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2013年01月30日

俄(上)(下) 司馬遼太郎

司馬遼太郎で笑えるとは!!
著者の作品は何作か接してきているだけなのでもしかしたら他にも笑える作品があるのかもしれないが、少なくとも、『空海の風景』とか『項羽と劉邦』や『坂の上の雲』あたりでは読み応えはあって面白いけれども笑えるというのはあまりない。おじさんが好む歴史好きの小説を書く作家というのが私の司馬遼太郎のイメージであって、間違っても筒井康隆とか山田風太郎のような作品はないだろうとは思っていた。
いや、これは確かに筒井さんや山風とは笑どころが違う小説ではある。司馬遼太郎としても別に笑かそうと思って書いた小説ではあるまい。

主人公の万吉は父が逐電してしまったために、子供ながら自ら稼ぎの算段をしなければならなくなったが、その方法が激烈。なんと寺銭を奪い取ろうと思ったのである。だたし、ここが彼の特殊というか凄いところなんだが、自ら暴力を振りかざすのではなく、がばっとお金をつかんで、相手が根負けするまで殴られてゼニを自分のものにするという方法。この方法は下手をすれば死ぬ。万吉は丈夫な体と、どこか憎めない愛嬌を持っていたという。このあたり、色川武大が「生きていることを許してもらえるような存在」といったのを髣髴させる。
こうして彼の人生は殴られることで稼いでいくことになるのだが、それがどういう商売になるかというと、結局任侠の世界になるけれども、一人で責任をかぶる殴りこみ、負け戦の助っ人、とまあこんな具合になる。さぞかし壮絶悲惨になるだろうと思いきや、これが大阪弁ということもあるのだろうか、体を張って笑をとりにいくお笑い芸人を見ているようななんともおかしい雰囲気になっているのである。
まあ、我が一生は「俄」すなわち即興芝居のごときもの、とか主人公にいわせているので、お笑い芸人みたい、というのは必ずしも的外れなものではないのかもしれないが。

しかし、こんな激烈でいつ死んでもおかしくない彼がなんと90近くまで生きるのだから世の中はわからない。何度か生命の危機があったが、彼を救ったのは、はったりとも見えるほどの命知らずなところ。それはどういう方面に発揮されたかといえば、拷問の忍耐はもちろん、臆病さから誰かを売り渡すということはしないし、敵であっても、ひそかに逃す寛容さというところに現れた。それがのちのち彼の命を救うのである。これがすなわち彼の「愛嬌」の源だったのかもしれない。
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タグ:歴史小説
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2013年01月26日

あまりにも騒がしい孤独 ボフミル・フラバル

小説というよりは前衛詩のようなイメージに満ち溢れた作品だな、と思った。
故紙処理の仕事を35年間してきたハニチャは、処理される紙の中から目に付いた美しい本を救い上げ、それらの本を読み、そして著名画家の複製画や美しい本を他の故紙とプレスしてまるで芸術品のような紙塊を作り上げてきた。ハニチャは一介の作業員であるが、下水処理などの作業員にはたくさんの教養人が従事し、そのあたりにはクマネズミが2つの党に分かれて争っている。ハニチャの昔つきあってた女性、糞にまつわる出来事で引越ししていったマンチンカや、ジプシー娘―彼女はある日いなくなったが、それはナチスに逮捕されたからと知ったのは後のことだった―の思い出や、故紙処理の地下室の出来事などがパッチワークのように記述されていく。
後半では巨大プレスで格段に能率のあがった、近代化された故紙処理の現場のことと、古い作業員の彼が仕事を失い、もはや美しい本の見出せない境遇へと追いやられてしまう。

検閲と効率化、およそ規格からはみ出したものの存在を許さない社会主義時代に書かれたというこの小説は、そういうものが圧殺されるイメージがたとえば故紙を喰うねずみたちを紙と一緒にプレスする様子に見られたりする。また、教養人が下働きのような作業に追いやられているイメージもそういった圧殺を連想させる。
一方でハニチャは教養人ではないが、救い出す本を読み、教養を身につけてしまったので、という。それは社会主義の理念とは相容れない古の哲学や思想だったりする。だが、近代化は彼に追い討ちをかけ、彼自身の生きがいをも奪ってしまう。
最後のシーン、街が、彼自身が、プレスされていくイメージは全体主義の行方そのものを暗示するかのような不条理感に溢れている。
あまりにも騒がしい孤独 (東欧の想像力 2)
あまりにも騒がしい孤独 (東欧の想像力 2)ボフミル・フラバル 石川 達夫

