2013年04月22日

生きたことば、動くこころ 河合隼雄語録

本書は1974~76年にかけて京都大学臨床心理学教室での事例検討会における河合隼雄のコメントをまとめたもの。事例のほうは一切収録されておらず、コメントだけなので普通は文脈がわかりにくいはずなのだが、これがなぜか一般論としてわかってしまうところが河合隼雄のすごいところだ。
セラピストはこんなときどうしたらよいのか、ということが多いので、河合版「こんなときわたしはどうしてきたか」だなあと思った。
しかし、これはセラピストだけでなく一般読者が読んでも随分参考になるところがある。
実際、カウンセリングやセラピーは特別な空間の中での出来事だから、これを一般社会で使うわけにはいかないものが多いが、こういうときはこんなことがある、ということがなんとなくでも知っていれば、それはまた随分と受け取り方が違ってくるだろう。
わたし自身が参考になったのは、たとえば「グループの中での傷つき」というところで、メンバーの傷つきに配慮することが求められつつも、最後にこう結んでいるところ。
「(傷つかないですむ)けど、そのかわりに下手すると、人間って傷つかないと成長しないんです。だから、そこのところの兼ね合いの取り方が非常に難しい。」
そうなんだよね。言われてみると。

セラピストでない人間はこの言葉を他人にそれも一般社会で行うのはあまり適切ではないけれども、セルフカウンセリング、というものができるとしたならば、自分にそれを適応してみるのは面白いかな、と思う。
実際、先ほどの例のようなことを読むと、ほんとそうだ。自分は傷ついてしまうことを恐れたり傷ついたことを嘆いたりするがそれはひょっとしてなにか成長するきっかけになるかも、と考え方を転換することもできる。

いつか岩波文庫で出して欲しいな。そしていつもかばんに入れて折に触れて読み返してみたくなる本だ。
生きたことば、動くこころ――河合隼雄語録
生きたことば、動くこころ――河合隼雄語録河合 隼雄 河合 俊雄

岩波書店 2010-08-28
売り上げランキング : 297051


Amazonで詳しく見る
by G-Tools


タグ:心理学
posted by てけすた at 12:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 本 (国内) 小説以外の著書 | 更新情報をチェックする

2013年04月19日

サラエボ旅行案内―史上初の戦場都市ガイド

文化的サバイバル
包囲された街は文化でみずからを守り、そして生き延びている。グループが、そして個人が、街が包囲される以前から携わってきた創造行為を今も続けている。
不可能に近い状況のなかで、彼らは映像をつくり、本を書き、新聞を発行し、ラジオ番組をつくり、カードをデザインし、展覧会や公演を催し、街の再建のための青写真を描き、新しい銀行を見つけ、ファッションショーを企画し、写真を撮り、祝日を祝い、生活の体裁を保っている。
サラエボは未来の姿を映す街、戦乱ののちの生活がどういうものであるかを示す街である。この街の、破壊された古い文明の上に、都市文明の残骸からつくり上げられた、新たな、今までのものにとってかわる文明が芽生えつつある。サラエボは未来派コミックの世界、SF映画の世界を具現しているのである。(p89)

この本はサラエボ包囲時の都市の様子を旅行案内仕立てで記録している。ユーモアでなければ語れないことというのはあるものだ。この中で「文化的サバイバル」と題された一節は人間が人間たる方法でこの悲惨な出来事に対抗しようという姿勢がうかがわれ、不覚にも涙が出てきた。文化はなぜ必要か、その答えがここにある。
サラエボ旅行案内―史上初の戦場都市ガイド
サラエボ旅行案内―史上初の戦場都市ガイドFAMA

三修社 1994-11
売り上げランキング : 58038


Amazonで詳しく見る
by G-Tools

posted by てけすた at 11:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 本 (翻訳もの) | 更新情報をチェックする

