2012年10月27日

忠臣蔵とは何か 丸谷才一

(清水義範「猿蟹合戦とは何か」の原典ということで読みました)
年末になると忠臣蔵の話題を見かける。この時代まで脈々とその事件が娯楽として伝えられてきたのはそれなりになにか日本人の心情に訴えるところがあるんだろうなあ、とは思っていた。で、それは一体なんであるのかというのがこの本の内容である。
いや、これがえらく面白かった。
なんと日本人の忠義好きという話ではなかったのだよ。事は日本古来の御霊信仰に絡めた宗教的様相を帯びてくるという。
そもそも史実としての討ち入り事件そのものが江戸時代に流行った曾我兄弟の敵討ちに準えられたという話なのだから驚く。曾我兄弟の話そのものが一種の御霊信仰なのであったのだ。さらに、話はもっと大きくなり、祝祭、カーニヴァルとしての忠臣蔵というところまで広がってゆく。
このあたりに行き着くまでの道のりが実に推理小説の謎解きのようで読むのがとまらなくなる。
この道筋にはいろんな要素が調査されているのだが、中でも私が一番面白いと思ったのは「仮名手本忠臣蔵」という外題を始としてさまざまな言葉にに込められた意味について語るところである。
蔵は内蔵助の蔵というところは誰でも思いつきそうだが、仮名という言葉から連想されるいろはは47文字から四十七士を連想させるとか、火消し組のこと(彼らは火事装束をつけてた)とか、学のない人間でもわかりやすい、通俗という意味が込められてるとか、読んでいて感心することしきりであった。
こうして展開していく論の中で、文学というか文芸と現実事件のかかわりの中で、一種の象徴めいた出来事として長く伝えられていくようになる様子を見て取ることができ、虚構と現実の線引きというのがだんだん曖昧になって、取り込んでゆく人間の心理過程を見るようであった。
忠臣藏とは何か (講談社文芸文庫)
忠臣藏とは何か (講談社文芸文庫)丸谷 才一 野口 武彦

講談社 1988-01-27
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2012年10月22日

アウルクリーク橋の出来事/豹の眼 アンブローズ・ビアス

「アウルクリーク橋の出来事」はよくできた短篇だけど他はそうでもない、というのがビアスの短篇評なのだそうである。訳者はそれはどうなのか、作品そのものに語らせるべきだろう、と訳者まえがきで述べている。
この文庫本に収められているのは、表題を含めて14篇。
「アウルクリーク橋の出来事」は以前、筒井康隆さんが紹介しているのを読んだ事があって、結末は知っていたのだけれども、それにも関わらず途中の描写は迫力あるものであり、結末直前のシーンは妙に美しく、もしかしたら結末を知っているからこそ美しく見えたのかと思った。
「チカモーガの戦い」は子供の兵士ごっこから始まって、徐々に光景がシフトしていく様子が幻想的である。そして幻想的ではあるが、兵士たちの様子は生々しい。
以上の2篇は私の心をとらえた短篇であるが、そのほかにもまるで小話のような「夏の一夜」はなかなかブラックジョークっぽくて嫌いではないし、「レサカにて戦死」はなんだかギャグみたいな展開でビアスの皮肉がよく現れている。
総じて、この短編集を見る限りでは、結末が身もふたもないものばかりだし、だからあまり好まれなかったのかなあ、と思った。幽霊話があるにしても、そこにお定まりの感傷はあまりみられず、むしろその死をめぐる人間の右往左往、それは死後の世界をも巻き込んだ、人間の戸惑いそのものが描かれていて、こういう態度は現代的に見える。

ところで、訳者あとがきで芥川龍之介がビアスを絶賛していて、「月明かりの道」に触発されて「藪の中」を書いた可能性は海外の研究者に知られている、ということを自分用にここへ覚書。
アウルクリーク橋の出来事/豹の眼 (光文社古典新訳文庫)
アウルクリーク橋の出来事/豹の眼 (光文社古典新訳文庫)アンブローズ ビアス Ambrose Bierce

