2013年06月27日

トニオ・クレーゲル/ヴェニスに死す トーマス・マン

人間、いろいろな性質を抱え込んでるものだけれども、相反する資質が相克して本人を悩ます事態は結構大変なことだと思う。ここに収められた2篇はどちらの主人公もそういったものに悩まされるのだが、『トニオ・クレーゲル』のほうは希望が見えるのに対し、『ヴェニスに死す』は破滅の道をたどる。これは主人公の年齢のこともあるかもしれないけれども、人生に対する姿勢の違いも関係しているだろう。

『トニオ…』においては、自分は異端でその社会における望ましい典型的な人物(金髪碧眼で平凡な市井の人々)に憧れるが、彼らはトニオにそれほど興味を示さない。トニオは自分の中の相反する性質に苦労するけれども、異端側である感性を芸術に振り向けて成功する。ただ、女友達に宛てた手紙の中で、やはり彼は平凡な人たちへの憧れを改めて認識し、俗人への愛情を吐露するところがちょっと心打たれた。この作品は小自伝的とのことらしいが、ひたすら俗を排する芸術を好まず、自分の中の俗を愛したからこその文学なのだな、ということが納得された。

『ヴェニス…』においてはひたすら峻厳な知性で貴族の称号まで獲得した初老の作家が美少年に魅せられてしまう。ここでは相反する資質の片一方を殺していたために、その復讐に出会ってしまったような趣がしてなかなか興味深く読んだ。
まあ、知性一辺倒の人間の詭弁なのかもしれないけれどもソクラテスがパイドロスに話したように
愛する者は愛せられる者よりも一層神に近い、なぜなら愛せられる者の中に神はいないのに、愛する者の中には神がいるのだから

と考えてる部分はわりと好きだな。まあユング心理学でいえば、愛する者は愛せられる者の中に神を見るのだろうということなのだけども。
トニオ・クレーゲル ヴェニスに死す (新潮文庫)
トニオ・クレーゲル ヴェニスに死す (新潮文庫)トーマス マン 高橋 義孝

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タグ:ドイツ文学
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2013年06月25日

ゴドーを待ちながら サミュエル・ベケット

あまりにも有名すぎるので感想をどう書いても陳腐なものにしかならんだろうな、というか今まで独創的感想を書いたことがあるのか、お前は、というツッコミを自分でいれつつ、でも読んでいていろんなことが想起される本はあまりないので、適当に思ったことを書くことにした。

ゴドーはやっぱり陳腐だけど、神のことなんだろうなとか最初に思いつつ、待つ二人、投げやりなエストラゴンとゴドーを信じて待ち続けるヴラジーミルはなんだか一人の人間の表と裏のような感じがした。
私なんかそうなんだけど、神なんてこないしどうでもいいやと思う反面、いや神はやってくるという思いもどこかにあって、二人の投げやりな暇つぶしのような会話を読んでると、そのまま自分のくだらない思考と重ね合わさってくる。
ラッキーとポッツォは何者なのか。
よく、神や仏はいろんな姿をして現れる、なんてことがいわれているけれども、もしかして、とか思っていたら、そういうことも戯曲の中にちゃんと入ってて、こちらの思惑などお見通しだ。
まあ、人間の考えることというのは多彩なようでいて結構似てたりするものだから、慧眼な人ならばその似ている部分を取り出すことなどわけないだろう。

ああ、それにしても、ゴドーを待つということはなんと手持ち無沙汰なことか。ヒモでぶら下がりたくなる気持ちはわかる。しかし待ち続けるのは一体なんでだろう?そこになにかしらの期待があるのか?
これは何回も再読してもきっと答えは見つからないだろう。だからこそ何回も読みたくなる。
芝居は見たことないんだけど、どうなんだろうね?
爆笑コメディとか紹介されたら確かになんだこの芝居は、とか思ってしまうよね。
とかいいつつ一度見に行ってみたくはなった。
地方はこういうとき上演の機会がなかなかないのでちょっと残念なことである。
ゴドーを待ちながら (ベスト・オブ・ベケット)
ゴドーを待ちながら (ベスト・オブ・ベケット)サミュエル ベケット 安堂 信也

