2012年09月30日

おだやかな死 シモーヌ・ド・ボヴォワール

ある程度年をとった親をもつと意識していないようで、やはり介護とか死とかそういうものがなんとなく気になってくる。うちの親も今は元気だが、もう年齢的には「不足のない」といわれるくらいに達しているから覚悟しなくてなならないのだろうけど、ボーヴォワールの母の死のことについて書いたこの本を読むと、なかなかしんどいことなのだなあと改めて気が重くなった。
本書は母親が骨折して入院したという話から始まる。そこで癌が見つかって介護生活が始まることになるのだが、その期間はおよそ1ヶ月。これは長いか短いか。何年も介護しているような家庭がよく見られる日本の現状からするとこれはそれほどではないと感じるが、しかし、この一ヶ月には母親の苦痛を見たり、親の死を考えたり、病院の実態を見聞きしたりと、かなり内容が充実していて、とても長く感じられた。特に母親の自分の恨みがましい性格が影を潜め、死の前に美しい生の充実を語るところから、また慣れてきてもとの恨みがましい性格になってしまうくだりを読むとこれはもう2~3ヶ月は経過してるのかな、と錯覚したのだが、あとでこれがわずか1ヶ月の出来事だったことを知り驚いたくらいだった。

ボーヴォワールは母の死は比較的「おだやかな死」だったと書く。が、それは反語なのではないか。それが証拠に最後、どんなに本人が受け入れていようとも死は「不当な暴力」なのだと締めくくった。
そういう「不当な暴力」の中で人はどうしたらよいのだろう。
キリスト教のいう「永遠の命」などというものは、死を目の前にするとやはりなにかおためごかしのようにしか思えないのだなあ。
反面、ボーヴォワールの祖母のように従容として死を受け入れるひともいるのも事実ではあるんだが、やはりどのような態度を選ぶのかは本人の意思、というあのV.フランクルのいうようなことになってしまうのか。
ああ、なんだか難しいわ。
おだやかな死
おだやかな死シモーヌ・ド ボーヴォワール 杉 捷夫

紀伊國屋書店 1995-02-22
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2012年09月29日

蓼喰う虫 谷崎潤一郎

いわゆる性の不一致とやらでいずれ別れようとしている夫婦。妻は新しい愛人をつくり、それが夫公認なのである。だからあとはいつ別れるかという話になるのだが、どうもこの二人、お互いに相手に遠慮してなかなか分かれようと切り出さないところが歯がゆい。この話については従兄弟も相談にあずかって行く先を案じているんだが、まったく、読んでると私も彼と同様に、なんだか落ち着かなくてこの二人は困った人たちだなと思った。
おまけに夫の要はなぜか別れる予定なのに妻の父と文楽を見に行く約束をしたりなんかして、どうもよくわからない。その後も淡路島へ一緒にいったりなんかして、一体彼は何を考えてるのだろうと思いきや、後半見えてきたのは、妻の父の妾であるお久という女性がなんとなく気になっている様子が描かれてきてるのだね。
ここでお久のことを述べておくと、旦那の好みを受けて、地味な和服に地唄を習ったり、ひどく昔風の暮らしをしている。後半、淡路浄瑠璃の話とともにお久の佇まいなども描かれていて、これが純日本風礼賛の様相を呈してきている。
先に性の不一致がきていたのかどうかはよくわからないけれども、従兄弟に「フェミニスト」といわれるように、良妻賢母型よりは崇拝できるような女性を好んでいた要が、実は純日本風の人形のような趣の自我を表に現さない女性のイメージに惹かれていたのだ、ということになるのだろうか。
まあ、それにしても美佐子はちょっと哀れな気がしないでもない。新しい愛人とはいずれ一緒になることにはなっていても、なにかこう割り切れなさのようなものが残っているのではないか。
ここにきて、二人がなぜ別れるに際しあれほど煮え切らなくなるのか、ということがおぼろげながらわかってきたような気がしたのである。
蓼喰う虫 (新潮文庫)
蓼喰う虫 (新潮文庫)谷崎 潤一郎

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ラベル:人間
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2012年09月26日

高慢と偏見(上)(下) ジェイン・オースティン

うむう、これ20歳そこそこの年齢で書かれたものとは凄いな、というのが読み終わってからの感想。というのも、人物たちのセリフがなんとも生き生きしていてユーモアがあり皮肉ありで、こういってはなんだけど、題材がごくありきたりの狭い社会のしかも結婚話、というかなり俗なものを人間観察鋭い文学作品に仕立て上げたという点で。
特に笑ってしまうのが、変わり者のミスタ・ベネットの家族に向ける強烈な皮肉と、それをものともしない奥方の野放図さ。この2人のセリフを読んでるとほとんどコメディドラマだものなあ。
他にもデフォルメされた慇懃さのコリンズとかほとんどろくでなしのウィッカムとか、ベネット家のリディアとか、あのう、こういう人々のセリフを読んでると、よく外国コメディドラマで笑い声が入ってることがあるんだが、あの笑い声が聞こえてきそうな、そんな感じ。
かと思えば、エリザベスとダーシーの機智に富んだ掛け合いとか、ジェインの慈悲など感心してしまうようなセリフもあって、オースティンの才能のほどが忍ばれる。

