2014年03月30日

パブロ・カザルス

野口整体の人がレコード好きでカザルスがどうのこうの、と書いてるのをみて、名前だけは知っていたのであるが、人に勧められてちょっと聴いてみるとこれがなんとも自分の好みだった。
いや、好みはひょっとして曲の選択にあったのかもしれないが、『鳥の歌―ホワイトハウスコンサート』を聴いて、涙したのだ。

出だしはメンデルスゾーンでチェロの悲しげな調べから始まり、これでぞくっときた。そしてクープラン、シューマンときて、〆は鳥の歌。この哀愁ある曲調にまた涙した。
録音状態ははっきりいってコンサートのライブであることだし、いろんな雑音が拾われているのは確かだけれども、1961年のあの冷戦時代、平和を願うカザルスがケネディ大統領を見込んでのコンサートと考えると、その雑音にすら何かのドラマを感じ取って、いわば“聴くDVD”みたいに頭の中で写真を基にした映像が脳内で作り上げられるのです。

雑音といえば、カザルスのうなり声も拾われている。
このうなり声は結構有名だったらしく、ちくま文庫の『パブロ・カザルス 鳥の歌』の中にこんな逸話が載っている。
エイドリアン・ボウルト卿の指揮でエルガーのチェロ協奏曲を録音しているとき、カザルスの伝説的な唸り声がマイクをとおしてあまりにもはっきりと聞きとれたので、頭にきたレコーディング・エンジニアはとうとう我慢がならなくなって苦情をいった。
「マエストロ、あなたの唸り声もみんな拾ってるんじゃないかと、弱ってるんです」
「だったら」とカザルスは落ち着きはらって答えた。
「レコードの値段を倍にできるね」

鳥の歌-ホワイトハウス・コンサート
鳥の歌-ホワイトハウス・コンサートパブロ・カザルス ミエチスラフ・ホルショフスキ アレクサンダー・シュナイダー

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パブロ・カザルス 鳥の歌 (ちくま文庫)
パブロ・カザルス 鳥の歌 (ちくま文庫)ジュリアン・ロイド ウェッバー

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2014年03月22日

サテュリコン ペトロニウス

『クオ・ワディス』を読んで、ペトロニウスという人物に興味を覚えた。そして彼が書いた小説があるというのでそのうち読みたいなと思っていたところ、手にいれることができたのが、この岩波文庫の『サテュリコン』である。
このタイトルは好色な野山の精サテュロスたちの物語という意味のほど。主人公のエンコルピオスが若い男の子とともにイタリアのあちこちを放浪しながら無頼を重ねてゆく物語だ。

ペトロニウスはネロがその趣味において彼のいうことしか聞かなくなったと言われるほどに粋人としての名声が高かった。その彼の書く無頼小説は当時の爛熟したローマ帝国文明の退廃振りをよく描写しているように思う。
『クオ・ワディス』から受けた彼の印象からして、この小説は彼独特の価値基準と批評眼に貫かれ、また当時隆盛していたストア派のようなストイックな哲学に対する一種の挑戦であり、人間賛歌のようにも読めた。
しかし、訳者解題の中で「若きネロのモデルと考えられないだろうか」という一文を見たときに、もしかすると、これは韜晦されたネロへの批評あるいはそれこそ彼への諷刺として書かれたとしたなら…ペトロニウスならありえる、と妄想をたくましくしてしまった。どうもペトロニウスって阿諛追従しなさそうに見えるんだよね。だからネロを楽しませることもできるし、それが彼への毒でもある小説を書くことはペトロニウスなら充分できると思うのであった。

まあ、しかし、この文庫にはセネカの諷刺小説も載ってるんだけど、さすがに『サテュリコン』と並べるのは酷なような気がした。人には向き不向き、得手不得手というものがあって、どうみてもセネカにこの種の毒を含んだ文章を洗練された方法で書く才能は乏しいのではないだろうかと思わせるのであった。
サテュリコン―古代ローマの諷刺小説 (岩波文庫)
サテュリコン―古代ローマの諷刺小説 (岩波文庫)ガイウス ペトロニウス 国原 吉之助

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タグ:ローマ
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2014年03月19日

エセー(2巻13章~37章、3巻) モンテーニュ

去年10月に読了したエセーの続き。
古今の名言集的な様相だった前半にくらべ、3巻あたりからはモンテーニュの人生の考え方が色濃く現れてきている。すなわち、自己の良心に従い自己の感覚に従って節制に努めながらも人生を楽しく生きること。というとなんだかエピキュリアンみたいだけど、そうじゃなくて、過去の優れた思想は所詮他人の借り物なのであるから自分の感覚や良心に従え、というのが趣旨のようだ。
最後の部分、すごく引用したい部分があるので、そこを引用して、感想に代えさせていただく。

