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2013年02月26日

ブッダのことば―スッタニパータ

仏教の経典の中で最も古いもので、ゴータマ・ブッダのことばに最も近い詩句を集成したというスッタニパータ。読んでみるとわりとシンプルで、常に目覚め、欲望にとらわれることなく、執着せず、ただ独り歩め、といったような内容が印象に残る。
苦しみに捉われることなく、というばかりではなく、歓喜すら束縛されるものだからそれに捉われるな、というのも徹底した無の境地、というと禅みたいであるが、あらゆる縛りから抜けるためにはあらゆる感情のとりこになってはいけないということなんだろうな、と思う。

このような考え方は一体どういうものから由来しているのかな、と思ったんだが、注釈のほうにインドの気候と関連づけた説が載っていて、それによれば、農業を行うにあたって、かの地ではそれほど労力を必要としないため共同での労働を行う必要が乏しい。また、インドにおいては衣服と住居においても積極的に外的自然に働きかける必要が少ない。ということは各個人の生活は他人に依存する度合いが少なくなるわけで、孤立的となる傾向があり、インド人は孤独を楽しむという。こういった徹底的個人主義を理想とするのは仏教成立時のバラモンにも見られたことであるとのこと。

ということを読んで、全然関係ないことを連想したんだけど、暑いときってあんまし人に会いたくないな。独りでだらけていたい。逆に寒いとなんとなく人恋しくなる。
やっぱりインドは暑いから、あまり群れることはしたくなかったんだろうなあ、なんて思った。
いや、もちろん、共同生活において、お互いにいたわりあうことは大切だということも書いてありますよ。
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2013年02月24日

ドン・キホーテの心理学 サルバドール・デ・マダリガーガ

この本はドン・キホーテについての解説のほかに、セルバンテスについてもある程度詳しく述べられていて、その当時のことをよく知らない人間にとってはドン・キホーテの書かれた背景などもわかって面白い。
そもそも、セルバンテス、当時流行った騎士道物語を追放するために書いた、などと息巻いていたのだが著者によればそうではなく、たとえば当時人気のアマディス・デ・ガウラ一族に張り合ってやろうという野心があったのではないか、などと言うのである。ところがそれがどういうわけかユーモアのセンスにひかれていつの間にかパロディとなってしまった。とにかく著者は同郷作家という贔屓があるのかないのか、セルバンテスの天才性をこれでもかと鼓吹し続けるので、まあちょっと大げさなのではないかと思わないでもない。

しかし、小説自体の解説になると、これがかなり興味深い。前にナボコフの解説本を読んだときにはその美的な部分が強調されていたが、マダリアーガは登場人物の心理の解説が主な論旨になっている。

著者マダリアーガによれば、ドン・キホーテとサンチョは一つの性格で同じ役割を続ける人物ではなくて、お互いに影響しあって変動していくという。
具体的にはサンチョ化するドン・キホーテの下降と、ドン・キホーテ化するサンチョの上昇というのがそうである。
前篇ではドン・キホーテの信念(妄想)にサンチョが従う形で進んでゆくが、後篇になると名声というものを知ったサンチョが虚栄心にまみれ、徐々に自分を大物とみなすようになる。サンチョにとって主人ドン・キホーテはもはや頼る人物ではなく、彼の虚栄を満たすために必要な人物にしか過ぎなくなる。一方、徐々に信念に対し懐疑的になってきたドン・キホーテはもはや自発的に旅立とうとはせず、サンチョの信念に煽られる形で旅に出ることになるのである。
この過程を、豊富な引用で解釈してみせるのだが、高尚で抽象的な言葉遣いのドン・キホーテが徐々にサンチョ化して最後には諺を並べまくるようになるところまで引用されると、なかなかに悲哀を感じる。
一方、サンチョといえば、下世話な会話は相変わらずだが、妻に「なにいってるのかわからないよ」といわれるほど、主人ドン・キホーテの抽象的な言葉遣いに似てくる様子はなんだか滑稽で可笑しい。
思うに、これは自分の勝手な解釈だが、ドン・キホーテに象徴されるような栄光を求めてさすらう時代は過ぎ、サンチョのような現実的路線で生きる人間が台頭してきた時代がセルバンテスの時代なのかな、二人の下降と上昇はそんな時代背景を受けたものなのかもしれない、と思った。
ドン・キホーテの心理学
ドン・キホーテの心理学サルバドール・デ マダリアーガ Salvador De Madariaga