光文社 2011-03-10
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2012年10月21日

世界史概観 H.G.ウェルズ

生物の起源から書き起こす世界史はSFのはしりを書いた作家らしいな、と思いながら読み始めた「世界史概観」。
その内容は極東に住む人間から見ると、どうしても西洋からの視点だなあとは思わずにはいられないのだが、西洋史の教養が全然ない自分にとってはありがたい書だとはいえる。
もともとアーリア系そのものがインドのみならず地理的に遠い中国を除いた古代文明へ侵略(というとあまり聞こえはよろしくないが)してきた者たちであるということをまず認識した。
ところで、こうして描かれる世界は侵略と覇権争いが目立つ。ウェルズはこのことについてある興味深いことを指摘していた。
それは人間というもの、いや獣も含めて本来は所有権という欲を持つということである。
社会は所有権対所有権の争いを調停するために生まれてきたものなのであるということ。
これはなんとなく当たり前に思うが、改めて指摘されると、確かにそうだなあと思う。
キリスト教が財産を否定する宗教であるということも指摘。このことはキリスト教に関する認識を開いてくれた。仏教が個人の欲心を捨て去る宗教だとすれば、異なるように見えても、実は本質的に所有権という半ば本能に対する挑戦において一緒であることが見えてくるわけだ。
世界史ではないのだけど、宗教とは何かという問いに一つの説を知ることができて得るところがあっただけでもこの本を読んでよかったとおもった。もっとも、あの知的進化の見られたBC5世紀以前の宗教はいけにえなどのある集団的で呪術的なものであり、その質は違うのだが。

話がそれた。結局、度重なる侵略と覇権争いは人類の業ともいえるものであるが、そういう波が既存の文明に刺激をあたえ、新しい文明が生まれてきたことは否めない。ウェルズもそうした事例を折々に紹介している。ただし、19世紀の産業革命とさまざまな発明の輝かしい技術革新のあとにやってきた、20世紀の2度にわたる大戦はウェルズを悲観的にする。それは21世紀を迎えてもなお形を変えて残っているといえるであろう。
ウェルズの描いた歴史を見る限り人はこれからも争いを止めることはできないであろう。所有権を否定したキリスト教や共産主義が結局のところ単なる権力掌握の道具に使われてしまったのを知っている現代はもはや所有権をただやみくもに抑圧する方向ではうまくいかないことを認識している。ではどうすればよいのか、ほんとに難しいところだ、とまるで他人事のように書いて無責任にこの感想終わる。
世界史概観(上) (岩波新書)
世界史概観(上) (岩波新書)H.G.ウェルズ 長谷部 文雄

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世界史概観 下 (岩波新書 青版 600)H.G.ウェルズ 長谷部 文雄

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2012年10月16日

国語入試問題必勝法 清水義範

清水義範の本はパスティーシュということで、自分の教養がない場合、なんの物まねがわからなくて理解できないのではないかという恐れがずっとつきまとっていた。それで今まで読むこともなかったのだけれども、この間、はてなの人力検索で古典にしたい本という質問に、この「国語入試問題必勝法」というのを挙げている方がいて、おお、国語入試問題のパロディならなんとかわかりそうだから、一度読んでみるべえ、ってなことで今回読んでみた次第。
まず、最初に「猿蟹合戦とは何か」という作。読むと、歴史的仮名遣いで、ああ、もしかして丸谷才一か?ずいぶんタイムリーだったな、と思いつつ、中身はフェミニズムもびっくりの解釈ですこぶる面白かったのだが、いったい丸谷先生の何の真似なのかわからないままだった。だからいわんこっちゃない。まあ面白いからわからなくても読めてしまうところが凄いのかもしれない。
次に表題の作。これはニヤニヤ読んでしまうな。国語のテストってほんとわけわからんものなあ。そんなほう法則が働いていたとは(もちろん冗談)。おもわず笑った「六文字で答えよ」の答え。
あと、「時代食堂の特別料理」「靄の中の終章」のアイデアは美味しい。
一番爆笑したのは「人間の風景」会社勤め自営業警察新聞各種の人々をさりげなく諷刺していて特に警察のところがひどすぎるw

さて、「猿蟹合戦とは何か」なのだが、解説が丸谷才一でその中で「忠臣蔵とは何か」という作のパロディだということがわかった。そうか、読んでないな。そのうち読もう、とまた読む本リストに一つ書き加わった。
ところで、丸谷先生、あの世で僧正遍照や与謝野鉄幹に会ってお話聞いたか知らん。
と、まあ、先日の訃報に接してこの解説を読んだのでそんなことを思いました。
国語入試問題必勝法 (講談社文庫)
国語入試問題必勝法 (講談社文庫)清水 義範

