2012年11月25日

分裂病は人間的過程である ハリー・スタック・サリヴァン

サリヴァンが臨床でバリバリ活躍していた頃(1920~30年代にかけて)の論文集である。ちょうど世界恐慌があり、フロイトの精神分析学が隆盛を極めていた頃の時代。
サリヴァンも精神分析学を応用しているが、そこから社会学的な観点を取り入れた分裂病(以下統合失調症とかきます)の治療方法と論理を構築している。
一般人の私には精神医学が現在どういう状況なのかよくわからないので、このサリヴァンの論理が妥当なのかどうなのかというのは判断しにくいのだけれども、それでも、彼が病棟を改造して、患者と看護人からなるケアグループのようなものをつくり、そこで、患者の回復率をかなり高くすることができた、いう話は現在の精神障害者のケアをどうするか、という課題に有益な情報ではないかと思われる。

サリヴァンの主張しているところは統合失調症は特異な病気なのではなく、対人関係の病であるということである。対人関係とは言い換えれば、環境や社会や受けてきた教育などを指す。患者はかなりの敏感性をもち、成長過程で、環境の影響を受けて自己がゆがみ、あるいは乖離したシステムからの圧力が強くなり、持ちこたえられなくなって発病するというようなことを述べた。
統合失調症が、器質的なのか機能的障害なのかは私にもよくわからない。しかし、薬物が発達した現在においても、結核などのように患者数が減っている、ということもなさそうなので、サリヴァンの考えることもいまだ有効性を失っていないということなのだろうと思う。
だとすれば、この病気を治療するには、身体のように生化学的物理的個人的なものに頼るのではなく、社会的な観点を含めていくことは大切ではあるまいか。
今、統合失調症について書かれている一般向けハンドブックをちらっと立ち読みすると、服薬の大切さが説かれていて、とにかくきちんと薬を飲むように指導されているんだが、サリヴァンにいわせれば、おそらくそう指導する前に、患者のことをきちんと観察して、なぜ服薬を守らないのかということから突き止めなければならないんだろうな、と思った。

ただ、サリヴァンの方法はえらく職人的で、患者と看護人グループをしっかりオーガナイズしていける人物ではないと相当難しいように思うし、看護人も人数をそろえるだけではなく、患者と似たような敏感性と裏表のない人格が望まれるので、これもまた手がかかる。つまりマンパワーがかなり必要なわけで、その点、薬物による治療はある程度の知識と観察力があれば、人によるケアよりは人材を得やすいことはあるのだろう。

考えてみれば、ことは統合失調症に限らず、偏見やあるドグマがまかり通るような社会で傷つく人間は多い。
その傷つく人間、それを拡大して見せてくれるのが患者なのではあるまいか。そういう意味で患者は炭鉱のカナリア的な存在なのだろう。
分裂病は人間的過程である
分裂病は人間的過程であるH.S. サリヴァン Harry Stack Sullivan

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ラベル:精神疾患
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2012年11月23日

私の嫌いな10の言葉 中島義道

ここに取り上げられてた10の言葉のほとんどが、同調圧力を誘うものか、空気を読むことを強要させられるようなものである。
だからそれに意義を唱える著者の言葉は痛快といえば痛快なんだが、はて?ちょっとまてよ、と考えたことがある。
たとえば、
相手の気持ちを考えてくれて、ひとりで生きているわけではないことを実践してくれていて、いわれたことをきちんと自分のためだと思ってくれていて、素直で、頭を下げることも厭わず、謝り、弁解はせず、胸に手をあててよく考え(なんだか宮沢賢治の雨ニモ負ケズ調になってきたぞ)、みんなが厭な気分にならないよう気をつけ、自分の好きなことはよく知っている、
そういう人がですね、仮に自分の周りにいたとして、こういう人を著者はどう思うのかな?
私はこういう人は君子だと思って感心してしまうし、付き合いやすい人のように思える。そしてそこが罠だ。
だって、こういう人というのは一種の隷属させられた人なんじゃなかろうか。そしてこいう人を付き合いやすいと思っている自分はそれに乗っかってる大悪党なわけで。
まあ、別に善人でなくてもいいけど、こういう言葉をいう人々が間違いなく、自分は善人だと思うところに問題はある、とまあこんなことなんだろう。