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タグ:文学論
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2013年02月22日

榎本武揚 安部公房

元憲兵は昔義弟を思想犯で検挙したことがある。周りからは随分なじられたが忠誠をつくすこと、それが当時の彼の心境だった。終戦後世の中の考え方は変わり、彼も民主主義の中で生きてゆくのだが、自分は転向者ではないのかという思いが去らない。そんな中で、幕臣で箱館戦争を戦い、後新政府の元で出世した榎本武揚が彼の人生の弁護者として心のよりどころとなっていたのだが、その榎本武揚が実は裏切り者だったという手記を見つけてしまう。元憲兵は失踪してしまうが、その書類を作家である語り手に送っていたのだった。

生死にこだわらないのであれば、信念に基づき、あるいは忠誠心で一心不乱にある特定の思想なり価値観に従って生きていくのは美しくさえ見える。土方歳三は、手記の中ではそういう役割をしていて、書き手の賞賛を受けている一方で、榎本武揚ときたら、やむ終えず転向してしまったどころか、実は最初から裏切っていたのだと激しく糾弾されている。
一般に転向や裏切りというと生き残るために取られる策であることが多いから、死ぬことを潔しとしないと評判が悪くなることがある。
日本人には、この生きることと死ぬことに対する価値観から、前者が尊ばれ、後者は非難されがちである。
元憲兵だって、終戦後死ぬ覚悟だったら転向せずにすんだであろうことはわかるが、しかし、そう簡単に死んでよいものなのか?
『榎本武揚』という人物を通じて、著者は忠誠と転向、そしてそれに伴う生と死について問うているように思える。
それで思い出したのだが、先日読んだ、山田風太郎の「おれは不知火」という短篇。あれは川上彦斎が信念を曲げず、新政府が攘夷から開国へと変節したことを静かに批判しており、その様子に私などつい感動してしまったのだが、そういう考え方に共鳴してしまう自分もやっぱり信念を曲げないということのほうを生きるために変節するよりは上位においてしまっているのではないかという偏りを『榎本武揚』を読むことで気づかされた。
榎本武揚 (中公文庫)
榎本武揚 (中公文庫)安部 公房

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タグ:人間
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2013年02月19日

徴候 記憶 外傷  中井久夫

つい先ごろ、世間では体罰について生徒の自殺や女子柔道での選手による訴えなどの問題が論じられた。ちょうど、みすず書房のツイートでこの問題について中井久夫先生の『徴候 記憶 外傷』の本が紹介されていたので、早速取り寄せて読んでみたが、なるほど、含蓄の深い言葉が並んでいる。
この本は、PTSDなどトラウマについて書かれた文章と、統合失調症について書かれたもの、あと身体性の話や、魔女狩りについての一文もあり、精神における総合人間学だなあという感がする。

で、体罰についてなんだが、「トラウマとその治療経験」という文章の中にこういう印象深い一節があった。
日本軍は戦争神経症を天皇の軍隊にあるまじきこととし、もっぱら「シュラークテラピー(殴打療法)を行っていた。その治療像は、上級者にへつらい、下級者には威張る、なんとも嫌な人格への変換だった。これはトラウマによるトラウマの“治療”であるが、「トラウマによるトラウマの治療」は日本の専売ではなく、西欧でも第一次大戦の際に行われた。…

以上は戦争神経症に関することだが、体罰容認派の認識としてもおそらくこういうことなのだろうという想像が出来た。また他の場所(「踏み越え」について)に書いてあるが、暴力は低いレベルでの統一感を取り戻してはくれるが、その場限りであり、それも始まりのときに最も高く次第に減るし、終えた後に自己評価向上が、つまり真の満足感がない。したがって、暴力は嗜癖化するという。
ということで、「セラピー」という大義名分のもとで嗜癖化した暴力が日常行われているのが体罰ということになるんだろうな、と思う。

