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2013年07月28日

悪霊の群 山田風太郎/高木彬光

いや、わたし、ミステリーってあまり読まないし、高木さんの小説も読んだことがないので。
と、言い訳しながらですまん。最初山風の文章っぽくも作品の雰囲気と少し違うので、なんとなく戸惑っていたのだが、読みすすんでいくうちに、山風の心理的ミステリーと違う複雑な筋立てに、ほう、これは結構面白いかもと思いはじめ、中ほどではすっかり小説世界になじむことができたのでますはよかった。
解説によれば、プロットが高木彬光で文章が山風ということで、ああなるほどなと思った。
書かれた舞台は昭和二十五年。もう今から見れば歴史の中に入ってしまった戦後日本である。
そして、こんな言葉があったのだけど、これはなんか山風らしい言葉だな、と思った。

「(前略)…今度の戦争であばきだされた日本人の国民性じゃが、日本人は精密な予定、与えられた計画が順調にすすんでいるあいだはおそろしく強いが、いったんその予定、計画がちょっとでも狂うと、茫然自失、自暴自棄になる。そして、ただめちゃめちゃに玉砕じゃ…」

なんか、今の時代でもあてはまりそうな言葉。こんだけ災害の多い土地なのに予定に緻密な国民性ってなんだか不思議な気がするんだが、でもそうだよね。平穏無事なときくらいきちんとやりましょうよ、どうせ何か一発起こればおしまいだから、みたいなところがあるのかね?
悪霊の群
悪霊の群山田 風太郎 高木 彬光

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タグ:ミステリー
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2013年07月19日

原初生命体としての人間

「生きている人間のからだ、それは皮膚という生きた袋の中に、液体的なものがいっぱい入っていて、その中に骨も内臓も浮かんでいるのだ」
という言葉は、野口体操を知るものであれば一度は聞いたことがある言葉であろう。
今更改めて素人の私が書くまでもないけれども、上記の言葉のとおり、野口体操は、従来の体操の概念と大きくかけ離れた考え方から出発している。そして本書はその考え方を述べた著者の初めての本なのである。
コアセルベートという生き物だかそうでないのだかわからないようなもの、人間のからだも究極はそれと同じイメージで感じ動くという発想は、腑分けされ、徹底的に分析された現代科学のからだの考え方とはまるっきり反対のベクトルである。

面白いな、と思ったのはたとえば計測される身体において、特定の能力が高ければそれに関する運動能力が高い、という考えが現代科学で研究されたからだ観にはあるけれども、現実をみると必ずしもそうなっていないことが、野口体操の理論でいくと、なるほど、と納得してしまうようなことである。
人間は機械になぞらえることはできるかもしれない。現にそうしてたくさんの命が救われてきた面は否定できないから。
だが、何事もゆきすぎてそれだけ絶対視されると、弊害が大きくなってくるのではないだろうか。
1970年代に書かれたこの本は当時どのように受け止められたのか、よくわからないが、現代において、野口体操のからだの考え方は重要になってきていると思われる。
もちろん、これも絶対視してしまうと弊害が生まれるが、現代科学が不得意な面を補うものとして、これからしばらくは古びることなく読まれていくのではないかと思った。

ところで、この本には実際の動きについての解説の章があるので、できないながらもそれを実際試してみながらの読書であったので、それほど分量があるわけでもないのに、えらく読了まで時間がかかりました。
実際の動きを画像入りで載せてるジュニア新書があるので、もし初心者で興味のある方はそちらを最初によむといいかも。
原初生命体としての人間 ― 野口体操の理論
原初生命体としての人間 ― 野口体操の理論野口 三千三

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身体感覚をひらく―野口体操に学ぶ (岩波ジュニア新書)羽鳥 操 松尾 哲矢

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タグ:人間
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2013年07月14日

コンスタンティノープルの陥落 塩野七生

大抵の歴史小説では場面がどこなのかわからないまま幕が開ける。
ところがこの小説ではまずこの歴史的出来事の主人公たちが語られ、次に目撃者たちのそれぞれの略歴が描かれる。いわば役者が最初に紹介されるわけだ。陥落のことは私は詳しく知らないので、この目撃者たちは一体どうなるのかちょっとドキドキしながら読み始めた。