でもなあ、外国みたいに自己主張ばかりするのも疲れるんだよ、あたくしは。
個人の言葉を尊重しない文化はむなしさを覚えるのも事実だけど、両方バランス取れてるのが一番いいわ。
まあ、空気読め的な雰囲気が強い日本ではこのくらい強くいうくらいでちょうど良いのかもしれんが、ちょっと疲れました。
私の嫌いな10の言葉 (新潮文庫)
私の嫌いな10の言葉 (新潮文庫)中島 義道

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ラベル:文化
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2012年11月20日

「伝える」ことと「伝わる」こと 中井久夫

80年代に書かれた精神分裂病(現、統合失調症)に関する文章を中心に編まれた文庫版著作集。
本のタイトルに使われたものはは看護関係の雑誌に載せられた一文からのタイトルであるが、統合失調症がコミュニケーションの難しさをもつことを思い起こすと、この文庫本としてよく内容をあらわしてるかもしれないなと、まず読後に思った。
ここに収められている統合失調症関係では絵画療法のことや、統合失調症の言語についてというのがあって、それらは治療を含めて、コミュニケーションのとり方について論じられている。
たとえば、「アンテナ感覚」という言葉。
これはもともとサリヴァンを訳するときに使っていたalertnessという言葉から発しているのだが、これは一種の目ざとさや耳ざとさという兆候を捕らえるような状態に使われていて、アンテナという比喩がしっくり来るので口語的ではあるが「アンテナ感覚」と訳したそうなのである。
この言葉がどんな役に立つかというと、患者の妄想や不安や念慮を聞くときに、発信者主体になりがちな内容を、「アンテナが敏感すぎる」などと自分が受けている(何がしかの影響)を主体として語ることができるし、患者もどうやらその言葉だとすんなり理解してくれるようなのである。
「アンテナ、無数に立ってます」
―安心しておろせない?
「いえ、とてもとても」…(以下略)

私はこの話を感心をもって読んだ。このアンテナという言葉を使ったからといってすぐに話が展開していくわけでもなく、それは妄想をめぐっての対話と同じように常同的押し問答になりやすいのは否めないとのことなのだが、ある種のユーモアがあるし、およそ他人は理解できないような妄想をずっといじくりまわしているより、そこにある種の意思の疎通を感じることができるなあと思ったのである。

他の文章もいろいろ感心して読む。
統合失調症という視点から言語とは何かという話にいたる一節では会話における一見無駄な言葉が話の接ぎ穂としての役割を果たしているのではないかということになるほどなあ、と感じたり、都市空間についての対談では超高層建築がその閉鎖性やわかりにくさなどがオウム真理教のサティアンと共通している、という指摘は、オウムの志向性と社会の志向性は似通っていたのではないかというちょっと背筋が寒くなるような思いがした。
中井久夫コレクション 「伝える」ことと「伝わる」こと (ちくま学芸文庫)
中井久夫コレクション 「伝える」ことと「伝わる」こと (ちくま学芸文庫)中井 久夫

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ラベル:精神疾患 人間
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2012年11月17日

友情 武者小路実篤

武者小路実篤というと山田風太郎が臨終図巻で紹介した晩年の「脳髄解体」文章のことが浮かんできてしまって困るのだが、「友情」は中年の頃の作品にも関わらず「ロシヤに過激派の起こったのは当然だ。又それに反対するものの出るのも当然だ。当然と当然がぶつかって、殺しあうのも当然だ。だがそれで益々米がたかくなるのも当然だ。…」とかいう文章が最初のほうにでてきたのでどうしようかと思った。
が、流石に脳髄解体的文章はそのくらいで終わっていて、あとはまともというか、むしろ簡明で読みやすいのでほっとしたところ。

