したい人たちの動機ってどこからやってくるものなのだろうか?
おそらくは外部の圧力が影響してるのではないかと思うのだけど。
すなわち、吸える場所がなくなってきた、健康に悪い、嫌煙運動で肩身がせまくなってきた、などである。
いや、そんなことはない、自ら発願しているのだがなかなかに難しいのだ、と思ってる人もいるだろうが、よくよく考えて欲しいのはその発願するきっかけが外部圧力ではないかということだ。
自分の経験からすると、周りから禁煙を迫られ、自分でも止めたほうがいいと思ってやめようとするが止められなかったのはよく考えると必ずしも自分の意思ではなかったのだ、ということであった。
結局、身体がこれ以上あかんというのがわかったときにすっぱりと止められた。それは自分の意思とかそういうのはあまり関係なくなってる。
最初止めたときは金銭を喘息の薬代にまわそうという気持ちだったのだけど、それは今まで禁煙に抵抗していた自分の虚栄であり、やっぱり身体がしんどくて止めたのだなあ、と禁煙生活2年になろうとしている今、改めてそう思う。
だから、やめる必要がないと心のそこで感じているうちは自分の心を尊重していらぬ抑圧をしなくてもいいのではないだろうか。
下手に抑圧してると却って止められなかったりするんじゃないかと思うな。
とはいえ、薬物であるからして中毒になってるということもまたそのとおりなんであろう。だから有無を言わず、アルコール依存症が絶対酒を口にしないような生活と同じことをしないといつまでも止められない、とも思うのはいささか矛盾してるが、どちらも正しいような気がするのよね。
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