2015年07月29日

回想の野口晴哉 野口昭子

野口整体の野口晴哉氏の弟子であり、夫人である昭子さんによる晴哉氏の回想記。

野口整体は整体といいつつも、今のエネルギーワークのような愉気やボディワークのような活元運動など身体を総合的にみるようなところがあり、なかなか不思議なものだなあと思っていた。
昭子さんの回想によれば、晴哉氏は、人が生きるか死ぬかということがわかったり、死んだ人が挨拶にきたりと、この世ならぬ霊体験というべきものを日常的に体験している人だったらしい。それと人を見抜く力の凄さと相まって、わずか10代で整体協会を立ち上げたという話も、さもありなん、と思わせる。

昭子さんは近衛文麿氏の長女である。育ちのよさがあらわれてなにごともきちんとしなければすまないところがあって、反対に晴哉氏は当意即妙、昭子さんの思惑をよそに自由闊達に物事をこなしてゆく、この正反対ともいえる性格(整体の言葉でいえば体癖ということになるのか)の取り合わせが面白い。
きちんとした昭子さんが、晴哉氏の前ではたちまち愛すべき道化のように見えてくる。もっとも自分のことはそんなに自慢しないか。

それとは別に、晴哉氏が日頃語っていた言葉をひろい集めてみると、今というか当時の人たちもそうであったのだろうが、自分の感覚や直感をするどく磨いて物事をみる、ということが出来なくなってきていると感じる。「何故分からない」という一文では、晴哉氏の洞察力に驚く人々をよそに、彼自身が何故わからないのだろうと歯がゆい気持ちでいたのではないか、と書かれている。それは才能なのか一般人が鈍いのだろうか?
晴哉氏が若い頃、夫人にこんな言葉を語ったという。

「もしも、七つの大罪を挙げるとしたら、第一は無知ということだ」
(雷門Ⅰより)


回想の野口晴哉 ちくま文庫(の-7-3)
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【追記】
新しく記事かいた
某フナイさんじゃないけれど本物が大切だ。
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2015年07月12日

竹内敏晴語り下ろし自伝 レッスンする人

竹内敏晴という人物を知ったのは20世紀も終わりの1997年頃である。人から彼のワークショップがある、と誘われて参加したのがきっかけだ。
滑らかないい声ではない。それはむしろ労働者の声、酷使された声帯のようなしゃがれた声であやふやなところなど微塵もないベクトルをもって人に届くのだった。

この本は彼が病のため残り少ない時間になったときに、語られた半生である。あの声がどこから生まれてきたのか、それは若い頃にあった聴覚障害から始まっているようである。

そういう自己の出来事のほかに時代のことが語られている。1925年生まれの彼は青春を戦争とともに生きることになった。子供時代から戦争への暗い雰囲気を感じ取りながら、人がそういう社会にどのように関わっていくのか、その様子をつぶさにみた世代であった。
学生の盾とならない教授、生徒の属性により変化する成績表、戦争後の社会建て直しをすでに見据えていた官僚。インテリの根無しぶりもちょっと語っていたりして。

さて、私が参加したレッスンだが、
「ブラインドウォーク」というレッスンがあった。一人が盲目になり、もう一人が先導して、あちらこちらを歩くのである。目に見えない世界を、人はどう感じるか、先導する人は何を導くのか。
私が先導者になったときには、周りにある植物やモノなどに触れてもらったが、私を先導してくれた人はわたしに「人」に触れるような先導をしてくれた。この認識の違い!

終わってから、皆が集まり感想を述べる。ファンタジーのような幻想世界を語る人々の話を一通り聞き終わった竹内さんは
「目に見えてるときのものと、目が見えないで触れるものは同じなのだろうか?そこには同じものが同じように感じられるのだろうか?」
というようなことをおっしゃっていた。
目が見えるわたしたちは、目を閉じたときに見えていたものを頭に描いて行動している。そういう無意識の習慣について彼は疑問を発したのであった。それは失っていた聴覚を取り戻し「人間社会」へ参入するための「言葉」獲得に苦心した、彼の本質的な問いでもあったのだ。

(某セーゴーさんの記事みたいな感想になってしまいました)
レッスンする人―語り下ろし自伝
レッスンする人―語り下ろし自伝竹内 敏晴

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2015年07月01日

2015年6月読了本

タロットの解説書にかかりっきりで、河合先生の本を最後に、現在読書休止中になってしまっている。
期間 : 2015年06月
読了数 : 4 冊
河合隼雄自伝: 未来への記憶 (新潮文庫)
河合 隼雄 / 新潮社 (2015-05-28)
読了日:2015年6月22日
私自身、河合先生の考え方で自分はそうでないなあ、と落ち込んだ箇所があって、それは先生が悪いわけではなくて、ただの意見なのだけど、すでに私の中で権威となってしまっているので、そういう権威に弱い自分、というものをまざまざと見せ付けられることになった。尊敬できる人と意見が違うとき、どうするか、という手腕こそ先生から学ばなければならんな。
忘れ得ぬ人々と谷崎潤一郎 (中公文庫)
辰野 隆 / 中央公論新社 (2015-02-21)
読了日:2015年6月21日
本の面白さと個人の考え方はまた別個のものであるが、最後の最後にニヒル・アナーキズムから愛国心と称する天皇制を拠り所とした心境の変化の一文を読み、渡辺一夫がたしか敗戦日記かなんかで書いてあった師への違和感の表明の意味が腑に落ちた。
贋金つくり (下) (岩波文庫)
アンドレ・ジイド / 岩波書店 (1963-04-16)
読了日:2015年6月12日
アザイスの塾を舞台の中心に群像劇がくりひろげられる。それぞれが何かしらの観念を背負った登場人物みたいであり、純粋小説とは思考のダンスなのかと思わせる。アルマンのひねた心理がなにか痛々しい。
贋金つくり (上) (岩波文庫)
アンドレ・ジイド / 岩波書店 (1962-12-16)
読了日:2015年6月5日
神視点から始まる通常の地の文がやがて登場人物の日記や手紙に取って代わり、かというと誰の視点だかわからない文章がでてきたりと、視点がめまぐるしく変わる。途中登場人物たちによる小説についての議論がなかなか興味深い。
posted by てけすた at 07:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 本 (その他雑談) | 更新情報をチェックする