目撃者たちはぞくぞくとコンスタンティノープルに集まってくる。皇帝の要請を受けて応援にいく軍隊、不穏な噂を聞いて本国へ戻ろうとしているもの、もともとかの都市にいるもの、さまざまである。もちろん考え方も違う。巨大なトルコを相手に、コンスタンティノープルはどう戦うのか。また、頑丈な城壁で知られるかの都市をスルタンマホメット二世はどう攻略するのか。どちらにも肩入れせず、ただ、男たちの戦いぶりを描く著者の文章は、こう、なんというか、女性の目から見ると萌えますな。もちろんみんながみんなそうではないけれども、勇敢で責任感のある男たち、野心のスルタン、最後の皇帝コンスタンティヌスの気品、こういったものがふんだんに描かれていて、まあ小説ですから著者の男とはこうあるべきみたいな理想もはいってるだろうけど、だからこそ魅力的で面白かった。

歴史にもし、という言葉ほどむなしいものはないけれど、それでも後年資料からみるにつけ、つくづく運が作用するものだな、ということを感じた。
それにしても、私のお気に入りヴェネツィアのトレヴィザン提督は本当のところどうなったのだろう。あとで同じ名前が出てくるとはいうけれども、彼の名はトレヴィザン家では珍しくないともいうし。
コンスタンティノープルの陥落 (新潮文庫)
コンスタンティノープルの陥落 (新潮文庫)塩野 七生

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タグ:歴史小説
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2013年07月12日

万物の歴史 ケン・ウィルバー

前にこの著者の『万物の理論』というのを読んだことがあるが、今回読んだ本は前の本よりさらに読みやすくなってる。先にこれを読むべきだったのだろう。対話形式で書かれたこの本、おおまかには4象限の説明と、その進化について主に左上の個人の心の分野を例に発達の過程を説明していく。その後今の世界で何が起こっているのか、という話になるのだが、平板な世界フラットランドの話が印象的である。
啓蒙主義が解き放ったさまざまなくびき、差別や迷信や平等は人間を解放するかのように見えたが、その後ポストモダンの時代を経て、今人類はすべてが目に見えるもの、あるいは客観的といわれるもの、4象限でいえば右側に配置されるものへと還元されてしまい、人間の心や文化はそれらの植民地となってしまったという。すなわち深みの無いすべてが平面なフラットランドの登場である。
いつぞや、「人間は自らを家畜化した動物である」というのをどこかで聞いたことがあるが、フラットランドでまさに人間はその人の主観を剥奪されてしまい、すべてが平板な世界になってしまった。
フラットランドの世界では人間の知性を重要視する<エゴ>派にしろ、自然と一体化し大切にしようという<エコ>派も実は同罪なのだという。エゴはともかく、エコがなぜフラットランドの罪に加担しているかといえば、自然を目に見えるものに限定し、還元してしまっているからだという。そこでは人間も織物のなかの一本の糸にすぎないのである。

ケン・ウィルバーはこの二つの考えはお互い極端で統合しなければならないが、それは復古することとは違うという。復古とは統合ではなく差異化される前の混同されていた時代であり、それではなんの解決にもならないという。そしてまた、フラットランドに折りたたまれてしまった左側の象限を取り戻し、改めて右側と統合しなくてはならないし、それが進化なのだという。その左側を取り戻すことについても、もちろん古代の呪術や神話ではなく、より進化した段階へ進まなくてはならない。

そういえば、余談だが「ナチスがインターネットを手に入れたら狂喜してたでしょうね」とか書いてあるの、笑えなかったんだが。あ、そうそう、「なぜ人を殺してはいけないのか」とかいう疑問を持ってる人、これ読んでみるといいかもしれない。「全体は下位ホロンを維持する義務があるが、下位ホロンは一つの部分として全体を維持する責任がある。」という話は何かのヒントになりませんかね?(497pより)

ところで私はいわゆるサイキックと精神病の妄想のなにが違うのかということを疑問に思っていたのだけど、サイキックは段階の上への進化であり、精神病は初期段階への退行なのだということがこの本を読んで納得した。ま、これは自分への覚書。
万物の歴史
万物の歴史ケン ウィルバー Ken Wilber

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タグ:思想
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2013年07月07日

シャガール展にいってきた。

ツイッターで連続投稿してから、これブログに書いたほうがよかったんじゃないかと思った。
とりあえず、まとめだけしておく。






もちろん、見終わったあとは売店へ直行し、図録を買う。カラーで2500円は普通の書籍にしたら安いのでいつも買うのである。ハンカチかなにか売っていればよかったんだけど、あいにく布物はめがね拭きしかなくて、残念。一筆箋を購入した。
タグ:芸術
posted by てけすた at 11:05 | Comment(0) | TrackBack(0) | 芸術、音楽など| edit | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2013年07月05日