講談社 1990-10-08
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2012年10月15日

エデン特急 マーク・ヴォネガット

サブタイトルが「ヒッピーと狂気の記録」。
著者マーク・ヴォネガットはあのカート・ヴォネガット・ジュニアの子息である。
マークが大学を卒業してからカナダへ行き土地を購入してヒッピーの集落を作るのだが、そこが落ち着いたときに精神病を患って狂気におちる。そして二度の入院を経て回復した著者は医学生となる。
ヒッピーのことはよく知らんのだが、読んでるうちにその志向が結構私も興味ある分野なので、あまり理解できないということがなくてわりかし共感をもってしまった。それはまたマークがやさしい(というと語弊があるのだが)性格であることも関係してるかもしれない。ああ、純粋な統合失調症患者とかいうけど、こういう人のことをいうんだなあ、という感じ。
精神世界の話題やドラッグが日常的に入り込んでるので、狂気がどこまで病気のものでどこまでが人為的環境で引き起こされたものなのか判然としない。そしてまた、もうひとつ判然とさせにくくしているのは精神世界における悟りの境地なのか、病気なのか、仲間たちが迷ったことである。
事実仲間たちは彼を入院させるまでにえらく躊躇したり、医者の許可がでるかでないかのうちに逃亡のように退院してきた彼を出迎えたりしているわけである。
そのあたりの混沌とした様子が、手記でありながら前衛の小説のように語られる。芸術といってはいけないんだが限りなくそれは芸術に似ている。

だが、私が真に感心したのは最後の章にある「アニタへの手紙」。
これは統合失調症を患ったとおぼしき女性にあててのアドバイスの手紙なのだが、かつて同じ狂気を経験したものの共感と、医学生としての見解と、なにより女性を思いやるやさしい文章が心をうつ。
現在この本は品切れ中であるが、この手紙の部分だけでも入手可能な状態にして、統合失調症で悩む人々の手元に届けられたらよいのに、と思うしだいである。
【追記】
今、手紙のなかで言及されてた「オーソモレキュラー」なるものを検索したところ、批判する記事を多く見かけた。手紙の中ではマークはこの療法を勧めているように見受けられるが、1970年代という時期でもあることだし、もしこの部分だけ出版するという話になったら、注釈入れたほうがいいのかも。
一応注意書き。
エデン特急―ヒッピーと狂気の記録 (1979年)
エデン特急―ヒッピーと狂気の記録 (1979年)マーク・ヴォネガット 衣更着 信

みすず書房 1979-03
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ラベル:精神疾患
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2012年10月13日

反=近代文学史 中条省平

反と冠しているからには、まず近代文学とはなんであるかということを知らなくてはならぬが、本著ではボードレールの「悪の華」やフローベールの「ボヴァリー夫人」を例に挙げながら“二重化され、引き裂かれる内面の葛藤のドラマが、近代文学の最も重要な主題として浮上してくる。”と言っている。そしてこの「内面」が特権的に扱われる、これが近代文学なのだそうである。
これを日本文学で当てはめれば漱石を始として、自然主義と呼ばれた作家たち、あるいは太宰や芥川といった面々が浮かび上がってくる。こうした作家たちの小説を思い浮かべればおおよそのイメージがつかめようというものだ。私個人的にはノイローゼになりそうな文学といったところか。
ところで、今回この著書の目次を見て、私は狂喜した。
なにしろ取り上げられてる作家の名前が垂涎。最初の夏目漱石は近代文学についての言及のために取り上げられてるが、次章からは鏡花谷崎乱歩足穂久作三島澁澤龍彦山風村上龍筒井康隆と、なんともまあノイローゼから程遠い作風の人々が集まっているのである。
そして、その解説するところも愉快だ。お化けを扱う鏡花や、ほとんど官能性と芝居の谷崎など、私がたくさん読んでる作家については、まさに腑に落ちる解釈であり、またあまり読んでいない作家については面白そうだからもっと読んでみようという気にさせられるのである。
なんだか、あまりにも面白くてということばかり書いて全然感想になってないな。
そもそも、ノイローゼ文学も私は好きだけど、それだけでは疲れるというのがあって、ここで取り上げられてる作家たちの小説は、著者があとがきで書いていたようにいろんな意味で「官能性」が高いのである。
そして誰がどんな「官能性」を持っているのかということを書いたのがこの本なのだ。
そして、近代の「内面」が排除してきたもろもろのこと、たとえば身体性や不合理な世界のことをそれぞれのやり方で徹底的に追求してきたのかこれらの作家なのだともいえる。
個人的には泉鏡花の章で「春昼」の一節を引用している、偶像崇拝についての文章が興味深い。ここで鏡花は「偶像は要らないという人に、そんなら恋人はただ慕う、愛する、こがるるだけで、一緒にならんでも可いのか、姿を見んでも可いのか。…」という部分に痺れた。
観念だけが一人歩きしがちな近代自我はあまりにも身体性をないがしろにする傾向がある。
反=近代文学史 (中公文庫)
反=近代文学史 (中公文庫)中条 省平