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おっと、新書で出たばかりなのですね。
こちらも紹介しておきます。
ゴドーを待ちながら (白水Uブックス)
ゴドーを待ちながら (白水Uブックス)サミュエル ベケット 安堂 信也

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タグ:戯曲
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2013年06月21日

吸血鬼イメージの深層心理学 井上嘉孝

夢の解釈というのはなかなか難しいものだな、と著者があちらこちらから引用してくる夢についての解釈法を読むとそう思う。単純に目覚めているときの外界とすり合わせるのではなく、夢そのものを吟味する。というとなんか分析するようになってしまうが、そうではなくてイメージに寄り添っていくことが大切なようだ。かといって理解できないようでは夢の意味はつかめないのであってその兼ね合いが難しい。
その点を踏まえて、著者は一つの吸血鬼の夢から、拡充法で歴史的にイメージされた吸血鬼の様子と、こころの歴史性を語り、吸血鬼というイメージが実は現代人の自己の根源をたどる困難さと関連していることを指摘する。

吸血鬼は太古、人食いのイメージと関連が深い。その後東欧において死体が生き返って近親者を襲うという伝承があり、それはリアルなものとして受け取られていたのだが、啓蒙主義時代を経て19世紀になると科学的思考の台頭とともにそれはフィクション化した。しかし、そのフィクションは人々の心に深く影響しているものとみえ、ホラーに出てくる怪物から、異界の怖いが魅惑的な敵、そして人間化した内省する存在へと変貌を遂げてゆく。そのあたりの考察は大変詳しく述べられていて、現代日本のマンガなどにもたくさん登場するほどの人気は、吸血鬼というキャラクターが普遍的になった証拠でもある。

一方、ひとのこころの歴史性をたどってみれば、太古、統一したパーソナリティという概念をもたず、外界に神々と異界を持っていた古代人が中世には罪をもつ人間として教会を通じた異界との接触があり、やがて無意識の発見とともに、人々は外在する異界を信じなくなり、それはすべて心の中の無意識という内界に閉じ込められてゆく。いわば、個人として世界を担わなくてはならなくなったのが現代人で、自分の中に異界を抱え込んだ結果、神経症や精神疾患といったものが出てくるようになった。

こうして吸血鬼の歴史とこころの歴史性を並べてみると、それはパラレルになっていると、著者は述べる。たぶんこころの歴史性の変化を受けてというか、因果論的でなく二つは変貌を遂げていったのであろう。吸血鬼モノの話が未だに人気があるのもこのあたりに由来しそうである。
現代キャラとしての吸血鬼の出自の苦悩はそのまま現代人の出自の苦悩とリンクするのではなかろうか。
こうして異界を自らのうちに閉じ込めてしまった反動はこれからやってくるように私には思える。もちろんそれは太古へ逆戻りするわけではないのだが、カールセーガンが書いた「悪霊にさいなまれる世界」において宇宙人とのコンタクトの話が取り上げられている。あれはもしかしたら内側の異界をあらたに外側へと押し出すカウンターなのかもしれないな、と思った。
吸血鬼イメージの深層心理学: ひとつの夢の分析
吸血鬼イメージの深層心理学: ひとつの夢の分析井上 嘉孝

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タグ:心理学
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2013年06月15日

文明崩壊(上)(下) ジャレド・ダイアモンド

人類が各地で切り開いてきた文明社会のうち、過去、崩壊したものの幾つかを検証し、現代社会における問題を提起するというなかなか面白い本だった。
著者の調査と研究から、文明が崩壊していく要因に環境破壊は外せないが、そのほかにも社会的な要因、近隣との関係も影響するということが言われている。
イースター島などは環境破壊によるものだが、ビトケアン島とヘンダーソン島は交易していた島が危機に陥ったために結果的に存続できなくなった。また、一番詳しく書かれている、ノルウェー領グリーンランドの悲劇は文明崩壊の5つの要因(環境被害、気候変動、近隣の敵対集団、友好的な取引相手、環境問題への社会の対応)がすべて含まれている。