“われわれの精神は、肉体が必要を満たすのに用いるわずかの時間も、肉体から離れなければ、自分の仕事をおこなう時間が足りないと考えたがる。人々は自分から脱け出し、人間から逃げたがる。ばかげたことだ。天使に身を変えようとして動物になる。高く舞い上がるかわりにぶっ倒れる。あの超越的な思想というやつは、近づくことのできない高い場所のように私を恐れさせる。また、ソクラテスの生涯の中で、彼の恍惚状態とか精霊(ダイモーン)にとりつかれたとか言うことほど私にとって理解しがたいものはないし、プラトンにおいて、皆から神のごとき人と言われた理由ほど人間的に思われるものはない。私にはわれわれの学問のうちでは、もっとも高く上ったものがもっとも現世的で卑俗であるように思われる。アレクサンドロスの生涯の中で、自分を不死化しようと考えたことほど、卑しく、人間臭いものはないと思う。フィロタスはこれに答えて彼を茶化して手紙をやって、ユピテル神であるアンモンのの宣託で神々の列に加えられたことを祝って「あなたのためには喜ばしい。けれども、人民のためには気の毒です。人民は、人間の尺度に満足せず、人間を超越する人とともに生き、その人に服従しなければなりませんから」といった。(ここでホラティウス「カルミナ」からの引用―《おまえは神々に服従しているから、世界を支配しているのだ》
アテナイ人たちがポンペイウスの市内への入城を讃えて彫った次の可愛らしい碑文は私の考えと一致する
(プルタルコス英雄伝ポンペイウス篇27の引用―あなたは自ら人間であることを認めるから、ますます神とあがめられる)
自分の存在を正しく享受することを知ることはほとんど神に近い絶対の完成である。われわれは自分の境遇を享受することを知らないために、他人の境遇を求め、自分の状態を知らないために、われわれの外へでようとする。だが、竹馬に乗っても何もならない。なぜなら、竹馬に乗っても所詮は自分の足で歩かなければならないし、世界でもっとも高い玉座に昇っても、やはり自分の尻の上に坐っているからである。”
―エセー3巻13章より
世界古典文学全集 第38巻 モンテーニュ 2
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タグ:人間
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2014年03月14日

治療文化論 中井久夫

今日では治療といえばまず病院であり、精神疾患もそうであるという印象を私はもつ。
ところが一方で精神疾患とはどこにラインがあるのか、という疑問も持ち続けてきた。
個人的には日常生活に差し支えないのは病気ではないという認識があるけれども、そうなると自殺や犯罪も精神疾患の一部になるよなあ、でも、通常それらは病気ではなく、個人の道徳性などに原因が帰せられてしまうことが多い。

いや、こんな話を著者はしているのではないのだが、個人がある種の精神的危機を迎えたときに、身近な人が治療者の役割を果たして完結するような個人的なもの、社会の民間治療者を頼る文化依存的なもの、そして西洋で発展した精神医学に代表される普遍的とカテゴライズされるものがあるのではないか、というような意味の文章を読んで、病気とは何をもってして病気というのか、それは肉体なのか社会なのか精神なのか、今まで医学は分類と診断で区別をつけて対応してきたけれども、一つの方法論ではどうにも欠損が出来てしまう。迷信かもしれないものが、実は治療に役立つ、そういう実例を著者は挙げている。

いろいろ書きたいような気もするんだが、安易に書けないような気もしてうまくいえない。ただ、著者はコンゴ動乱における白人傭兵のことに思いをはせ、精神科医もそれに似たようなところがある。周りから人非人、非道とののしられようとも、彼らの状況即興能力に賭けて収まらない物事を収めるという技術。について述べており、この世界が安易なヒューマニズムでは収まらないけれどももっともヒューマニズムを重視しなくてはならないということに私は慄然とする。
精神医学の批判も大切なことだ。患者の尊厳を損なうような治療が散見されるし、著者も民間の治療師たちが患者の尊厳性を損なわないことについて現代精神医学と比較している部分もある。
つまるところ、どの職業においてもそうであろうが、人間の深い部分に関わってくる職業は周りの非難にどれだけ堪えうるか、なおかつ患者の尊厳をどれだけ大切にできるか、という命題に行き着く。
もうかなり前に書かれた本だけど、そういう部分の命題は永遠のものだという感じがする。
治療文化論―精神医学的再構築の試み (岩波現代文庫)
治療文化論―精神医学的再構築の試み (岩波現代文庫)中井 久夫

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治療文化論―精神医学的再構築の試み (同時代ライブラリー)
治療文化論―精神医学的再構築の試み (同時代ライブラリー)中井 久夫

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タグ:精神医学
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2014年03月06日