体癖 野口晴哉

以前、西洋人が書いた心と病気の関係についての本を何冊か読んだことがある。大抵は精神世界系列の本に分類されてるので、まああまり真にうけないほうがいいのであろうが、病気の傾向と心の傾向は関係あるという説は結構面白く読んだ。
で、病気は心と関係あるのかないのか、とか考えてるうちに、心が実は身体でという対談本を読み、そこで野口晴哉の名が出てきたので、ちょっと読んでみようかな、と手にしたのが『体癖』
これは人間の体の動かし方の癖を分類してその性向を解釈しているのだが、この体の癖というのは習慣的なものでなく、生まれつきの素質であるらしい。そしてある傾向の人は、ストレスがあると胃がやられるし、ある傾向の人はトイレが近くなる、といったようなことが書かれてあった。
私は整体のことは無知なのでこの中に書かれていることが実際そうなのかどうかわからないが、経験から得られたと考えられるこの分類はなかなか興味深い。自分がどの種類になるのかちょっと知りたくなった。
心が体に影響を及ぼすのではなくて、体が心そのものだという考え方を知って一周して元に戻ってきたなという感じ。結局、体=心に反逆するのが精神や意思ということなのか。しかし、反逆といってもそれも心のうちだしな。運命が決まってるのかどうかという話に近くなってきたぞ。

ところで、うんこ坐りでしゃがんでる若者たちを私が子供だったころはよく見かけたけれども、あの人たちは人間の一番原始の体癖ではないかという九種の人たちなんだろうか。
ちなみに著者は九種だそうで、ちょっと贔屓目に書いてあったような気がするのは気のせいか。
体癖 (ちくま文庫)
体癖 (ちくま文庫)野口 晴哉

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タグ:健康
posted by てけすた at 07:20 | Comment(0) | TrackBack(0) | 本 (国内) 小説以外の著書| edit | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2013年07月03日

ドリトル先生シリーズ2冊 ヒュー・ロフティング

『ドリトル先生アフリカゆき』『ドリトル先生航海記』を読んだ。時系列でいけばアフリカゆきのほうが先なのだけれども、航海記のほうは単独で読んでもそのまま話がわかるようになってるので、どっちを先に読んでも大丈夫。

『ドリトル先生アフリカゆき』
お医者さんのドリトル先生は大の動物好きで、ある日オウムのポリネシアに教わって動物の言葉がわかるようになります。ねこ肉屋は獣医さんにおなりなさいとアドバイスして、それからはもう評判の獣医さんになりました。そんなとき、さるのチーチーが私の国で病気が流行ってるのでなんとかして欲しいという話をきき、アフリカ行きを決めたドリトル先生の冒険譚。
そこはかとなく、人間の驕りが騙られていて、でもユーモアがあり、社会生活に疲れたときに読むといいなあ、なんて思いました。
ドリトル先生アフリカゆき (岩波少年文庫 (021))
ドリトル先生アフリカゆき (岩波少年文庫 (021))ヒュー・ロフティング 井伏 鱒二

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『ドリトル先生航海記』
今や博物学者になったドリトル先生。トミー・スタビンズという少年からの視点で話は進んでゆきます。彼がドリトル先生の助手になるまでのいきさつが語られ、念願かなって少年は航海に同行するのですが、そこで待ち構えているいろいろな出来事のあと、クモサル島での活動が描かれます。
構成的にはアフリカ行きより練られていて、特に後半のほう、王様になってしまったドリトル先生にいうオウムのポリネシアの説得が心を打ちます。子供だともしかしたらあまりぴんとこない部分かもしれませんが、義務感に縛られ、苦しんでいる人にはぜひ、ポリネシアの言葉に耳を傾けてもらいたいものです。
ねえ、先生。王さまの事務は先生の一生のうちの、ほんとうのお仕事ではありません。住人たちは先生なしでもなんとかやってゆきますでしょう。

「私がサポートしないと」というのは大切なことではありますが、もしそれが自分の責任感だけから来ているもので、本当は別の仕事をしたいのであればその心に忠実になる、もしかしたらそれが世界を幸福にするための一歩なんじゃないかと思うわけです。
著者がこのシーンを入れた意図は知りませんけれども、私はそんな風に感じました。
ドリトル先生航海記 (岩波少年文庫 (022))
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タグ:児童書
posted by てけすた at 14:13 | Comment(0) | TrackBack(0) | 本 (翻訳もの)| edit | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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