2013年04月18日

万物の理論 ケン・ウィルバー

世の中にはいろんな学問があってそれらはお互いに矛盾することをいいあってるような気がする。にも関わらず宇宙の仕組みは一つであるような気がしていた。一体何が正しいのだろう?
そんな疑問に答えてくれるのがこの本である。
いや、何回もいうけれどケン・ウィルバーという人は本当に頭が良い。
この本では人間の内面から宗教、社会、科学とほぼ考えられる学問について考察し、それらが四つのグループに分けられるとした。十字に境界線を区切ると、向かって左側は内面性、右側に外面性。そして境界の上は個人で下が集団となる。たとえば心理学は左上だし、物質を研究する科学は右上、文化は左下、政治経済は右下という区分になる。
そして、各学問はそれぞれ属する象限にのみに気を取られ他の象限について考えない場合が多いのだ。
さらに、宇宙はホロン(それ自体全体だが、より大きなレベルの部分という構造)でできており、人間の発達を8つの段階ミームを経て進んでいくものとする。それは下のレベルは上のレベルに包括されてゆく図式だ。
ゆえに、下のミームが崩壊してしまうと上のレベルのミームも壊れてしまうことが起こる。
調和と全体性を求めながら分裂してしまうのは、このミームという階層で考え方が違うからだということが挙げられるが、近年問題になってるのが、多様性と相対性のグリーンミームの害である。ポストモダンの考え方に代表されるこの層は、すべては相対的だということで階層を破壊しフラットな世界を作り上げる。ところが、下の階層を破壊するということはグリーンミーム自体の崩壊を意味する。そして意味の無くなった分裂した世界だけが残ることになる。
リベラリズムの罪はこのグリーンミームの害にある。秩序を作ろうとしてもグリーンミーム層が抵抗勢力となってしまうのだ。

というようなことをつらつら読んで、なるほどなあ、とかつい感心してしまった。全体が調和するとはすべてが平等で同じなのではなくて、階層と秩序を保持しなくてはならない。なぜなら、人間は誰しも一番下の生存のミームから始めなくてはならないからだ。
要は、人によって差があるのは当たり前なんだが、グリーン以下のミームは自分たちの価値をあわないものを放逐してきたために、迫害や戦争が起こる。しかしグリーンミームのやり方もやはり分裂を引き起こしてしまうのだ。階層と秩序は大切だが、それを差別の対象にすることがおかしいのだな。
と、よくよく考えると、なんだか当たり前のことをいってるんだけど、あまりいろんな議論を聞いてるとわけわからなくなるよね。それをすぱっと整理したウィルバーはやっぱり凄いわ。
万物の理論-ビジネス・政治・科学からスピリチュアリティまで-
万物の理論-ビジネス・政治・科学からスピリチュアリティまで-ケン・ウィルバー 岡野 守也

トランスビュー 2002-09-20
売り上げランキング : 123804


Amazonで詳しく見る
by G-Tools

タグ:思想
posted by てけすた at 11:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 本 (翻訳もの) | 更新情報をチェックする

2013年04月16日

後鳥羽院 丸谷才一

短歌の鑑賞の仕方がよくわからないのでこのような本を果たして自分は読むことができるのだろうかと危惧していたが、読了してみれば、却って短歌の鑑賞とはこのように行うのかと勉強になった丸谷才一の『後鳥羽院』。
本書は後鳥羽院の歌の解釈と、その人となり、また歌の詠まれた背景などを解説してくれる。それはまるで言葉遊びの解答をしているかのような解釈、後鳥羽院の気性と置かれた立場から推測する歌の真意の推測に満ちていて歌を知らない読者でも十分楽しめるような親切設計なのである。
著者によれば後鳥羽院の歌は「前衛性、実験性を失うことなしにしかも歌謡性を保ったこと」が最大の手柄であるという。つまり掛詞による幾重の解釈が可能なその手腕と、そのくせ歌いやすいわかりやすい言葉遣いで詠んでいるということらしい。
このあたりは鑑賞してもよくわからないのでそうなのかな、と納得するしかないのであるが、でも短歌もこうして解釈つきで鑑賞していくなら結構面白いものだな、ということを思った。

しかし、こういう歴史上の人物についての本にはときに、ええそうなの?と思うようなことが描かれていて刺激的だ。
保田與重郎という人が隠岐配流をナポレオンの流刑に重ね合わせて論じていたことを取り上げて、後鳥羽院にはこういう敗北の英雄じゃないけれど、そういうセンチメンタルな志向があったのではないかというような意味のことを述べている。
もっと有体にいってしまえば、配流を夢見ていたのではとまでいっているのだ。
いや、悲劇に酔う後鳥羽院。
まあ、詩人だったらわからないこともないが、しかしなあ。一方で尚武の気風もあって承久の乱において天下を取り戻すことも考えていたそうであるし、このあたりなかなか複雑。
でも、こういう背景から考えると、俊寛などと違って結構配流生活をエンジョイしてたのでしょうなあ、なにせ自分が配流されてるというのは歌の題材に事欠かないだろうし。
後鳥羽院 (1973年) (日本詩人選〈10〉)
後鳥羽院 (1973年) (日本詩人選〈10〉)丸谷 才一