「トラウマ」とは何か?
昔人間がまだ狩られる存在だったときに、危険をすぐに思い出せるような警告的な記憶だったという。それはいつまでも異物で生々しく、年を経るにつれて懐かしさすら伴うような記憶になってくれない。著者はポール・ヴァレリーのこの言葉をしばしば引用している。
体の傷はほどなく癒えるのに心の傷はなぜ長く癒えないのだろう。50年前の失恋の記憶が昨日のことのように疼く。

心の傷、それは見かけ上他人にわからないゆえに軽視されがちだが、なかなか侮れないものである。
徴候・記憶・外傷
徴候・記憶・外傷中井 久夫

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タグ:精神医学
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2013年02月17日

幕末妖人伝 山田風太郎

今回収められている短篇は一応今まで読んだことがあるのばかりなので、買おうかどうか迷ったのだが、3シリーズ発売予定の3巻目に明治小説人物事典なるものが載せられるので、じゃあそろえたほうがよいだろうと思って購入した。
でも、買ってよかったよ。なんといっても昔同じタイトルででた本のように連作モノをきちんと集めたところがよい。バラで読んでもそりゃ、山風のことだから面白いよ。しかしこうやってまとめて読むと、幕末のカオスっぷりが人を描くことによって伝わってくるんだな。これはバラで読むのでは得られない読後感だと思う。というわけで日下さんいい仕事しておりますなあ。

ここに収録された作品は以下のとおり。
「からすがね検校」「ヤマトフの逃亡」「おれは不知火」「首の座」「東京南町奉行」「新撰組の道化師」「伝馬町から今晩は」の7作。
「東京南町奉行」は何回読んでもいいわ。なんといってもあの人物ですからね。明治時代に登場するとほんとに妖しすぎる。
「伝馬町から今晩は」も好き。とくに疫病神と化した主人公が、昔の知人を頼りに「今晩は」と登場するところは妖気が漂うと当時にちょっと滑稽でもある。
他の作品ももちろん面白い。「おれは不知火」なんて、著者も本文中に書いてるが、誰が「妖人」なんだかわかりゃしない。ええ、佐久間象山のことです。それとこの短篇、前に読んだときは知識がなくて気がつかなかったけど、山本覚馬がちょっと顔出ししているのを今回見つけた。

いずれにしろ、前に読んだことがあるものばかりとはいえ、それらの本は今や品切れ状態で書店で手に入らなくなってるものばかりだから、小学館さん万歳だ。2冊目以降も楽しみでござる。
幕末妖人伝: 時代短篇選集1 (小学館文庫)
幕末妖人伝: 時代短篇選集1 (小学館文庫)山田 風太郎 日下 三蔵

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タグ:歴史伝奇
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2013年02月16日

信仰と「甘え」 土居健郎

キリスト教関係の文章を集めた一冊。
信仰を甘えとの関係で捉えなおした一文は宗教の本質の一端をうかがわせているのではないかと思った。神などに象徴される絶対存在への奉仕や感謝以前に、それをとことんまで信じぬくということは徹底的に甘えることに関連しているようだ。信仰には自己放擲が必要だが、甘えが同一化を計る心の動きのひとつだとすればこれは当然のようにも思える。ご利益宗教はとかく下に見られがちだし、信仰するほうもバカにされやすいけれども、本当はそれが出発点であって、奉仕や感謝というのは二の次に過ぎないのではないか?親鸞の悪人正機説なども思い起こして、そんなことを考えた。

