2014年10月28日

心の病の「流行」と精神科治療薬の真実 ロバート・ウィタカー

サイモン・シンの「代替医療解剖」という本には「科学的根拠にもとづく医療」という言葉がでてくる。これは現時点におけるもっとも優れた科学的根拠を、細心の注意を払いつつ、明示的に、分別をもって利用する」ということで、この考え方が導入されていらい、臨床試験に基づいて行われる治療に進展が見られた。今では臨床試験は新しい治療を見つけるための欠かせない方法であるということで、医療の専門家の意見は一致しているのだという。
だから私たちは概ね今の医学に信頼をおいてるともいえるのであるが。

さて、この科学的根拠という考え方を悪用しているとしか思えない治療を行っているのが現在の精神医療の主流だとしたらどうだろう?この、「心の病の「流行」と精神科治療薬の真実」という本はそんなことを思わせるに充分な現状を伝えてくれる。

現在、精神疾患の大部分は脳の病気の一つだとされ、化学的な治療を施しましょうということで抗精神薬の処方がなされている。抗精神薬が登場して約半世紀。この画期的な治療は精神疾患の減少に役立っているはずだったのだが、著者が調べてみると、事実はむしろ悪化しているのだというのである。
著者は文献を注意深く調べ、当事者にあい、その実態をレポートしていくのであるが、そこに浮かび上がったのは、正統な医学として認められたい精神医学会の思惑と、製薬会社のたくみなマーケティングにより、実は脳の病気であるという科学的根拠は何一つはっきりと示されないまま、投薬治療が続けられてきたという実態が浮かび上がってきた。

くわしいことは本書でじっくり読んでいただくことにして、結局科学科学とはいうものの、医者も人間であり、社会的偏見や信念から脱け出すことがいかに大変かということを教えてくれる。まあ、主流医学批判をするとすぐ叩かれるのだけど、「代替医療解剖」にも出てきた瀉血がその効果がないのにも関わらず続けられてきたという歴史を考えると、一概に彼らがおかしいとも言いがたい。むしろ偏見によって被害にあう当事者のやりきれなさは察してあまりある。

これを読んでちょっと思い出したんだけど、私が喘息になって、とある長期型気管支拡張剤を使って筋肉が攣ったことがあった。最初はわからなかったが、民間の人のサイトでその薬を使って筋肉の攣りが出たというメールがたくさん来ているので、製薬会社に問い合わせたが、そんな副作用はないと一蹴されてしまった、というのを目にして、もしかしたら関係あるのかもと、医者に同じ事を聞いてみたら、そんなことはないとあっさり否定されてしまった。
結局、医者も患者のいうことよりは製薬会社の提示する資料のほうを優先するのであり、まあそれは科学的根拠で、患者の主観は科学的ではないのは承知なんだが、もうちょっと話を聞いてくれてもいいんじゃない?とがっかりしたなあ。
ましてや、精神疾患。言葉は悪いがレッテルを貼られてしまうとその言動はすぐ病気のせいにされてしまいがちだ。いやあ、どうしたらいいのかね。やっぱり当事者が声を上げていかないとこういう問題は改善していかないのだろうな。
もっとも、日本でも多剤処方を制限するという動きにはなってきているという話だそうで、今後どう動くか注目だが。

まあ、科学的根拠のあいまいさをたてに専門家と称する人々が利害尊重としか思えないような都合のいい発言をして人々を翻弄する点は放射能問題と似てなくもない。
心の病の「流行」と精神科治療薬の真実
心の病の「流行」と精神科治療薬の真実ロバート・ウィタカー 小野 善郎

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2014年10月26日

物質的恍惚 ル・クレジオ

人間は生きていくうえで言葉というものが欠かせなくなっている。もちろんそれは文化に根ざしたもので、言葉以前の赤ん坊の思考というものはどんな風になってるのかな、とか思わず考えずにはいられなくなってしまったのが、この本を読了しての感想だ。
赤ん坊に限らない、人が己を忘れるほど没頭しているとき、心を奪われているとき、一体言語はどういう形になっているのだろう。ここに書かれているような、非論理、非社会的、記号の海、そういったものが満ち溢れているのか、どうか。

私は残念ながらその世界を表現できるだけの力をもたず、ただ、ル・クレジオの描く言葉を読むだけしかできない。しかもそれがどういうものであるのかを説明する力ももたないので、ブログに書いても仕方ないのではないかとつい思ってしまう。だが、伝達という役割を度外視した表現、しかしそれは与えられた言語であるからなにかしらの意味を拾われてしまわずにはいられない、という性質。
言葉というのは実に不思議なものだと思う。

とはいえ、そんな意味不明の言葉ばかりじゃない。中には中二病をいたく刺激しそうな文章などもあって、例えば、私なんかはこんなくだりに心躍った。
なぜいつまでも、感情のうちに、個々別々の力、ときには矛盾し合いさえする力があるという見方にこだわるのか?いくつかの感情があるのではない。ただ一つの、生命の形があるだけ、それが多種多様な力にしたがってわれわれに顕示されるのだ。この形をこそ、われわれは再発見せねばならぬ。この形、無の反対物、眼の輝きの湾、光と火との河、それは絶え間なく、弱さなしに、こうして、人を導き、引っ張ってゆくのだ、死にいたるまで。