これら過去の文明崩壊から学ぶことは多い。
著者は過去の話を始める前に、アメリカのモンタナ州の現状を詳しく書いている。そこには決して楽観できない問題がいろいろ書かれているのだが、それから過去の事例を読んでいくうちに、それが決して今とは無関係でないことが徐々にわかってくる。
ニューギニア高地、ティコピア島、江戸時代の日本という崩壊を免れた例も取り上げ、楽観はできないが乗り切った例があることも示しているのであるが、それにしても、そこからまた現代の環境問題について中国やオーストラリアの例が挙げられると、つい悲観的に考えてしまう。
それでも著者は、滅びないで持ちこたえてきた文明はあることだし、方策がないわけではないという展望を経て、この著をあらわすことにしたというので、短期的に結果が見いだせなくても、子孫のために今、一般人でもできる小さなことを提示して、環境保全のための努力を訴えている。

なにしろ、オランダの例を挙げて、地球は今や孤立した環境で、もしここがだめになっても避難する場所などないのである。いわば一蓮托生。また環境問題や人口問題の厳しいところは結果として政情不安定を招き、望まない非情な結果が待ち受けている可能性が高くなる。それを回避するためにも、環境問題に関心を持つことは長期的に自分たちの利益になるものなのである。
文明崩壊 上: 滅亡と存続の命運を分けるもの (草思社文庫)
文明崩壊 上: 滅亡と存続の命運を分けるもの (草思社文庫)ジャレド ダイアモンド Jared Diamond

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文明崩壊 下: 滅亡と存続の命運を分けるもの (草思社文庫)
文明崩壊 下: 滅亡と存続の命運を分けるもの (草思社文庫)ジャレド ダイアモンド Jared Diamond

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タグ:社会
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2013年06月09日

こころの最終講義 河合隼雄

京都大学の最終講義をはじめとして五篇の講座、講義をまとめた文庫本で、あとがきでは講演については文字にすることを拒絶してきた河合先生は講義や講座については伝えたいことを話すという形式なので本にすることを承諾したという意味のことをかいてらっしゃった。

講義や講座というとちょっと難しいイメージがあるが、河合先生の話はすっと腑に落ちるような内容で一般人でもわりとわかりやすいのではないかと思う。
五篇に共通しているのは「物語」ということ。
近代科学が発達し、人は随分と合理的思考になったようにも思える一方で、迷信としか思えないような考え方が、偽科学やオカルトの形を借りて生き残っていたりする。
私などはバカだから、すぐなんでも鵜呑みにしてしまうほうなんだが、科学的な考え方のなんというか切り捨てられた感じと、迷信に代表される妄想的な感じのどちらにもなじむことができず、一体自分は何をどう考えたいのだろう、ということを若いときから思っていた。
そんなとき、河合先生の本に出会って、その二つの相克をどう考えるか、という面で随分と参考になったことは確かだ。
時を経て、河合先生が出した一つの結論が、「物語」ということのようである。ようは自分の心の中で作られ心の支えになるようなあらすじ、そういったものが悩み多き人々の救いになるのでは、と考えたのである。

そう考えると、なぜ神話が存在し、たくさんの文学が生まれてくるのか、その理由がつかめるのではないだろうか。
宗教がもはや万人向けの物語になれなくなった今、また科学も実は一つの物語に過ぎないのではといわれる今、各人がなすべきことは、自分自身の物語を見出すことなのであろう。そしてそれは客観的真実なのではなくてあくまで「物語」なのであること。これを認識していかなければ、「自分の物語」を人に押し付けて衝突しかねない。
そんなことを本を読みながら考えた。
こころの最終講義 (新潮文庫)
こころの最終講義 (新潮文庫)河合 隼雄

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タグ:こころ
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2013年06月04日