著者が師事したホイヴェルス神父についての文章があるが、その中に聖書中にある姦通でつかまった女のことについての話について。神父はこのときのイエスの態度をこう解釈していた。
「それからまたお体をががめて地面にものをお書きになりました。これはまことに上手なやり方です。その間ファリザイ人は、心の中で自分にも罪がたくさんあることを悟って、静かにしりぞくことができます。あまりひどくファリザイ人に敗北の気持を与えますと、かえってむずかしくなります。その間に、年取った人から若い人まで、静かにその場から立ち去ります。そして残っている者は、文字を書いてらっしゃるイエズスさまと、そこに立っている女の人だけであります。
ここまではイエズスさまの深い知恵の現れです。次にイエズスさまは、女の人に対してどういう態度をとるでしょうか。罪についてながい説教をされたでしょうか。そうではありません。イエズスさまは短い言葉で問題を解決します。女の人を見て、悔い改める心があるかどうかすぐにおわかりになりました。
それから女の人に『責める人はどこにいますか?だれもあなたの罪を定めませんか?』とおききになります。女の人が簡単に『だれも』と言いますと、イエズスさまは、『私もあなたを罪に定めるつもりはない。ただ今後、罪を犯さないように』とおっしゃいました。この言葉も女の人に対して、私たちに対して、人類に対して、どんなに深い心の言葉でしょうか。」(ホイヴェルス神父におけるキリスト教と日本)

ああ、なるほどな、あまり人を追い詰めてはいかん、というのはよく言われることであるが、こういう風に解釈してもらえるとなぜそうなのか、ということが理屈なしにわかってくる。長い孫引きだけどここに覚書。
信仰と「甘え」
信仰と「甘え」土居 健郎

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2013年02月13日

小さなピエール アナトール・フランス

小説には一気に読んでしまいたいものと、少しずつかみ締めながらゆっくり読みたいものがあるが、この本は間違いなく後者。
アナトール・フランスのことなのかどうかは知らないが、ピエールという人物の幼い頃の思い出話が続くこの小説は、なぜかしらずっと床から出られないで過ごさなくてはならないとき、つまり病気になったりしたときのことだが、そういった時間に自分の子供時代をなんとなく思い出しながら、疲れない程度に読み進んでいくのが、一番いいような気がした。
幼い頃というのは時間に縛られない。無限の時間があるように思われ、しかしその中ではいろいろな変化が起こる。病人も日頃時間に追いまくられる生活とは勝手が違う。いわば世間の時間とは違う時間の流れがこの小説にはある。

ピエールは空想好きで腕白な男の子。この2つはもしかしたら相反する素質だと思われるかもしれない。しかしながら、ピエールの空想に触発された身体は、大人たちの思いもよらぬ行動へと駆り立て、それがなんとも可笑しいのである。子供には子供なりの立派な理由があるものだが、そういうことを自分もやったし、今子供と関わるときにも、そんなことをひょいと思い出さずにはいられないだろう。

起伏の変化に乏しく、人によっては読みどころがないように見えるかもしれない。美文だけがとりえなどという人もいるだろうと思う。
昔なら私もこの小説はそれほど面白いと思わなかったかもしれない。
ただ、今はこの小説に流れる時間と、幼年時代を振り返るピエールの心境になんとなく共感してしまう。
まあ、年をとったということなんだろう。
アナトール・フランス小説集〈5〉小さなピエール
アナトール・フランス小説集〈5〉小さなピエールアナトール フランス Anatole France

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2013年02月10日

天才と狂人の間 杉森久英

天才といわれ「地上」という作品を世に送り出しベストセラーになったのにも関わらず、作者が精神病院に入院、その後忘れ去られてしまったという島田清次郎。
この本を読む前には、たとえ精神病でもその作品が葬りさられるのはひどいじゃないか、などと思っていた。私は売れていた本が、作者の精神病院送りで抹殺されてしまったというイメージをもっていたのだ。
しかし、そうではなくて本作品から読み取れたのは、清次郎が商業主義や大衆の気まぐれからなる一種のブームに祭り上げられたといってもおかしくない状況なのだった。

必ず世に出てやるという妄執は文学方面に現れるわけだが、彼の文学は本文によれば当時の社会主義的な思想が織り込まれ、どちらかといえば自然主義的で自己の内面を見つめるような文学が多かった時代には文学者より社会思想関係の人物たちに認められたという。それをおそらく新潮社としては売れると見越したのかもしれない。で、若き天才作家というイメージで大々的に売り出した、そのことがいかにも現代的だ。また清次郎自身も本人はそのつもりがなくてもエキセントリックな言動は世論の話題に事欠かなく、ジャーナリズムをにぎわせるのもまた現代的である。
そして、一つの事件で急速に彼は忘れ去られてゆくのであるが、これもまた大衆の気まぐれによるものであり、事件を十分消費尽くして飽きた彼らが清次郎にかまわなくなっていったのである。
そして、新潮社からも見捨てられた彼はショックからだんだん言動がおかしくなり、早発性痴呆症ということで収容されてしまうのである。