中央公論新社 2007-09-22
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ラベル:文学
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2012年10月11日

舞姫タイス アナトール・フランス

聖者パフニュスが昔みた舞姫タイスの面影を思い出し、彼女を俗世間から救い出してやろうと思い立ってアレキサンドリアへ向かうという話。
当時の大都市の様子や、隠遁者たちの生活を詳しく描いているのも興味深く、またキリスト教徒からみて異教徒にあたるローマの貴族たちの哲学談義もなかなか面白い。
ここで著者はパフニュスに激しいともいえる信仰心を与えていて、異教徒たちの考えに憤慨すること多々あってこれが結構可笑しかったりする。笑ってはいけないんだろうけど、アナトール・フランスがまじめに彼を描写すればするほど、なにかこう滑稽な感じがするのよね。
そういえば思い出したけど、この感じ、筒井康隆が書いた、日蓮が現代社会にタイムスリップしてくる話「堕地獄仏法」あれに似てるな、と思った。
とにかく熱く真面目な宗教者と軽佻浮薄な社会の取り合わせは結構喜劇的に見えるのかもしれない。
そんな可笑しさもさることながら、パフニュスについては最後はなんとも厳しい結末になっている。なぜ信仰心熱き彼がそんなことになってしまったのか。
ここに人の心の難しさを見ることができる。
私の考えでは彼に欠けていたものは寛大さと誠実さであると思われる。寛大さは他人に向けて、そして意外だろうと思うが、彼は自分の気持ちに誠実ではなかったため、捻じ曲げた解釈を施した。が、ために悪魔にとりつかれることになったのだろう。
といっても、著者はこの小説の中で彼については特にどうだという考えを述べているわけではない。
ただ、訳者あとがきでは、こんなような事が書かれていた。すなわち、アナトール・フランスは世間でいわれる数々の評に「静かに皮肉な微笑を浮かばせているばかりである」

読んだ本は角川文庫なのだけど、今品切れ中
舞姫タイス (角川文庫)
舞姫タイス (角川文庫)アナトール・フランス 岡野 馨

角川書店 1989
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他の訳者になるが、今在庫があるのは
アナトール・フランス小説集〈3〉舞姫タイス
アナトール・フランス小説集〈3〉舞姫タイスアナトール フランス Anatole France

白水社 2001-01
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舞姫タイス (白水Uブックス―海外小説の誘惑 (145))
舞姫タイス (白水Uブックス―海外小説の誘惑 (145))アナトール・フランス 水野 成夫

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2012年10月09日

ミヒャエル・コールハースの運命―或る古記録より ハインリヒ・フォン・クライスト

ある公子のところで黒馬をとられたコールハースは再三に渡って公に訴えるものの、すべて却下されて堪忍袋の緒が切れた。そして決起して公子の館を襲撃し、やがてそれはサクソニヤ全体を巻き込む事件となる。
なぜにこんな大掛かりな事件になったのか。
一つには公子を庇う勢力が公の組織で力を持っていたためにそれを握りつぶしたことが挙げられるが、コールハースが並外れた正義感を持っていたために、この不正を許すことができず、法の保護下からはじき出されたというこの思いをもう他の人に味合わせてはならんと立ち上がったことから騒ぎが大きくなった。
そして度重なる不運がコールハースの立場をますます追い詰め、最後は国家の治安を乱した罪に問われるのである。
いやあ、読んでて思ったのはコールハースの立場でもなく、公子の卑劣さでもなく、政治とはなにかということであった。
もとはといえば商取引上のいざこざである。すぐ真っ当に裁判を行えばコールハースが決起して周辺の町に多大な犠牲を強いたかどうか。
国とはなんのためにあるのか、ということを考えざるを得なくなるのである。
ある人間をろくろく言い分を聞きもしないで法から拒絶するというのは実は危険なことなのではあるまいか。
私はコールハースのやり方を支持しないけれども、窮鼠猫を噛むの喩えがあるように、追い詰められたら人間はなにをしでかすかわからないのである。
政治体制にはいろいろなものがあって、一長一短だからどれがいいか、ということは私にはよくわからん。
ただ、権力を自分の力と混同したとき、周囲に混乱が生まれることは間違いないようだ。
ミヒャエル・コールハースの運命―或る古記録より (岩波文庫)
ミヒャエル・コールハースの運命―或る古記録より (岩波文庫)クライスト 吉田 次郎