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タグ:不条理
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2013年01月23日

能は死ぬほど退屈だ 小谷野敦

ネット上では猫猫先生でおなじみの著者は私もリーダーに入れて時折ブログを拝見させてもらっている。今回初めて本を読むことになるのだが、いつもブログでは知らない人の話題を読み飛ばしたり、長文記事は斜め読みになってしまいがちなのが、紙の本ではきちんと通読できることに気がついた。表題の「能は死ぬほど退屈だ」も確かブログではほとんど読まなかったが、本では面白く、知的好奇心を満足させるような話題だったのだとわかり、自分はつくづくネットで文章を読むのがだめなんだな、と思った。
また私は演劇のことを知らないが「演劇評論家挫折の記」や「現代演劇おぼえがき」は演劇の歴史をざっとわかりやすく俯瞰している部分があるので、門外漢でも興味をもって読むことができた。

「大人/子供の危うい綱渡り」では処世術といわれているものについて語られている。いろいろな例を挙げて大人になるということが果たしていいことなのかどうか。また日本社会の構造に触れて、努力すれば社会の上層へ行けるという嘘が信じられてきたことを指摘する。面白いのはこの文の最後にブックガイドとしてジャン・クリストフが挙げられていたこと。あれは主人公の激しい信念と社会のぶつかり合いが凄かったのだけど、もしかしたらこれから生きてゆくにはあれほどではないにせよ、自分をどこまで曲げることなく生きていけるか、という胆力が問われるのかもしれない。ブラック企業などに代表される若者の搾取なんかを見聞きしてるとそう思う。

他にも「「文学」への軽蔑―八〇年代文化論」や「平成文学・私が選ぶこの10冊」などが面白かった。
能は死ぬほど退屈だ―演劇・文学論集
能は死ぬほど退屈だ―演劇・文学論集小谷野 敦

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タグ:文学
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2013年01月21日

第九軍団のワシ ローズマリ・サトクリフ

ローマ帝国の軍人マーカスがブリテンにおいて負傷し、退役を余儀なくされてしまう。まだ若い彼は叔父のもとで療養することになるのだが、先行きが見えなくて悩んでいた。そんな折、叔父の旧友がやってきて話をしているうちに、なくなった父の軍団の<ワシ>がないので捜索しなければならないのだが…というのを聞き、奴隷として買ったが友人になったブリテン人エスカとその厳しい旅にでかけることになったのだった。

児童文学はあまり読まないが、たまに読むと新鮮でよい。大人向けの歴史小説はサービスなのか、どうでもいいような俗っぽいシーンがあったりして、閉口することがあるんだが、児童文学はそういうものがなくて真摯に物語へ入っていけるような思いがする。いや、全部が全部そうなのではないのだろうが、サトクリフのこの作品については、エスカとの関係、探索の厳しい旅などを通じて、人としてのありかたを捉えなおすいい作品ではないかと思う。

またローマ時代のイギリスの様子について非常にわかりやすく、その習慣や、蛮族のことなど目に見えるようで、彼の地では何回もドラマ化されたというのもうなずける。この場合マーカスがイギリスからみると外国人で、蛮族が彼らの祖先になると思うんだが、彼らはどういう風に感情移入しているんだろうなあ、やっぱりエスカに一番共感しているのかな?などと読みながら考えるのも楽しかった。

ところで私は英文学ってアイルランド系じゃないのはあまり好みではないのだが、児童文学に関してはひょっとして英国の作品は好みにあうかもしれないと思った。まあ児童文学自体あまり読んでないからなんともいえないんだが、アリスも英国だものなあ。
第九軍団のワシ (岩波少年文庫 579)
第九軍団のワシ (岩波少年文庫 579)ローズマリ サトクリフ C.ウォルター ホッジス

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タグ:少年小説
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2013年01月19日

分裂病と人類 中井久夫

人類はあらゆる気質の人を含むのであろうが、一つの社会の危機において、すべての気質の人が平等にこれに対処するとは考えにくく、おそらく、ある気質の人が、いわば歴史に選ばれて、その衝にあたるのであろう…(あとがきより)