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2014年10月04日

コーラン(上)(中)(下) 井筒俊彦訳

読みました、コーラン。
前半は主に社会的な規範について述べてる部分が多く、宗教書というよりは法律書のようなものに近いなあと思いつつ、読みすすめるうちにアッラーへの帰依と来世の復活とそれに伴う審判についての話題が多くなり、中巻以降で私のイメージする宗教書に近くなってくる。

まあ、ごたごたいっても始まりません。井筒先生もおっしゃってるように、コーランの理解においては当時の社会状況と、マホメットについての知識があったほうがよりいい。なんといっても、かのダンテの『新曲』のように、マホメットの個人的な私怨(?)とおぼしきもの(と、異教徒だからこんな解釈になるのです)がところどころにでてきてるなあという感想を私はいだいて読了したわけです。

ということで井筒先生は解説にマホメット時代のことが書かれているわけですが、それによるとなんでも両親を早くになくした彼は正確な生まれ年がわかっていないとのこと。それが25歳のとき、40歳の会社経営の未亡人に見出されて結婚。つまり逆玉なんですな。さらに、啓示を受け始めたとき、彼自身は悪霊に取り付かれたと思い込んでいたのをこの妻がそれは神の霊感だと信じて、夫を預言者として全面的に応援したという肝っ玉ぶり。もちろん狂信的ではなく一流の商人のような冷静さと計算は忘れない。
さらに、後年、遷行(ヒジュラ)を実施したときには妻を始めとする援護してくれた身内が亡くなっていて、絶対絶命のピンチだったマホメットは、ここから類希なる政治力を発揮して、メディナにおいて、強力な宗教共同体を築いたというのだから凄い。日本の秀吉にちょっと似ているかも。恵まれない境遇の幼少期とか、有力者に見出されるとか、女好きな点とか。

そういうことを踏まえてコーランを読むと、なかなか味わいのある書物だなあと思うわけです。
皆さんも機会があれば一度。
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2014年10月02日

2014年9月の読書

期間 : 2014年09月
読了数 : 7 冊
コーラン〈中〉 (岩波文庫)
井筒 俊彦 / 岩波書店 (1964-01)
読了日:2014年9月30日
新旧約聖書の説話めいた文章が目立つ中巻。この巻だけ読んでいるとユダヤキリストの一分派という趣がないでもない。しかし部族同盟の章は少し特別扱いしすぎではありませんか?とか、異教徒だからこんなこと書けるんだろうな。
繁栄の昭和
筒井 康隆 / 文藝春秋 (2014-09-29)
読了日:2014年9月29日
昭和のノスタルジアを書物に再現してくれる作品が幾つか。残念なことに乱歩も海野十三も未読なため楽しみ方が少なくなっているんだろうなあ、と自分のものぐさを自嘲しながらも、『リア王』は随分とお気に入りになりました。君の瞳に恋してるは好きな歌だったんだよなあ。『メタノワール』は映画シーンと素が交じり合った短篇でわけわからなくてこれもわりと好き。
誰か故郷を想はざる―自叙伝らしくなく (角川文庫 緑 315-4)
寺山 修司 / KADOKAWA (1973-05)
読了日:2014年9月27日
第一章の幼少期時代が面白い。自分の家の番地を地獄と読んで戦慄したり、三大地獄の話とか俳句の秘密結社性に惹かれたとか。東京エレジーのほうはあまりピンとこなかった。競馬にあまり興味ないせいかな。それでもロマン・ロランの集まりの話は面白かった。
砂男/クレスペル顧問官 (光文社古典新訳文庫)
光文社 (2014-01-09)
読了日:2014年9月25日
槍ヶ岳開山 (文春文庫)
新田 次郎 / 文藝春秋 (2010-03-10)
読了日:2014年9月24日
ここでの登山は山の経験者ではなく、求道者や衆生救済のためになされるわけだが、作者の山の描写に一種の達成感を共有できる。登山は数回しか経験がないのだが苦しさのあとのあの爽快感を思い出す。
宗教と科学の接点
河合 隼雄 / 岩波書店 (1986-05-15)
読了日:2014年9月21日
30年近く前の本だけど、ここに書かれている人間の隠されたつながりについてのいろいろはまだ解決の道を容易には見出していないと思う。この著で提示されてる諸問題は、人文系からのアプローチはもとより、脳科学など生物科学のアプローチも期待したい。
エウパリノス・魂と舞踏・樹についての対話 (岩波文庫)
ポール ヴァレリー / 岩波書店 (2008-06-17)
読了日:2014年9月18日
“おまえの記憶のなかでは何ともたくさんの奇妙な組合せが気ままにしているのだね、ティティルス!”などというセリフにどきり。よい意味でも悪い意味でも人間の記憶ってこんな感じだろうと思う。
posted by てけすた at 07:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 本 (その他雑談) | 更新情報をチェックする