筑摩書房 1973
売り上げランキング : 620359


Amazonで詳しく見る
by G-Tools


ちくま学芸文庫で新しくでましたね。
後鳥羽院 第二版 (ちくま学芸文庫)
後鳥羽院 第二版 (ちくま学芸文庫)丸谷 才一

筑摩書房 2013-03-06
売り上げランキング : 96075


Amazonで詳しく見る
by G-Tools


タグ:日本古典
posted by てけすた at 12:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 本 (国内) 小説以外の著書 | 更新情報をチェックする

2013年04月10日

明治かげろう俥 山田風太郎

小学館文庫時代小説選集3に収録された作品は、明治小説などの時代ものを書いていた時期ではなくて、まだミステリーを書いてた初期の頃に書かれた明治時代の短篇を集めたもの。
こうして読んでみると、初期に書かれたといっても後に書かれる明治小説とそれほど遜色がないことに驚く。山田風太郎は若い頃から小説家としては完成されてた部類にはいるのだなあという感を改めてもった。

さて、本文庫には6編収録されているが、一番長い『明治かげろう俥』は一夜にして英雄になった庶民の運命を描いていて面白い。初めて読んだときはなんでこの車夫たちはこんなにも愚かなのだろうと思ったのだが、再読してみると、人間の弱さというものがひしひしと感じられて、もうこの車夫たちを愚かだとさげすむことはできなかった。
山田風太郎は人間の愚かさや弱さをその小説の中に盛り込んでゆくことが多いが、この小説はそれがひときわ感じられるのは、主人公が私には身近に感じられたせいもあるからだろうか。
だからこそ、最初はその愚かさに腹立たしい気持ちがしたし、今回再読して確かに愚かには違いないのだが、そこでももがき生きつづける人間の業になにやら心が打たれるのである。
ええ、私は向畑治三郎のことをいっております。それからお葉のことも少し入ってるかな。
だいたい、私は『居眠り磐音』でも武左衛門に惻隠の情を覚えてならんのだ。治三郎も武左衛門と重なってやっぱり惻隠の情が湧いてしまうのである。

あらすじは以前の記事に書いてます。
http://tekesuta.seesaa.net/article/120179783.html

明治かげろう俥: 時代短篇選集 3 (小学館文庫)
明治かげろう俥: 時代短篇選集 3 (小学館文庫)山田 風太郎

小学館 2013-04-05
売り上げランキング : 2761


Amazonで詳しく見る
by G-Tools

タグ:明治
posted by てけすた at 07:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 本 (国内) 山田風太郎 | 更新情報をチェックする

2013年04月08日

クーデタ ジョン・アップダイク

アップダイクの作風をよく知らんで、オビのアフリカやらイスラムやらという文言につられて読んでみたんだが、まあ中身はアメリカたっだ。
この話の主人公であるクシュのエレルー大統領はクーデタによって政権をつかんだわけだが、5年もの旱魃に悩まされている。外国からの援助を求めるのが現実的なんだが、イスラムでマルクス主義に凝り固まってる彼は視察で拾った女性の進言を受け入れて前の王の処刑という呪術的な方法をとる。が、事態は好転しない。
お忍びで出歩いて視察する彼、彼の4人の妻のこと、そして学生時代に過ごしたアメリカの情景が絡み合ってちょいと幻想的な雰囲気をかもし出す。
このアメリカの描写が多くて、まあ、アップダイクがそういうアメリカの文化を書かせて一級だということは解説で知ることになる。ということで自分が期待していた内容ではないという点では失望した。
ところが、小説というのは面妖なもので、時にたぶん著者も意図しなかった部分であるものについてかなり穿った本質をついてくる場合がある。
1978年に書かれた当時は米ソ中がにらみ合ってる中、己が陣営に第三国を取り込もうと暗躍していたであろうということで、その様子が出てきて、結果アメリカが勝利していく。
しかし、これを21世紀になってから読むと、なんとグローバル化する世界のこりゃ戯画じゃありませんか。
エレルーは懸命にイスラムの世界を壊さないよう、アメリカの息がかかったものは極力排除していくのだが、物質的利便さはじわじわとアメリカ文化の侵入を許してゆく。統治するのにそのほうがやりやすいということで側近たちもエレルーを影で裏切りはじめ、アメリカ資本と手を結んでゆく。

1978年当時エレルーの言葉はどのように捉えられたのだろうか?やっぱり世迷言として取られたであろうか?
しかし、2013年に私がこれを読むと、エレルーの考えは極端ではあるけれども、どこか共感したくもあるのだ。(でもやはり私も利便さには叶わないから新政府がアメリカと共同で用意するさまざまな施設は歓迎してしまうだろうなあというのも本音)
クーデタ (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 2-5)
クーデタ (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 2-5)ジョン・アップダイク 池澤 夏樹