これは第二章「執着気質の歴史的背景」の仕事を進めているうちに台頭してきた仮説だと著者は述べている。第二章は二宮尊徳を例に、日本で執着気質型の人が果たしてきた役割を考察しているものだが、粘り強く共同体のために働く姿はだいぶ失われたとはいえ、現在の日本においても核となっているだろう。
そこから、さらにあとがきで著者は、ある気質の人が危機において成功した場合、それに追従、模倣する人々が現れて一つの勢力になり、やがて徳目になっていくが、危機はいつも同じではなく変化してゆく。そこで徳目であったものが病前性格ということになってその失調が病気の状態になる、というようなことも述べている。

そういった仮説が日本人と執着気質の関係にうまくあてはまった、ということででは分裂病はどうなのであろうか、と着手したのが第一章の「分裂病と人類」である。
ここでははるか農耕社会以前までさかのぼって、狩猟採集社会にまで至る。そこには自然の中に住む動物としての人間の能力としての予兆的感覚、狩られる側から狩る側へ変化したときの願望思考の始まり、そういったものについて言及され、これが農耕社会に変わったときに、人類は強迫的ともいえる、整頓や秩序という資質が優位になり、自然のかすかな予兆を感じる能力はマイノリティへと落ちることになる。

第3章「西欧精神医学背景史」においてはギリシャ・ローマ文化から近代に至るまで、人間の精神はどう扱われてきたのか、ということを述べているのだが、そこには哲学や宗教の影響がかなりうかがえる。そして精神医学もそれらと無縁でいるわけにはいかず、秘教的なものを母体とした力動精神医学と、唯物的な正統精神医学の二つの流れを考察してゆく。魔女狩りが、寒冷化する土地において生産力の低下した時代に為政者らの責任転嫁であるということや、向精神薬が「薬理学的ロボトミー」という陰鬱な哲学から始まったことなど、興味深い出来事が並べられている。
分裂病と人類 (UP選書 221)
分裂病と人類 (UP選書 221)中井 久夫

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西欧精神医学背景史についてはみずず書房からも。
西欧精神医学背景史 (みすずライブラリー)
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2013年01月14日

臨床瑣談2冊 中井久夫

この本は著者が専門以外の医学で感じたちょっとした話をまとめている。主に自分や家族の病気から得た体験なので、医師の目でありながらまた患者やその家族の目からみた話ということもできる。患者や家族になにができるのか、という視点は、重病患者を抱えた家族にとっては自分にも患者に何かができる、という思いは看護にプラスになりこそすれ、マイナスになるようなことはあるまい。
最初に色彩の話があり、それには、色彩に名前をつけようとするとそのグラデーションは多彩であって分けるのに苦労する、というようなことが書かれていた。一体なぜこのような話を?と思うのだが、診断するということはすなわちたくさんのグラデーションを区切って名前をつけるようなものだから、ということらしいのだ。細かく区切ればたくさんの病名ができるし、典型的なのだけ名前をつけると、間にある色には名前がつけられないことになる。これは病名だけの話ではなくて、あらゆる話について、仕切りを越えて全体を見るような視点で語られているのがわかる。

以下、内容についてのメモ書き
『臨床瑣談』

  • 院内感染の自衛策。睡眠を大切に、黄色ブドウ球菌は鼻前庭に住んでいることに注意。メンソレータムを塗っておくと埃がそれにつくし、菌を封じ込めることができるのではないか。またプロポリスを使ってみる。これは植物の抵抗物質

  • 昏睡からの救出。視覚においては1時間に5分ほど、斜め下方からペンライトの光を。聴覚においては親しい人があたたかな言葉を小声でかけ続ける(いくらやってもよい)。足の裏をくすぐり続ける。声を出したりするのは大変なエネルギーを必要とするので、反応をもらいたいときはまばたきで合図してもらうようにささやいてみる。

  • 丸山ワクチンは癌を消滅させるというよりは囲い込んで兵糧攻めにしまうのではないか。それは自然治癒力をサポートするのではないか。

  • ガンはいつもできている。闘うといって気負いたつと交感神経系の活動性が高まりすぎる嫌いがある。「ガンも身のうち」という見方もあってよいのではないか。

  • 精神症状が必ずしも精神疾患とは限らない。不明な発熱があったあとでは軽症ウイルス性脳炎が原因かもしれない。感染症に関する感受性が医療現場において低くなってきていることに警鐘を鳴らしている。