いや、茶化すようなことを書いてしまったが、「友情」意外に好きかも知れない。
有名な話だからいまさらあらすじというのもなんだが、野島が杉子という友人の妹に惚れて、いろいろ片思い特有のひとり勝手な妄想にふけりながら、親友である大宮にそのことを打ち明ける。大宮は彼女が自分の従妹の友人で一度会ったことがあるのだが、野島の恋を応援すべくいろいろ尽力してくれるんだけど、結局何年かのち結婚を申し込んだ野島はみごとに振られてしまう。実は杉子は大宮を愛しており、大宮は野島の話を聞いてしまった手前、彼女の愛を受け入れることを拒絶しようと思ったのだけど、大宮も杉子のことを愛していることに自分では気がついていて、でも友情との板ばさみでどうしようと苦悩して、結局、彼女の愛を受け入れる、そのいきさつを野島に雑誌を通じて告白するような形になる。野島爆死状態。この復讐は仕事でつけてやる、というようなお話。

あらすじだけ読むと、とても辛気臭いように思えるが、むしろ明るくどこか喜劇的なのがすがすがしい。
私がなぜこれを好きなのかというと、ある理念と自分の心とぶつかったときのその態度にある。
主人公は野島だけど、一番興味深いのは大宮であり、彼が友情と愛情をはかりにかけたときのそれが開き直る、というか覚悟を決めるというか、そういう潔さを感じるのである。
友情を選んで、自分の心を偽ればそれはそれで美しい話になるかもしれない。
しかし、それでは偽善になってしまい、野島の強さを信じたがゆえにあえてああいうことを行ったのだともいえる。相手に同情するのは相手を強いとは思っていないことであり、それでは日頃大宮が野島を見ていた目とは違うことになってしまう。その決意が好きなのである。
この話で野島の立場にしてみればいいところなしだけど、なにか頑張れよと応援したくなるような終わり方であって、これもまたすがすがしい。
だが、こんな風に思うのは自分が年取った証拠なのかもなあ、とちょっと寂しく思わないでもないな。
友情 (新潮文庫)
友情 (新潮文庫)武者小路 実篤

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ラベル:人間
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2012年11月14日

剣(けん) 綱淵謙錠

複数の図書館へ行くと、どこでも必ずといっていいほど「筒井康隆」の隣に並んでいるので、いつの間にか名前だけ憶えてしまい、しかも見たところ時代物っぽいのでそのうち読んでみようと思っていた。それが機会を得てようやく実現した。というと大げさだけど。
漢字一文字のタイトルばかり10篇を集めた短編集。このタイトルのつけ方はどんな小説なのかなと想像が膨らみなかなか面白いなと思う。まあ、剣とか刀は誰か兵法者かなと思わせるし、龍なら多分坂本龍馬だろうという推測をしながら読んでゆく。

個人的に一番好きなのは伝奇好きな血が騒ぐ「変」
これは果心居士の物語なのだが、彼の使う幻術についての説明や、松永久秀との交流、そしてラストシーンの史実が実は彼の幻術であるという設定はたまらない。本当のところこういうことがあってもおかしくはないのかも、とか半ば信じてしまいそうになる。

あと、有名どころ兵法者を描いた「剣」「刀」「瞬」は本来殺人の技である兵法を修養として学ぶ矛盾について作者は言及し、それぞれの立場からその矛盾にどう応えていったのか、ということが読み取れそうだ。
戦わずして勝つ、という塚原卜伝、無刀取りというアイデアを温めていた上泉信綱、人を切ったことがないという幕末の榊原鍵吉。

また「憎」は束松事件にいたる経緯を描くが、戊辰戦争後、敗戦者側を人間扱いしない明治政府の役人に憤りを覚える、まさに「憎」なのであった。
剣(けん) (中公文庫)
剣(けん) (中公文庫)綱淵 謙錠

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ラベル:時代小説
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2012年11月12日