岩波書店 1941-06-28
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2012年10月08日

少年少女 アナトール・フランス

子供たちの生活を描写しながら、そこに人生についての一節を紛れ込ませたりして、子供が読むよりは大人が読むための児童書みたいな面持ち。
私が一番好きなのは、「ロジェの厩」である。この話ではロジェという男の子が木馬の世話をして、遠出に乗り出す場面が童話のように描かれる。
そして、こんな一節が続く。
…老いも若きも、私たちはみな、私たちの馬を駆っている!だれが、木馬を持たないでしょう?
大人たちの馬は人生のあらゆる道を気ちがいのように馳せています。あるものは名誉にむかって、あるものは快楽にむかって、そうして多くのものは、断崖に躍りこんで、乗り手の腰を砕いてしまう。私は祈ります。やがて君が大人になったら、いつも君を導いてまっすぐな道を進んでゆく、二頭の馬に乗りたまえ、ロジェ君。その一頭は元気のいい、その一頭はしとやかな、いずれ劣らぬ立派な馬です。一頭の名は勇気、一頭の名は親切。

いや、ほんと、私など腰砕けっぱなしなので、この一節はなんとも身につまされるものを感じた。
子供たちにはそんなことのないよう、こうして忠告するんだろうけど、でも子供たちも大人になれば、自分の力を過信したり、大きな野心にとらわれて一度は失敗するんだろうなあ、でも失敗しない人生というのも、なんだか味気ないし、ただ、最終的には立派な馬に乗りたいものだ、などといろんなことを思っちゃったわけです。
まあ、こういう忠告を説教くさいと感じないわけでもないんだけど、大人としてどちらかといえば失敗の人生寄りな私には、子供時代を思い出して、あの頃はほんとにわけもわからずに愉しかったし、おっかないこともたくさんあったし、いろいろだったなあ、と感慨にふけったのでした。
収録されてるエディー・ルグランの版画がまた郷愁を誘ってよい。
少年少女 (岩波文庫)
少年少女 (岩波文庫)アナトール・フランス 三好 達治

岩波書店 2002-07-09
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2012年10月07日

ボヴァリー夫人(上)(下) フローベール

シャルル・ボヴァリーと結婚したエンマは感傷的な性格で、ロマンチックな夢を描いていたのであるが、シャルルが凡庸な人間だということに失望してゆき、満たされぬ情熱はやがて不倫の恋へと発展していくことになる。最初のうち、エンマの感傷的な思いや、現在の生活の不満がたらたらと書かれている部分は読んでいて少しだらけた感じだったのだが、エンマが不倫でどんどん転落するような展開になりはじめて俄然目が離せなくなった。
前半の少女みたいなエンマが後半、不倫を重ねていくうちに、まるで毒婦みたいな振る舞いをしていくようになる過程が凄くて、この坂道を転げ落ちるような転落振りには、満たされない生活をしているものが陥る地獄を描いているようで戦慄する。
いや、シャルルは凡庸だけど、それなりに生活力はあるんだし、とか言い出すとこの小説は退廃的でふしだらな女の話にしか見えなくなってしまうのだが、でもエンマがふしだらだとか、そんなことはこの小説をきっちり読めばそんなことは口がさけでもいえない。
なにせ、エンマはいつも本気モードなのだ。そして捕まえたと思った幸せを失うのを極度に恐れるので、その必死さにますます拍車がかかる。
エンマの情熱は異常にも思えるが、人の欲望や願望には往々にしてこういう偏執的な面がありはしないだろうか?そしてその欲望や願望はいつも手に入れたと思ったとたん、色あせはじめる。必死になってその幸せを失うまいとすればするほどなにか理想は遠くへといってしまうような気がする…
そんなことが自分の中にもあるなあと思ったとき、エンマが愚かな女ではなく、自分の願望の殉教者であることに気がつくのであった。
ボヴァリー夫人 (上) (岩波文庫)
ボヴァリー夫人 (上) (岩波文庫)フローベール 伊吹 武彦