河出書房新社 2009-07-11
売り上げランキング : 457831


Amazonで詳しく見る
by G-Tools

posted by てけすた at 12:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 本 (翻訳もの) | 更新情報をチェックする

2013年04月05日

無境界 ケン・ウィルバー

世の中にはほんと頭のいい人っているね。
いろんな宗教や心理学や哲学があって、苦悩する人に対するセラピーもたくさんあるが、それがてんでばらばらに見えて一体どれがどうなってるの?という疑問があった。
ケン・ウィルバーの『無境界』はそれを整理しナビゲートしてくれる。
苦悩や争いが起こるのはなぜか?それはもともと一つであるところの統一意識から次々と境界を設けていってそこで抵抗するために争いが起こるからだ、ということを述べている。それは有機体VS環境、心VS身体、仮面VS影というように細かくなってゆく。それをまとめたのが意識のスペクトルという概念。
いろいろなセラピーが矛盾するように見えるが、実は扱う意識のレベルが違うためにそのようなことになるのだという。

ということでなんだかよくわからなかった人間存在のさまざまな理論がこうしてすっきりとまとめられてしまう。
いや、あんなにごちゃごちゃしてるのをこうしてまとめてしまうなって、なんて頭がいいんだろう、と思った次第。

しかし、確かに分割というのは知らず知らずのうちに意識の中で行っているようなものだ。境界の外側に追いやられた概念は敵となる。こうして我々は自分自身の一部を敵として相手に投影してしまうのだ。
それにしても今更ながらフロイトは天才だったのだな、と思わないでもない。
ここで使われてる、境界の概念というのは、フロイトが発見した無意識と自我の構造そのものではないか。ケン・ウィルバーはそれはさらに拡大して応用してみせたのだ。

この本は各種セラピーの案内ともなっているため、どうしたら境界から抜け出し新しく自分自身を統合しなおすことができるかという方面に力点がかかっており、なぜ人は境界を設けてしまうのか、という理由については触れられてない。そのあたりのことどの本を読めばわかるのかなあ。
境界を設けてしまう理由なんて知らなくてもいいんだろうか。
無境界―自己成長のセラピー論
無境界―自己成長のセラピー論吉福 伸逸 ケン・ウィルバー

平河出版社 1986-06
売り上げランキング : 150385


Amazonで詳しく見る
by G-Tools

タグ:心理学
posted by てけすた at 14:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 本 (翻訳もの) | 更新情報をチェックする

2013年04月03日

銀の匙 中勘助

中勘助は物を媒介としてその想像力を発揮するタイプの人のようだな。
始まりは幼い頃使っていた銀の匙の発見からだし、大切にしまわれたおもちゃの話などが出てくる。
想像力のきっかけとしてのものは他人からみればそれほど風変わりのものではないのだが、実は幼少時代の思い出もそういった小さなおもちゃにどこか似たところがないだろうか。
その小さなものが著者の手にかかると大人になってもう覚えていないであろう子供時代のことが生き生きとよみがえってきて、ああ、子供時代もいろいろあったんだなあ、なんて思い出すことになる。
まあ、それは読者のほうが引き出された感情ではある。

お守りをしてくれたおばさんや女の子とばかり遊んで、荒々しい遊びの場面はあまり見受けられない。また男の子として育つにはどうなんだろうと兄が指導(?)するので辟易とするシーンもある。いわゆる男の子らしさとは真っ向から対立した彼の資質は、その内面を驚くほど豊かに表現する力を与えていたと思う。
子供時代の人間関係は素朴だと我々はつい思ってしまうが、そうではないこと、そこには大人と同じ感情があり、それを子供なりの方法で過ごしていたことなどが思い出されてくるのではないだろうか。
また、日清戦争時分の考え方に幾分子供らしくはあるが、反抗してみたり、既成の修身に対する反抗など、その中には、世間一般に流布する価値観への大いなる懐疑が芽生えており、この本が面白いのは、大人になってからの自己規制に捉われることなく子供時代を描ききったところにあるんだろうな、と思う。
銀の匙 (岩波文庫)
銀の匙 (岩波文庫)中 勘助

岩波書店 1999-05-17
売り上げランキング : 3561


Amazonで詳しく見る
by G-Tools

タグ:人間
posted by てけすた at 11:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 本 (国内) 明治 | 更新情報をチェックする