アリアドネからの糸 中井久夫

心理や精神疾患の話から文学まで幅広い分野で構成されたエッセイ集だが、エッセイというには素人の私から見ると本格的に見えるものもあり、ここでいうエッセイとは論文ではなく、概略とか素描という意味合いに近いのだろうと思う。

まず最初に「いじめの政治学」という文。いじめについては現在でも解決策が容易に見つからないものであるが、ここではこどもの世界がよりむき出しの権力社会であるということを指摘し、その手法を周りの大人から学ぶということが書かれていて、生半可なことではないと改めて思わされる。
権力社会であるからには「政治」があるということで、「いじめ」を「孤立化」「無力化」「透明化」の三段階に分けてみた著者はこれが実は政治的隷属、すなわち奴隷化の過程であることを示す。
この説明がじつに凄まじい。「孤立化」ではターゲットがいかにいじめられるに値するかというPR作戦を周りに展開し、うかうかすると周りの大人もそれに乗せられてしまう。「無力化」では相手の力をそぐためにいろんな暴力が行われる。標的になった人物が最後の力を振り絞って自殺という抗議手段にでるのもこの段階で、もしここを通り過ぎると、彼彼女の人権はいじめる人物に著しく侵害され隷属状態になる「透明化」となり、この段階になるともはやいじめられているという事実が見えなくなってしまう。
「いじめ」が単なる遊びなのではなく、実は大人の世界の人権侵害と同質のものであるということを私は改めて再確認した。ともすれば「いじめられるほうが悪い」みたいな言論も見受けられる中、そうではなくて社会に見られる人権侵害、それの反映なのだということを。

他にもいろいろ魅力的な文章がそろっている。自らの経験から記憶についての年齢的な推移の話や、精神科病棟設計についての話、詩を訳すということについて、ここでは言語にまつわる話も出てきて、「文体」についての話のなかで、大人の言語が因果律に汚染されていて、われわれは同時的にあたえられる「布置(constellation)」をしばしば因果関係と解しがちであるが、文体の獲得はこのようにくる因果関係に対して「嘘くさい」という感覚を起こして警告する感性的能力の獲得でもある。というような文章にどきっとさせられたりもした。迷信の類が出現するのもこの成人言語のせいなのかもしれん。
ヴァレリーの詩についての話は残念ながら知らないためによくわからなかったが。

最後にはロールシャッハテストはなぜあの絵であの順番なのかという話が出ているが、適当に見えるようなあの絵が実は「神に選ばれた」かのごときもので作り直そうとしてもそれらを上回るものができなかったとか、順番についての説明も読んで、このテストは直感と経験とで作り上げたもので、もし人工的になにかの理論で作ろうと思ってもこうはうまくできないのだろう、という感想を抱いた。

ま、あとあまり関係ないけど、中井先生って共感覚の持ち主なのだね。文字に色がついていると書いておられました。
アリアドネからの糸
アリアドネからの糸中井 久夫

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2012年11月09日

象 スワヴォーミル・ムロージェック

本の紹介にはグロテスク・ファンタジーという言葉が使われていたので、どんな世界が広がってるのかと思いきや、私にはかわいらしい童話の世界が広がっていたのだった。
だって、動物がたくさんでてくるし、人間が電信柱だったり、チェスになったり、雪だるま狩りをしたりとか、この道具立てはとてもかわいいとしかいいようがない。
といっても、話の内容はやわらかな童話チックなものではなくてシュールなものあり風刺してるものありとこのあたりは前衛作家らしい。
たとえば「ジグムシのこと」
ジグムシは男の子で人からみれば変わった質問をしたり、ちょっと見当はずれな言葉の解釈をしたりして大人たちを困らせる。最後のほうなんか「うちは、みんなもう家族墓地に土地を買ってあるんだ。でも、おばさんなんか、みんな元気でいようねって言ってるけれど」とジグムシはいっていて“注意が必要だ。かわいいのはかわいいけれど、それだけではない何かが…”なんて書かれており、思わず苦笑してしまう。
シュールといえば「もっと低く」という作品はほんとシュールだ。二人が歩いているうちにどんどん高さがなくなってゆくという作品なんだけど、最後に数学の直線定義に関した言葉で締めているのである。