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2012年10月04日

精神病棟の二十年 松本昭夫

新潮文庫で精神疾患の人の手記を見つけた。この方は昭和10年生まれなので世代的にはもうだいぶ上の方。
この方の場合、女性関係が元でよく再発が起こり、20年もの間入退院を繰り返していたらしいが、その中でも仕事を転々としながらも、なんとか最後には社会で自活していけるまでになったという。
そんな著者の20年は、病気の苦しみもさることながら、当時の医療に対する恐怖も描かれていて、ちょっとこれは怖いな、と思った。
いや、怖いと思うのは偏見なのかもしれないけれども、電気ショック療法終了後のなんともいえない意識状態のことや、インシュリン療法で目覚めるときに感じた、海に墜落するイメージなどはやはりなんとなく怖い。
その後薬が進歩してきたので、そういった物理的療法は少なくなっていったけれども、ロボトミーや隔離室の話などは、著者は体験していないけれども、そのことにも言及していてやはり恐ろしいというイメージはぬぐえない。
現在はかなり改善されているのだろうが、こういう時代があったのだ、という記録として、この手記はまた興味深い。

ところで、妄想というのは人間の意識にかかわるものだけに、人によってずいぶんと違うものだなと思う。
著者の場合は、セクシャルな妄想や嫉妬妄想が多かったわけなのだが、ここには前に読んだ小林和彦さんの世界救済計画の妄想とはまた一味違う世界がある。
松本さんの場合、文学を志していた人で、サブカルチャーよりは一般の文化を愛した人だろうという感じがする。
だが、どのような妄想であれ、それが愉しいにせよ苦しいにせよ、その妄想を持つ人間の意識の背後には理解されない何者かが形を変えて現れているのだ、ということを忘れないようにしたい。
精神病棟の二十年―付・分裂病の治癒史 (新潮文庫)
精神病棟の二十年―付・分裂病の治癒史 (新潮文庫)松本 昭夫

新潮社 2001-09
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2012年10月01日

あばれ狼 池波正太郎

このところ真田太平記がらみで真田について書かれた池波正太郎の小説を読んでいるが、この文庫本も真田に関係する短篇が3篇入っている。
「角兵衛狂乱図」はあの樋口角兵衛の生涯をまとめたもの。『真田太平記』のようなあからさまな狂人ぶりにはなっていないが、己の武勇を誇るあまり、やたらプライドが高く、誇りを傷つけられるととんでもない行動に出る、という点は同じ。ただ、最後の締めくくりは意外や意外、信之の役に立てるようある文書を残していく。このあたり、単なる粗暴な男に終わらせたくなかったのかな、と思った。
「幻影の城」は沼田城を真田がものになる前に支配していた沼田一族の内乱を描いたもの。ここに出てくる和田十兵衛は池波正太郎好みと私が勝手に思ってる思慮深い男として描かれていて、ちょっと感心した。
「男の城」はご存知鈴木右近のこと。これには『真田太平記』に描かれていなかった右近の2度目の出奔も描かれていて、右近という人物の情熱がよく伝わってくる。

さて、この本の表題は「あばれ狼」となっている。これは残り4篇のうちの3篇がいわゆる「股旅もの」といわれる渡世人を描いた小説のうちのひとつのタイトルである。
これら股旅物を読んで思ったのは、まあ、今更なのではあるが、池波正太郎の小説には一般社会からの逸脱者、それもアウトローたちつまり盗賊や忍びや渡世人といった人々に一種の興味、というか惻隠の情、というか、とにかくその世界を描いたものが実に面白くて人生訓を読んでるような気持ちにさせられることだ。股旅物も不運な育ちで博徒の世界から足を洗えずにいる男たちの孤独と厳しさとそんな中にもある種の情が描かれていて、こうなんだか読んでて自分の浅はかさや思いやりのなさなんかを痛感してしまうんだな。そして、こんなことはまったく違うのかもしれないが、あの戦中戦後のどさくさにこういう世界に似たものがあったのかもしれないと思ってしまうのだ。そう考えると、それは著者が肌身で感じ取ったことをこういうアウトローたちの物語に託しているのかもしれない、などと想像してしまうのだった。
あばれ狼 (新潮文庫)
あばれ狼 (新潮文庫)池波 正太郎

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