臨床瑣談
臨床瑣談中井 久夫

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『臨床瑣談 続』
認知症についての雑感があり、ここで他人と引き比べることや、余計な一言をいわないなど子供時代の教育に似たようなところがあるな、と思った。ただ、子供と老人の違うところはその人生での記憶で老人に対しては昔の記憶を大切にしてこれ以上落ち込まないようにしていくことが望ましいというようなことが書かれていた。
また、東洋医学と西洋医学についての雑感。
近代医学においては、もっぱら器官、臓器とその機能に注目が集まって、全身の変化、それを調節している系、そして器官以外の「間質」すなわち「つめもの」や、血液以外の体液成分、人の皮膚、口腔、消化管、生殖器と微生物との共生などへの注目は遅れているように思う。それは全身に散らばって捉まえがたく、間接的に把握して定性的に表現するしかない。私が八網弁証でもっとも驚いたのは舌の歪みや破壊の跡だった…(中略)…私は「ストレス」というものを初めてこの目で見たと思った。(p155)

パーツを見るのが得意な近代医学の隙間を中医学の見方が補ってるように見える。自分も漢方薬を使うまでは東洋医学のことは代替治療のひとつくらいにしか見てなかったのだけど、漢方が実際、一般的な消炎剤よりよく効いたという体験を持ってから、見方がかわり、この文章を読んで、やっぱりそうなのか、という思いを新たにした。
他に、煙草とアルコールについて、インフルエンザについて、性格の話など。
臨床瑣談 続
臨床瑣談 続中井 久夫

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タグ:エッセイ
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2013年01月11日

論語 岩波文庫版

年末から1日数ページ、他の本の合間にぼちぼちと読んで、本日読了した。今まで中国思想の本は一気読みしていてなかなか大変だったのだが、こういう本はむしろ毎日少しずつ読んでいくほうがよい、ということに今回気がついた。
で、論語。今まで本文を読まずして解釈本やら孔子の物語やらそんなものばかり読んできたが、とうとう本丸に突入しました。いやあ、別に畏れずとも、さっさと本文読んでしまってもよかったな、というのが読了後の感想。広大で戦火の中において、理想の世を問いつづけた孔子はなんだかほんとに立派な人なんだなと思う。平和な世の中にあっては学問や礼、正義、道、そういったものがあまり輝いて見えないんだけれども、今みたくだんだん不穏な世の中になってくると、そういうものが得がたいもののように見えてくるものである。里仁篇10章の「君子が天下のことに対するには、さからうこともなければ愛着することもない。(主観を去って)ただ正義に親しんでゆく」とか、子罕篇4章の「先生は四つのことを絶たれた。勝手な心を持たず、無理押しをせず、執着をせず、我を張らない。」とか読むと、なるほどなあと感心してしまうことしきり。

自己啓発本なんかでよく、「優れた人を友人にしろ」とかいうことが書いてあるのを読んで、そういう優劣をつけることは優れた人はやらないのではないか、と思っていたのだけど、子張篇3章に「君子はすぐれた人を尊びながら一般の人々をも包容し、善い人をほめながらだめな人にも同情する。こちらがとてもすぐれているのなら、どんな人に対してもみんな包容できようし、こちらが劣っているのなら、向こうがこちらをことわるだろう。どうしてまた人をことわることがあろうか」というのがあって、これだよこれ、と我が意を得たり、と膝をたたいた。だいたい、優れた人ばかり擦り寄っていくのってちょっとみっともなくて君子の道から一番遠そうだ。
論語 (岩波文庫)
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【論語関係の記事】
http://tekesuta.seesaa.net/article/192262897.html(〔現代語抄訳〕論語 岬龍一郎編訳)
http://tekesuta.seesaa.net/article/175491671.html(孔子 井上靖)
http://tekesuta.seesaa.net/article/170749516.html(論語物語 下村湖人/孔子 和辻哲郎)
タグ:中国思想
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2013年01月10日

怪異考/化物の進化 寺田寅彦

この文庫本は寺田寅彦の随筆の中で主に妖怪譚や不思議な出来事や体験について記したものがまとめられている。科学者らしく、不思議現象を科学として考えるとどういうことなのか、ということが書かれていて面白いなあ、と思う。だが、解説でも述べられてるように、それは単なる種明かしというわけではなくて、科学的な記述がさらに不思議さを増すような、そんな文章で自然界の神秘に触れる思いがする。
寺田寅彦のこのような感性はどう培われたのか、それは「化物の進化」という随筆に詳しい。
幼い頃に「化物教育」として触れた数々の怪異譚は、ただ怖いだけではなく、神秘な存在、不可思議な世界への憧憬に似たものを鼓吹させ、常識では測り知りがたい世界がありはしないかと思うだけでも、その心は知らず知らず自然の表面の諸相のおくに隠れたある物への省察へ導かれる、と述べている。

