2008年03月19日

クリシュナムルティの神秘体験 J・クリシュナムルティ

おっちょこちょいな面があり、すぐに特定の物言いにイカれる傾向がある。
今ブームはクリシュナムルティ。
といっても彼のいう絶対孤独の思想を理解してるわけではない。今回紹介するこの「クリシュナムルティの神秘体験」も正直言えば半分もわかってないだろう。そのわからなさを喩えるならばクリシュナムルティいうところの「思考」が厚い雲となって空や太陽を覆い隠してるようなわからなさだ。そして、たまにその『厚い雲』が切れて太陽の光が差し込んでくるみたいに心にすっと入り込む文章がある。
さて、感想といってもそんな調子なので当然書けるはずもなく、そこでブログ記事としては長文になるが、1962年1月22日の日記を引用してみよう。
厚い雲が切れて光が差し込んだ部分。
彼女の外見は非情に洗練されたものであった。髪のどのカールや曲線にも気が配られ、整然としていた。しぐさやほほえみは自制され、すべての動作が非常に意識的であった。彼女には幾人かの子供がいて、その髪は白くなってきていた。彼女は裕福であるに違いなく、ある種の優雅さとよそよそしさを備えていた。車もまた、非常に洗練されていた。クロムのボディーが朝日の中で明るく輝いていた。白く塗られたタイヤはきれいで、ひとつの汚れもなく、座席は清潔だった。それは素晴らしい車で、速く走ることができ、コーナリングの性能も勝れていた。この強烈で目のくらむような進歩は、安全性と皮相性をもたらしていた。そして悲しみと愛は非常にたやすく釈明され、抑制され、常に異なる精神安定剤と異なる神々が存在し、新しい神話が古い神話に取って替わる。

明るくて冷たい朝であった。かすかな霧も昇る朝日と共に消え、大気は静かだった。黄色の足とくちばしを持った太った鳥たちが小さな芝生の上に出て、非常に楽し気で、お喋りに夢中だった。彼らは黒と白の翼を持ち、暗い淡黄褐色の体をしていた。彼らは非常に元気がよく、飛び跳ね、互いに追いかけ合っていた。やがて灰色の喉をしたカラスたちがやって来て、その太った鳥たちは騒がしくわめきながら飛び去っていった。彼らの長くて重いくちばしは輝き、黒い体は光っていた。彼らはあなた(註:クリシュナムルティ自身のこと)のあらゆる動作を観察していて、何ものも彼らから逃げることはできなかった。そして彼らは大きな犬が生垣を通ってやって来るのを知ると、その犬が彼らに気づくよりも早く、カーカーと鳴きながら飛び去ってゆき、その小さな芝生は空っぽになった。

心は、それがどんなにつまらぬものであろうと、あるいは重要であろうとも、常に何ものかによって占領されている。それは常にせわしなく、常にお喋りをし、あるものから別のものへと移ったり、あるいは必死で落ち着こうとしたりしているあの猿に似ている。空っぽであること、完全に空っぽであることは、恐ろしい事ではない。心にとって占領されていず、空っぽであり、強制されていないことは、絶対的に欠かせないことである。というのもそうしてこそ初めて心は未知の深みの中へ入ってゆくことができるからである。

あの婦人や、いわゆる聖者と呼ばれる人の持っているあらゆる占領物は、極めて皮相的なものである。占領された心は決してそれ自身の深み、それ自身の処女地へと入ってゆくことはできない。心に空間を与えるのはこの空(くう)であり、そして時間はこの空間の中へ入ってゆくことはできない。この空の中から、その愛が死である創造が生まれるのである。
P400〜402

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posted by てけすた at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 本のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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