ブランビラ王女 E.T.A.ホフマン

ホフマンの作品というとちょっと陰惨なイメージのものも少なくないが、この作品はいわゆるロマン派のファンタジックな部分を諷刺して喜劇に仕立て上げた感のする面白い作品。
舞台はイタリア、時は謝肉祭で、三文悲劇役者のジーリオがお針娘ジアチンタと恋人なんであるのだが、なぜか、ジーリオはどこぞの国からやってきたというブランビラ王女が自分を好いてると思い込んで、まわりから頭がおかしくなったのかと思われてしまう。
一方、ジアチンタはジアチンタのほうで、どこぞの国の王子から求婚されたという話を付き添いのベアトリーチェ婆さんにしゃべっており、婆さんはそんな夢想みたいなことを、などとジアチンタをたしなめたりしている。
何が現実で、なにが夢や空想や妄想なのか、カーニバルの中で仮装した人々の中ではなんとも見分けがつきにくいし、おまけにホフマンのことだ、この手の現実と空想の錯綜を描かせると読者は妖しげな世界に迷い込んでしまう。

妖しげと書くと、なんだか悲劇やファンタジーの世界のように思えるが、これは徹底的に喜劇だ。ジーリオの振る舞いがもう喜劇的。悲劇役者ジーリオが自分でもおかしいと思うほどに世界は不可思議な姿を見せる。これはジーリオの妄想なのか、カーニバルの余興なのか、めまいがするほどの迷走だ。
とにかく、この迷走振りとドタバタぶりを充分楽しむことのできる向きには面白い作品。
ブランビラ王女 (ちくま文庫)
ブランビラ王女 (ちくま文庫)E.T.A. ホフマン 種村 季弘

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タグ:ドイツ文学
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2014年03月02日

創作の極意と掟 筒井康隆

筒井さんが本について書いているのを読むのは本当に至福のときだ。
もちろん、小説はいうまでもなくそうなんですけど、本についての評論やエッセイは「こんな読み方があるんだ」といつも驚きの連続なのであります。

で、今回の「創作の極意と掟」もそう。
小説を書くにあたってのいろんな作法や方法論を述べているという体裁ではあるが、そこに出てくるサンプルとしての小説の数々が読みたくなるような紹介で、全く興味がないというか書いてる内容を知らない作家の作品とか、ああ、こんな作品があるんだ、じゃあ一度読みたいな、と思うようなものが続出なの。
だからこれは創作を目指す人だけでなく、小説をどう楽しむかという点からも面白くて流石だと思う。

特に私がお気に入りの一章は「妄想」
空想でも理想でも着想でもない「妄想」
もしかしたらこれは筒井さんの小説を読み続けているがためにそういう考え方をもつに至ったのかもしれないけれども、私はつねづね小説というものは妄想に奉仕するために生まれてきたのだと思っている。
この章でも妄想と小説の大切な関係が書かれているけれども、そもそも妄想とは人間が動物であるのに動物でないという不自然な意識状態を維持するのに支払わなければならない税金のようなものであり、それゆえに古今東西これほどまでにたくさんの人が物語を描き小説を書いてきたのだと思っている。実験的前衛的手法ですらそれは妄想の変形であり、創作とはそういうことなのではないかと、かように思うわけなのです。
創作の極意と掟
創作の極意と掟筒井 康隆

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タグ:エッセイ
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2014年03月01日

読書2014.2月の分

期間 : 2014年02月
読了数 : 5 冊
禅と日本文化 (岩波新書)
鈴木 大拙 / 岩波書店 (1940-09)
読了日:2014年2月26日
これ読んだら歴史小説とか剣豪小説とかもっと楽しく読めそうな気がする。サムライとか茶とか俳句とか、神秘の国ですなあ、といった感じ。「禅と儒教」については意外にその関係の深さに禅の底知れなさを感じる。
砂の女 (新潮文庫)
安部 公房 / 新潮社 (2003-03)
読了日:2014年2月20日
いや、久々にぶっ飛ぶような本を読んだ。亡霊の満ちる「孤独地獄」という銅版画に主人公がなぜこのタイトルなのか理解したフレーズがすき“孤独とは、幻を求めて満たされない、渇きのことなのである”
こころの読書教室 (新潮文庫)
河合 隼雄 / 新潮社 (2014-01-29)
読了日:2014年2月16日
Ⅰに出てくる“それ”についての話がとてもいい。この頃は脳の働きの問題ということがいわれているけれども、ここに出てくる“それ”の侵入と、脳の具合ということとうまく統合できるのかどうか、自然はまだまだわからないことがたくさんあるなあ、と思いながら読了。
百鬼園随筆 (新潮文庫)
内田 百けん / 新潮社 (2002-04-25)
読了日:2014年2月13日
内容と全然関係ないけど、表紙の芥川龍之介の書いたイラストの意味がわからん。
伊東 勉 / 岩波書店 (1952-12)
読了日:2014年2月5日
真実はどこにあるのか、語るものによって違って見えてくる。ラインケは狡猾かもしれない。まただまされたものたちに偏見があったかもしれない。とはいえ、ラインケのたくみな弁舌はちょっと面白かった。
posted by てけすた at 03:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 本 (その他雑談) | 更新情報をチェックする