2014年06月15日

abさんご 黒田夏子

私はメディアマーカー読書メーターに次のような感想を軽く書いた。
期間 : 2014年6月15日 ~ 2014年6月15日
登録数 : 1 件
abさんご
黒田 夏子 / 文藝春秋 (2013-01-20)
登録日:2014年06月15日
abさんごは詩的だと思う親子とそれに割り込む同居人の話とか、ふるい家の追憶とかそういったものが美しい。だが、私は併載されてるタミエシリーズは人の心の弱さというか、そういう形で自分を守るタミエという子の描き方に安易な共感を許さない文学を見て、こちらのほうにむしろ興味をもった。


しかし、なにぶんこれらのツールは次数が限られるので、ひとつ覚書しておきたい一節をあらためてここに書いておこうという次第。
その一説とは、『タミエの花』に出てくる場面で、植物を調べているとあるおじさんと話しているシーン。タミエは学校をさぼって、植物たちと戯れていることが多かったのであるが、おじさんにあっさり植物たちの名前を言われて、ちょっと自分の世界が奪われるのではないかと思うシーン。
ハハコグサと言われて、違うよ、あれはね、カタクリマブシ、と言ったのは、常の、知ったかぶり好きの性癖からだけでなく、そう呼び変えることで辛うじてその草を他者からの支配から守ったつもりになろうという、懸命の抗戦、強奪への反旗であった。そして、その作業を重ねながら、単に感覚的博識というべき己れの世界に比べて、男の世界には地図があり、帳面があり、みんなとの協定みんなの支持があるという堅固を確実を安定を、ひしひしと感じさせられて来たタミエにとって、今、泪まみれで庇うべきいとしくも脆い自分の世界は、凝って集まってあの花となり、繚乱とタミエを充たしていた。

ここに、言葉に対する一種の怨念があり、自分だけの脆い世界と、みんなの支持する堅固な世界との対比が私のこころをとらえる。言葉にほんろうされなかったら、人間はどういう存在になっていたのか。そんなことをふと感じさせる一説であった。
タグ:文学
posted by てけすた at 06:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 本 (国内) 小説 | 更新情報をチェックする