私が好きなのは人間電信柱のでてくる「旅の道すがら」とかある奇形の負傷兵に出会う「休暇中の冒険」や「望み」という手紙の話とかだが、人間チェスのでてくる「王手」はほんと楽しかった。これは子供の童話にしてもいいくらい愉快。あとビター系で「小さな友」の苦さは胸に刺さる。
象 (文学の冒険シリーズ)
象 (文学の冒険シリーズ)スワヴォーミル・ムロージェック 長谷見 一雄

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ラベル:風刺
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2012年11月08日

赤い百合 アナトール・フランス

「赤い百合」は恋愛小説であるが、「ボヴァリー夫人」のような激しさはない。
いや、あるといえばあるか。彫刻家ドシャルトルの恋は激しい。
とはいえ、主人公であるテレーズは美貌と才気をもつ女性だが、人生に退屈し切っている。半ば政略的ともいえる結婚で夫には恋愛感情をもてないし、激しく求愛されて心動かされた、ル・メニルも物足りない男性なのである。で、ル・メニルのちょっとした言動からすっかり嫌気がさしてフィレンツェへ旅立つテレーズはそこで前にあったことのある彫刻家ドシャルトルと恋愛に落ちる。テレーズはこの恋愛で初めて生きているという実感を得たのだが、ドシャルトルの並外れた嫉妬で最後は破局する。
恋愛小説としては物足りないかもしれない。テレーズはなんというか気をもたせるタイプでそれがすべて災いしているので気のある男性から見るともてあそばれてるように思えなくもないだろうなあと感じる。
そして男性たちはといえば、なんかどの人も間抜けに見えないこともない。ル・メニルは気がきかないし、ドシャルトルは想像力が豊か過ぎて妄想が激しい。
まあ、人間というのは完璧ではないので、どこか欠点のあるもの同士が結ばれる以上はひずみも生まれてこよう。とか、恋愛小説のくせに妙に冷静になってしまうような小説ではある。

そういう恋愛小説的盛り上がり感はあまりないが、折々に会話される芸術の話や信仰の話はなかなか興味深い。私に教養があればもっと楽しめるだろうになあと思う。もしかしたらそういう部分を楽しむような小説なのかもしれない。なにせアナトール・フランスだし。
そう、そのような会話群の中で、印象深いものがある。詩人シューレットが、マルメ夫人に言った言葉。
「マルメの奥さん、あなたは戸口というもの…普通のペンキ塗りの木戸、あなたのお宅の(これは譬えですよ)や、わたしの家のや、こちらのお宅のや、どこの家のでもよいのですが、戸というものを眺めたとき、いつなんどきどんなものが訪ねて来るかわからないと思ったら、恐ろしくてぞっとしませんか。われわれの住いの入口は無限に向かって開かれているのですよ、マルメの奥さん。そういうことを考えたことがありますか。そもそも、人間の格好で、見慣れた顔をして、普通の着物を着て、われわれの家にはいってくる男なり、女なりの、ほんとうの名前を、われわれは知っているのでしょうか」

実を言うと、似たようなことを考えたことがあって、でもこういうことって他の人は考えないだろうなと思っていたから、ああ、同じようなこと考えてる人がもういたんだ、と感慨深かったのである。
まったく、自分は誰も考えないようなおかしなことを考えてしまう、ということはなく、既に誰かがそういうことを考えてるものであるな。
アナトール・フランス小説集〈4〉赤い百合
アナトール・フランス小説集〈4〉赤い百合アナトール フランス Anatole France

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ラベル:恋愛
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2012年11月06日