ところで「地上」そのものの出来はどうだったのだろう?
本作品によれば、第一部以外は後世に残らないだろうということであった。私は読んでないのでなんともいえないが、もしすべてが傑作だとしたら彼は作家として後世に名を残せただろうか?
天才と狂人の間―島田清次郎の生涯 (河出文庫)
天才と狂人の間―島田清次郎の生涯 (河出文庫)杉森 久英

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Amazonで調べてみたら、今「地上」第一部は出版されているようである。
地上―地に潜むもの
地上―地に潜むもの島田 清次郎

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【twitterでちょっとつぶやいたので追記】
tekesuta / てけすた
杉森久英「天才と狂人の間」はお人よし清次郎さんがうかうかメディアに登場して自らを燃やし尽くしてしまったような話に思える。「地上」今出てるみたいだから図書館で探してみるか。 at 02/10 15:19
tekesuta / てけすた
清次郎と良枝のスキャンダルが現代ならネットでかなり消費されるであろうな。 at 02/10 15:20

タグ:人間
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2013年02月07日

斬(ざん) 綱淵謙錠

慶応元年、ひとりの少年が初めて家の仕事に従事した。まだ12歳であったが、父、七世山田浅右衛門は彼の素質を買って15歳と届けて首切りを行うために送り出したのである。
時代は幕末。この動乱の中で山田家の物語は時の事件とともに彼、吉亮を中心に語られていくこととなる。

山田家の家業は一応刀剣の試切りである。首切りは副業のようなものではあるが、いわばプロフェッショナルな域に達した彼らは江戸時代の刑罰を行ううえでなくてはならない存在になっていた。そのため家は幕末までおよそ200年続いてきた。しかし、御一新後、急速な西洋化は刑罰の面にも及ぶ。それは物理的なことばかりではない。残虐な刑を望まないという価値観も一緒に入ってきたため、斬、すなわち首切りは徐々に行われなくなってきた。
単純にいえば、山田家の崩壊には彼らの技がやがては用いられなくなるだろうという、現代にも通ずる職業の変化への不安が付きまとっていたということだろう。
変化についてゆけるものはいい。しかし、時代遅れになるのが目にみえ、実際仕事も少なくなってきた場合、吉亮の兄弟たちのように身を持ち崩してしまうことは、山田家の血の呪いというよりは、そういった没落の面が大きいような気がする。

小説としては吉亮が呪われた山田家という考えを持ち始めることが前面に押し出されていて、ラストシーンもかなり衝撃的に描かれているのだが、私には以上のような時代の変化と古い職能の抱える悲劇のようなものを読んでいた。
もちろん、吉亮はそういう忌避される商売というものの苦悩を抱えていたかもしれないということは否定はしない。不安が彼をそういうふうに考えさせた、ということは十分ありうるのだから。
斬 (文春文庫)
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タグ:歴史小説
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2013年02月05日

呪われた部分 ジョルジュ・バタイユ

細かい部分はあまりよくわからないなりに読んでいてイメージしてきたのは、ハレとケ、あるいはカーニバル、そんなところだろうか。
とにかく、バタイユによれば“生物や人間に根本的問題を突きつけるものは、必要性ではなく、その反対物「奢侈」である”ということだから蓄積を論じる現在の経済学は偏ってるということになるわけだ。
この感覚はわからないでもない。豪勢に消費すればなぜか気分が高揚するのは自分を解放するのに等しいからなのだろうと思う。
まあ、そういうわけで、この奢侈や蕩尽の経済について、アステカ族の生贄からマーシャル計画まで取り上げられていて、このあたりが自分の頭ではよくわからなかったところの多い部分。