聖痕 筒井康隆

リビドーがない、ということはどういうことなのか、半ば思考実験のような設定で五歳にしてまがまがしい災難にあう主人公貴夫。
読んでいて、ああそうなのか、と思ったのは、性器の欠損はむしろ女性関係よりも男性同士の関係で過酷な試練に耐えなければならないのだなあということ。まあ他の欠損をもつ人も過酷な差別にあうだろうけど、私は性の場合、ぼんやりと異性関係に影響してくるんだろうなと思っていただけに、男性というのはことのほか他人のこういうことを気にするものなんだ、と思った。それが恐らくいろんな意味で権力欲や所有欲など副次的な欲を生み出すんだろう。

貴夫は聖痕があるほかはほぼ完璧な人間である。いや、聖痕があるからこそ完璧に近い人間になったのか。
他人への関心があまりない彼にとって向かうのは、自分自身の生を養うものへと向かう。いろんな料理がたくさん出て来るんだが、いまどきこういう食生活を送っている人はそうそういないだろうなあ。
弟の登希夫が不良の友人二人を連れて貴夫とともに料亭へ入るシーンがあるんだが、ファミレスやコンビニの味に慣れきった友人二人は食べつけない料亭の味にへどもどして、登希夫が激怒するシーンがおかしかった。
不良でもいいもの食べてるんだなあとか思ったり。

私意外と登希夫に共感するところがある。出来の良い兄貴の影で暴れるしかなかった彼のこと。こらえ性のないところなど、どことなく自分の欠点に似てなくもないんだよね。でもそれはおそらく普通の人間に共通するところなんだと思う。

どこで見かけたんだかわすれてしまったんだが、中井久夫が自身の成長期について身体のことを「むりやり戦士にさせられるような」という意味のことを書いていた。男性は無理やり戦士にさせられ争って生きてゆくのだとこのときそう思ったのだが、「喧嘩ができない」といった貴夫。彼は戦士にさせられるのを免れた。禍福は糾える縄のごとしとは言うけれども、フィクションながらほんとにそうだなあと思わずにいられない。
聖痕
聖痕筒井 康隆

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2013年06月02日

易経(上)(下)

占いでおなじみの易というのは、四書五経のうちの易経から来ていることは知っていたが、なぜ占いごときがそんなえらい経典に入ってるんだろうな、という疑問をもち、しばらく前から少しずつ読んでいた。
占い方はともかく、その解釈が結構面白い。
いわば、六十四卦を通じて、自然から人間社会の事象までを表現しているのだといってもよい。
こんな解釈をよくぞ考え付いたものだと随分感心した。
あの佐久間象山が易に詳しかったという話を不思議に思ってたのだけど、なるほどなあと思う。

ところで、易はよく当たるという話を聞く。
ユングなどは共時性をもちだして、この現象を説明してるけど、面白いことに確かにびっくりするくらい的確に将来を言い当てることがあるんだな。

昔、有名なオカルト雑誌の付録にイーチンタロットというのがついていて、それで転職の見込みを占ったことがある。そのときは、10月に決まる、という結果がでたのだけど、それより早く決まったのでなんだ当たらないじゃん。とか思っていた。
ところが、私はとある事情でその決まったところをすぐやめて、改めて探して入ったのが10月だったのである。
これでへえ、なんて思ってたけど、この本を読んでいる最近にもちょっと面白いことが。
易経は毎日1卦ずつ読んでいたのだけど、ある日、図書館の近くにあるドラッグストアで買い物したいからでかけようかな、と考えていたときに、ふと、今日読む箇所はどうなってるのかな、と思ってみたところ、まったほうがいい、という内容のことが書いてあった。
別に急ぎの買い物ではなかったので、じゃあ、出かけるのはやめて家で過ごしていたところ、1時間くらい経過した頃かな、図書館から電話がかかってきて、予約していた本がきましたよ、と連絡が入った。その本はいつ来るかわからない相互貸し出しの本だったので、へえ、と思った。
あのまま出かけてたら電話くるのも知らないで2度足踏むことになってたんだな、と思うとなんか面白い。
易経〈上〉 (岩波文庫)
易経〈上〉 (岩波文庫)高田 眞治

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易経〈下〉 (岩波文庫 青 201-2)
易経〈下〉 (岩波文庫 青 201-2)高田 眞治

岩波書店 1969-07-16
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タグ:中国思想
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