世界悪女物語 澁澤龍彦

悪女といってもいろんなイメージがあるなあ。
ここに取り上げられた女性たちは世間から悪女の烙印を押された人々には違いないのだけれども、著者がいうように悪女には思えないメアリ・シュチュワートや、ナイーブな女性に見えるといったルクレチア・ボルジアなどもいて、結果その女性のために血をたくさん流したということが悪女の基準かな、などとも思う。
そんな中で、私の基準の悪女像にぴったりに女性がいた。
6世紀フランクにいた、フレデゴンドという女性。
彼女はもともと身分の低い女性であったが、美貌を武器に、いつか王妃の地位を得たいという野心満々で、ターゲットとなった王の先の后を言葉巧みにわなに落としたり、新しく来た王妃を殺して、自分がその地位に納まったり、あと自分の地位を安泰にするためにさまざまな殺しを行ったという。
そして、自分の基準の悪女というのは権力を得るために血を流す、という女性のことなんだな、と12人の悪女たちの物語を読んで認識した。

まあ、しかし、フレデゴンドも凄いが、則天武后は破格だな。
なにしろ、自分と皇帝の親族をことごとく死に追いやって、唐王朝を滅ぼしかけたんだから。
これだけのスケールの女性はさすがに中国というべきなのか。

私がどうしても悪女と思えなかった人物がいる。
マグダ・ゲッペルスである。
彼女はかのゲッペルスの妻なのであるが、この人はナチに手を貸したということでおそらく悪女のリストに入れられてしまってるのだろうけど、個人的な殺戮をしたわけではないので、どうも一般の女性が道を誤ったという感じなのである。
まあ、そういうなら他の女性もそういう面があるのだろうけど。
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ラベル:人間
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2012年11月04日

重力の虹(Ⅰ)(Ⅱ) トマス・ピンチョン

いや、大変でした。
特に難しい言い回しやややこしい言い回しをしていないので読めることは読めるのだが、いろんな分野の話題が出てくるのでそれがわからないと何を書いているのかわかりにくいし、おまけに話が断片的なのでうっかりしていると前の話を忘れてしまったりして、ようよう読み終わりました。
とはいえ、読んではみたけれどもこれが理解しているとは言いがたい。最初読み始めたときはずいぶん俗っぽくて前衛的かもしらんがこれは何を書こうとしているのかさっぱりわからん。もちろん、これがドイツのロケットにまつわるさまざまな各国の思惑を半ば戯画的に描いているだろうということや、スロースラップの七変化がマンガの「トムとジェリー」のトムさんみたいだとか、その程度の想像は働くんだが、さて、これが文学的にはどうなのか、といわれるとさっぱりなのだ。
もっとも、学者じゃあるまいし、そんなこと考えなくても上記の理解力程度でわははと読み飛ばすだけでもいいのかもしれない。

とか思いながら解説を読むと、巽孝之がいろいろ指南してくれており、ああ、なるほどなこれはこういうことを書いていたのか、というのがおぼろげに理解できる。
中でも私が気に留めたのは、サイボーグ的性格としてのスロースロップ。この中で巽さんは果たして彼が自分の意思だと思ってしていることが本当にそうだろうか?といったような意味のことを問いかけている。それで思い出したのは、しきりに「優柔不断だ」と何かあるごとに思い、また何か頼まれたら断ることができない、といった彼の性格だ。そこに巽さんは「そもそも無意識の構造にいたるまで資本化してしまい、人間をサイボーグへ―それも自らがサイボーグであるとすら意識していないサイボーグへ―転化してしまおうとするのがピンチョン的巨大企業のやり口ではなかったか。」と分析しているが、いや、確かにそうだ。そういった面で、このサイボーグ化はスロースロップのことだけでなく、現代資本社会に生きる人間たちにもあてはまるような気がしてきてちょっと怖かった。
あのう、こうして今この本の感想を打ちこんでるのも何かしら条件付けされてるのでしょうか?
答えはYES。なぜならa…おや誰か来たようだ。
重力の虹〈1〉 (文学の冒険シリーズ)
重力の虹〈1〉 (文学の冒険シリーズ)トマス ピンチョン Thomas Pynchon

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重力の虹〈2〉 (文学の冒険)
重力の虹〈2〉 (文学の冒険)トマス ピンチョン Thomas Pynchon

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ラベル:アメリカ文学
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