奢侈や蕩尽を排除するようになった近代経済についてはその弊害が書かれている。それらを排除するということは、解放されるべき「内奥性」の抑圧、すなわち人間疎外が生じる、その結果として階級闘争、革命、戦争が引き起こされることがあるという。バタイユは別稿で消費上の義務を拒絶した近代のブルジョワジーに対して
ブルジョワたちは封建社会の浪費性を主なる非難の種として利用し、そして権力を奪取したのちは、その欺瞞癖に基づいて、貧困階級に歓迎される支配を行いうるものと自負したのである。なるほど民衆が彼らを旧主ほど憎めないことは認めてもよい。ということはまさしく、その分だけ彼らを愛せないわけだ。なぜなら、それを目にしただけで、その人間の一生が汚されてしまいそうなほど、恐ろしく貪欲で、品のない、不愉快なくらいせせこましい、卑劣な顔つきだけは、少なくとも彼らにとって、隠しようがないからである。
民衆の意識は、ブルジョアたちの生き方を人間の恥辱と、忌まわしい後退とみなし、彼らに背を向け、消費の原理を根深く保持するに至るのだ(消費の概念 4より)

と手厳しい。
といって、年がら年中祭りをやるわけにもいかんのだが、とにかく恐ろしく貪欲というイメージは企業に当てはまるのではないかと思う。労働者の待遇でも搾取としかいいようのないひどい企業が出てきているとも聞く。

本質が必要性ではなく蕩尽にあるかどうかに関わらず、蓄積と消費は交互にやってくるものだとも思う。強引に蓄えたものはやがて強引に消費させられるのかもしれず、それが大きい場合には最悪戦争という形での蕩尽を余儀なくされるものなのかもしれないし、先住民たちの儀式のような生贄や闘争はそれ自体が巨大戦争を避けるための知恵であるのかもしれない。
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タグ:文化
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2013年02月02日

にせユダヤ人と日本人 浅見定雄

まいった。これほどまでにデタラメだとは思わなかったよ、山本ベンダサン。
昔ベストセラーになったご存知「日本人とユダヤ人」のことである。この本のことを話題にしているところで「にせユダヤ人と日本人」を読むべきだ、というのを目にしたのでどれどれ、と思って読んだら、もう自分が恥ずかしくなってしまいました。というのも、ベンダサン氏の本、読んだときにはちょっと思想的に偏ってるな、とは思ったんだが、ユダヤ教のあたりは流石に知ってることを書いてるんだろう、と思って、メディアマーカーおよび読書メータのところに全員一致についての覚書までしてしまったんだよ。
http://tekesuta.blog.so-net.ne.jp/2012-06-13-1
ところが、それが全くのデタラメというんだね。浅見さんによればそれは「死刑の判定には慎重の上にも慎重に」ということで、もし死刑判決が全員一致で出てしまったならば誰かが弁護にまわること、いう決まりについての話なのであって、全員一致だから無効ということなどありえない、ということだったんだ。
もう、最高に恥ずかしいわ、自分。変な言い回しにそんなもんかな、と思ってしまったんだよね。

というわけで、「日本人とユダヤ人」という本は私のような全然無知無知かたつむりのような読者をけむにまいて国粋主義を広めようという魂胆のもとに書かれた、と浅見さんの本を読んで確信した。
浅見さんも古代ユダヤの研究が専門であって、その舌鋒は鋭い。専門家というのは本気出したら怖いんだなあというくらい気炎を吐いております。
流石に浅見さんの本が出たときには山本ベンダサン氏も気にしていたというが、
ベンダサン氏「なんで日本に古代ユダヤの専門家なんているんだよう」
とか筒井さんの小説に出てきそうなセリフを思い浮かべてしまった。

ただ、ベンダサン氏の本は今でも文庫本が出てるのに、浅見さんの検証本は品切れ状態。朝日新聞社はなにをやっておるのだ。これを復活させなさい。
そうしないと私のような愚か者が次々とだまされるではないか。
というわけで、今回自分の恥をさらしつつ、ご紹介しました。
にせユダヤ人と日本人 (朝日文庫)
にせユダヤ人と日本人 (朝日文庫)浅見 定雄

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