人は、未知のものを知り、怖いものを怖くなくするためにいろんな研究をしてきた。そして科学が宗教にとって変わる頃、人々は自然界に存在するさまざまなことを恐れなくなった。とはいえそれが何を意味しているのかといえば、私には新しい化物を作っているように見える。
千葉俊二さんの解説に放射能という化物のことが書かれていた。それに類したものがたぶん現代の化物なのであろう。現代の化物はオカルトの陰謀論にたくさんその例がある。
果たして、寺田寅彦がこうしたものを見たときに、どういうことを考えるのかな、とちょっと興味がわく。
怪異考/化物の進化 - 寺田寅彦随筆選集 (中公文庫)
怪異考/化物の進化 - 寺田寅彦随筆選集 (中公文庫)寺田 寅彦 千葉 俊二/細川 光洋

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タグ:随筆
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2013年01月08日

こんなとき私はどうしてきたか 中井久夫

医学書院からでている「シリーズケアをひらく」の一冊で、中井先生が自らの体験から精神疾患の患者さんとどう接してきたのか、ということがわかりやすく語られている。
読了したあとに「柔よく剛を制する」という言葉が思い浮かんだ。それほど中井先生の接し方には手荒いところがあまり見受けられず、結果として患者さんを心身ともに傷つけるようなことが少なくなってるのではないかと思った。
もちろん、それが皆無とはいわない。先生ご自身もおっしゃってるように、初診のあとでこなくなった患者さんもいるのだし、自殺した患者さんもいる。
どんな方法でも絶対というのはなかなか難しい。それでも、こうして講義になるのはその方法が一定の効果を挙げてきたからなのだろうと思うのである。

患者さんとコミュニケーションをはかり、待つということを大切にし、回復をむしろ焦らずに見守っていくということは効率効率の社会にあっては、なんとも消極的に見える。ところが患者さんというのは今までゆとりがなかったし、周りも早く元に戻ってもらおうとハッパをかけがちになるため、十分なエネルギーをもたないうちに社会の荒波に投げ込まれ、また悪くしてしまうことがあるとか。
そうそう、草木だって、毎日やいのやいのといじっていたらせっかくの芽もだめになってしまう。きっとあれと同じだ。
肉体的な病気だってまずは現状維持がメリットとされるのだから、悪くならないうちはメリットだと精神疾患も考えていいのではあるまいか、というようなことを述べられていて、確かに、精神疾患に対する風当たりは身体の病より強いかもしれないなと思った。

ところで、暴力について述べられたところがある。これは患者の暴力にどう対応してゆくかということがメインではあるが、すごくびっくりしたのはある強迫症患者の話。二人の強迫症患者が入院していたのだが、強いほうの患者が弱いほうの患者を自殺に追い込んだ、ということがあったのだそうだ。そしてその後生き残ったほうの患者は1ヵ月して治って退院していったという。これはいじめということではなくて、生き残ったほうの患者はもともと家族に家庭生活でのしきたりを強要していたようなところがあって、いわゆる「他者巻き込み型」の人らしい。だから病気であるのだが、なんとも凄まじいことだ。中井先生は「こういう暴力は、端的な物理的な暴力よりもあきらかに破壊的です」「物理的な暴力をふるわれて自殺した患者を私は知らないですから」と述べていた。
人間の精神の闇の深さを思い知らされる出来事である。
こんなとき私はどうしてきたか (シリーズ ケアをひらく)
こんなとき私はどうしてきたか (シリーズ ケアをひらく)中井 久夫

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タグ:精神疾患
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2013年01月06日

私の夢日記 横尾忠則

このあいだ「地球の果てまでつれてって」を中古で手に入れてよんだ時に、夢日記の話が出てきた。夢日記といえば、これまた筒井康隆氏が「夢探偵」で一部紹介していたのを思い出し、読みたくなって、いずれ機会があれば、と思っていたんだが、免許更新の帰りに立ち寄った古本市に「私の夢日記」がなんと置いてあり、これはすぐ読めということかと思い、購入して読了。

