2008年09月25日

城戸熊太郎化してきた

自分の書く記事になんとなく不満というか、何かが違うような感じがしてどうしようもない。
たとえば本の感想一つとってみても、読んだときにこんなことを書こうと考えて書き出してるつもりなのが、出来上がった文章を見ると、なんだか自分のいいたいことと微妙にずれてるような気がしてならない。でもどこがどうずれてるのかわからないので、直しようがなく、結局そのままアップしてあとでなんとなく不満になる。
この記事のタイトルに熊太郎の名前を出したが、城戸熊太郎とは町田康の小説「告白」の主人公。彼はいつも心に思ったことと実際それを言葉にした時の食い違いにノイローゼのように悩んでいる人物だ。それが対人関係や生活にまで影響して自意識過剰にして投げやりな人生になってゆくのであるが、実際その食い違いを気に病みだすと自分の言うこと書くことことごとくがイラつきや不満の元になる。
しかし、なぜその食い違いを気に病むようになってしまうのか?
これを考えてみるに、どうもクリシュナムルティじゃないけれども、理想の自分に対する現実の自分への幻滅、みたいなことと関係あるんじゃないかな。われわれ現実の自分はいつも理想の自分から転落している。
心に思ったこと、実はそれほど口にだしたことと変わらないのかもしれないのだが、実体化させてみると、考えていたこととなんだか違うふうに見えてしまう。自分ではかっこよく歩いてるつもりが、鏡でみるとどうもいまひとつ、みたいな。

くわあ、書いてるうちにいやになってきた。うまく説明でけん。
どうせ書き散らしなので今回はこれでおしまい。
posted by てけすた at 13:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 日常 ばかばなし | 更新情報をチェックする
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