2013年02月19日

徴候 記憶 外傷  中井久夫

つい先ごろ、世間では体罰について生徒の自殺や女子柔道での選手による訴えなどの問題が論じられた。ちょうど、みすず書房のツイートでこの問題について中井久夫先生の『徴候 記憶 外傷』の本が紹介されていたので、早速取り寄せて読んでみたが、なるほど、含蓄の深い言葉が並んでいる。
この本は、PTSDなどトラウマについて書かれた文章と、統合失調症について書かれたもの、あと身体性の話や、魔女狩りについての一文もあり、精神における総合人間学だなあという感がする。

で、体罰についてなんだが、「トラウマとその治療経験」という文章の中にこういう印象深い一節があった。
日本軍は戦争神経症を天皇の軍隊にあるまじきこととし、もっぱら「シュラークテラピー(殴打療法)を行っていた。その治療像は、上級者にへつらい、下級者には威張る、なんとも嫌な人格への変換だった。これはトラウマによるトラウマの“治療”であるが、「トラウマによるトラウマの治療」は日本の専売ではなく、西欧でも第一次大戦の際に行われた。…

以上は戦争神経症に関することだが、体罰容認派の認識としてもおそらくこういうことなのだろうという想像が出来た。また他の場所(「踏み越え」について)に書いてあるが、暴力は低いレベルでの統一感を取り戻してはくれるが、その場限りであり、それも始まりのときに最も高く次第に減るし、終えた後に自己評価向上が、つまり真の満足感がない。したがって、暴力は嗜癖化するという。
ということで、「セラピー」という大義名分のもとで嗜癖化した暴力が日常行われているのが体罰ということになるんだろうな、と思う。

「トラウマ」とは何か?
昔人間がまだ狩られる存在だったときに、危険をすぐに思い出せるような警告的な記憶だったという。それはいつまでも異物で生々しく、年を経るにつれて懐かしさすら伴うような記憶になってくれない。著者はポール・ヴァレリーのこの言葉をしばしば引用している。
体の傷はほどなく癒えるのに心の傷はなぜ長く癒えないのだろう。50年前の失恋の記憶が昨日のことのように疼く。

心の傷、それは見かけ上他人にわからないゆえに軽視されがちだが、なかなか侮れないものである。
徴候・記憶・外傷
徴候・記憶・外傷中井 久夫

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ラベル:精神医学
posted by てけすた at 13:57| Comment(1) | TrackBack(0) | 本 (国内) 小説以外の著書 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
「なんで人を殴るのか」と問えば、「態度が悪いからだ」と答える。
相手が服従の態度を示さないところが、気に入らないのであろう。
当人は、やけっぱちになっている。

日本語には、階称 (言葉づかい) というものがある。
上と見るか、下と見るかの判断を迫る日本語を使えば、モノの上下に関する判断は常について回る。
この世俗的な上下感が日本人の判断を狂わせている。

下とみられたものは、上からの暴力に抗することもむずかしい。
序列差法の一環と考えられていて、無防備状態である。
上の者の声は、天から聞こえてくると感じられるからである。

「下におれ、下におれ」の掛け声は、昔から続いた為政者の要求である。
理屈はない。ただ、指導者の要求のみがある。
世俗の上下制度が唯一の頼りとなっている。
暴力は、「がんばって」の掛け声のようなものか。

序列に基づく精神力 (意気込み・気力) で、大東亜戦争に勝てるのか。
努力の空回りに気が付く時が来た。気力ではなく、知力 (intelligence) で負けた。
我々は、頭を鍛えなくてはならない。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://3379tera.blog.ocn.ne.jp/blog/

Posted by noga at 2013年02月21日 14:32
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