横尾忠則の本というと精神世界の話がたくさん出てきて面白いんだけど、夢日記もぶっとびましたね。まあ多少選んでいるのはあるのだろうけど、UFO UFO とにかくUFOだらけ。1970年代の日記が主だけど、その時代の半分以上が円盤の夢で占められてるだろうという感触。筒井さんはこのことについて、これが横尾忠則の現代性というコメントをつけていたが、夢の中で円盤が見られるかも、と探したり、円盤に乗せてもらって嬉しいとか、未知のものへの恐怖心があまり感じられず、むしろ好奇心があふれるような夢の内容は確かにそういってもいいかもしれない。自分も1回くらいはUFOの夢を見たことがあるけど、こんなに頻繁に見るのはやっぱりなんかあるんでしょうなあ。

それはそうと、人の夢はある意味ファンタジーっぽく読むのが一番読みやすいかな、と思う。わからないのはわからないけど、これなんかぐっとくるよ、みたいな内容の夢もあって、たとえば自分ならば71年11月の「蝋燭と祈り」とか75.7.5の「懐中電灯と巨星」なんてものが好み。
で、一番のお気に入りは76.7.8「セロテープと新天地」。輪廻の果てに到達する最終的な場所へ向かって出かけて、スペインの町の中にあるような広場に似た村にたどりついたが、そこは新天地ではなさそうだということに気がつく。そのとき、ニッケルのリングが雪の上に転がり落ちて、セロテープに変わる。そして、セロテープの回転が止まったときテープをカットする金具が示した方向に新天地があるという想念が湧き上がってくる。果たして金具の示す方向には天に届かんばかりの峰が紺青の空に白銀色に輝いてそびえたち、そこには人を寄せ付けない自然そのものの姿があった。という内容の夢。
壮大な目的の方向を指南するものが、身近で小さなもの、というところがずいぶんと気に入ったのであった。
私の夢日記
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私の夢日記 (角川文庫)
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タグ:日記
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2013年01月03日

続・笑いと治癒力 ノーマン・カズンズ

前に、この著者の「笑いと治癒力」というのを読んだことがあって、膠原病をビタミン療法と、毎日が愉快になるように笑いながら過ごしたという顛末が書かれていた。その著者が今度は心臓発作を起こして重度の病になったときの話。前作で「また重病になったときに、同じことができるか?」という問いに、はからずしもチャレンジすることになったと、本の中で述べている。
この本が書かれたのは1980年代のことであり、医学的な知識は今はそれよりも進んでいるであろうことを念頭に入れても、今でも、いやおそらく未来においても、医者と患者という人間関係が有る限り、また人間が肉体と精神の関係が完全に解き明かされるまで、は参考になるであろう部分がある。
その一つは、人間の情緒が肉体に及ぼす影響を考察していることである。積極的情緒、希望や意欲などといった感情の癒しについての効果は今のところはっきりとは確認されていない。しかし、恐怖や不安といったマイナスの感情、特にパニックにおいて、肉体に及ぼす悪影響は確認されていて、心身症という概念が取り上げられるようになったのも、確かこの頃からのことではなかったか?
したがって、笑いが直接癒すことというよりも、笑うことによってパニックなどを防ぐという意味で少なくとも間接的に人間の治癒力を妨げない、ということがいえるのだという。
さらに、ここから波及して、医者の患者の人間関係。医学を志す人は、知識をハード、哲学や倫理をソフトという概念わけをしているらしいが、著者に言わせれば、日々変化進歩していく医学知識こそソフトであり、古代から続く哲学や倫理こそが、人間についてのハードなのだ、ということである。
それをないがしろにして、患者の気持ちやコミュニケーションを軽視して機械のように薬を与え、手術をし、ということでは結果としてその成功率は下がるのではないか。

と、まあざっとこんなような内容で、人間全体を扱う医学は実は科学を超越したところを考慮に入れなくてはならないなと感じた。だからといっておまじないだけなのも困るんですが、それより、医者が患者の情緒的要求にどう応えるか、という点はやはり一患者として関心のあるところだ。と同時に医者は究極感情労働を強いられるために、患者でも医者の立場を考慮することは大切なことだろうな。
それと、いわゆるセカンドオピニオンの問題。これは医師に不信があるからでなく、重大な選択においていろいろな意見を参考にするために、という認識は確認しておいたほうがよさそうだ。
続・笑いと治癒力―生への意欲 (岩波現代文庫)
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タグ:健康
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