タイトルの「高慢と偏見」はファニー・バーニーの『シシーリア』という作品の一節から取られたそうで、最初は「第一印象」というタイトルだったということだ。
とはいえ、高慢と偏見というタイトル、読み終わってから見るとなるほど、ダーシーとエリザベスのことだわい、と納得するような言葉。このタイトルに込められた態度が二人を疎遠にしていたわけで、それがどう変化していくのか、というところも一つの読み方だなあと思った。

まあそれにしても、ミスタ・ベネットの皮肉にはかなり笑わされた。彼は彼なりにあの奥方をもらってからの結婚生活にはなかなか忍耐が必要だっただろう。それがあのような皮肉屋さんにしたものと思われる。あの奥方の無神経さや野放図さにまともに付き合っていたらこちらの神経が参りそうだもの。
高慢と偏見(上) (光文社古典新訳文庫)
高慢と偏見(上) (光文社古典新訳文庫)ジェイン オースティン Jane Austen

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高慢と偏見(下) (光文社古典新訳文庫)
高慢と偏見(下) (光文社古典新訳文庫)ジェイン オースティン Jane Austen

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ラベル:英文学
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2012年09月21日

ゲオルク・ビューヒナー全集(全2巻)

全集といっても23歳という若さで亡くなってしまったために、4篇の作品と書簡、いくつかの文章だけが残されてるだけに本人の文章のほかに、作品の参考になったような手記や鑑定書、典拠集、さまざまな人がビューヒナーについて述べたものが収録していて、作品鑑賞の上で、これらのものがとても役に立った。
4篇の作品とは「ダントンの死」「レオーンスとレーナ」「ヴォイツェク」「レンツ」であり、このうち「レオーンスとレーナ」を除いては人間のもつ悲劇性を描写したものである。「ダントンの死」はフランス革命において恐怖政治を収束させようとしたダントンが逮捕されて処刑される、その出来事を、「ヴォイツェク」はときおり精神が錯乱する男性の殺人事件をモデルにした戯曲、「レンツ」は狂気のうちに死んだ詩人のことを描いている。

まだ、若いということもあって、作品は未完成であったり、荒削りなところがあるのだけど、「ダントンの死」に見られるような恐怖政治への批判や、ダントンの清濁併せ呑むような性格の描写などは、これが20代の若者が書くものなのか、とちょっとびっくりした。しかし私が一番すごいな、と思ったのは未完成な「ヴォイツェク」であり、これはちょっと見ると、精神を病んだ人間が犯した殺人事件ということで下手すると偏見を助長しかねないような内容なのではあるが、ヴォイツェクがある博士のもとで人体実験を受けていたという設定がされており、この設定をどう解釈するかによって、社会批判にもなる。改題ではこの部分を貧困による飢餓がもたらした精神の錯乱という解釈がなされており、なるほどなあ、と思った。私などはつい現代に引き寄せて、上層部の搾取などということを考えてしまったのだけど。

ビューヒナーの考えはやはり書簡が一番わかりやすいだろう。
私の好きなくだりは婚約者に送った1834年2月16日頃のNo24の手紙の一節
ぼくがいちばん憎むのは他人を軽蔑する人たちです。彼らは教養という名のばかばかしいうわべや、学識という名のつまらないがらくたを鼻にかけて、自らの兄弟である大衆を軽蔑し、自分のエゴイズムを満足させています。こういう人たちは、たくさんいます。貴族主義は、人間の神聖な精神に向けられたもっとも破廉恥な軽蔑です。

ここにビューヒナーの人間に対する愛がよく現れているように思うのである。
まあ、とはいっても、ビューヒナーのような才気あふれる人がいうからさまになるのであって、バカがいうと単なる負け惜しみにしか聞こえないのだが。

また、ビューヒナーが参考にしたというヴォイツェク鑑定書やシュモリング鑑定書はなかなか興味深いし、政治的文書「ヘッセンの急使」などは数値を具体的にしてそれが搾取されていると煽る激烈な文章もなかなか読み応えがある。
ゲオルク・ビューヒナー全集
ゲオルク・ビューヒナー全集ゲオルク ビューヒナー 日本ビューヒナー協会有志

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ラベル:ドイツ文学
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2012年09月17日

獅子 池波正太郎

「真田太平記」関連小説。真田信之の晩年に起こった跡目争い騒動を描く小説。
これは「錯乱」でも同じ題材で書かれていたのだが、あちらはどちらかというと密偵堀平五郎サイドから書かれたものなのに対して、こちらは真田信之の晩年を中心とした長編になっている。
エンターテイメント性でいえば直木賞をもらった「錯乱」のほうが、息詰まるような展開で面白いが、十年以上経過したあとに再び書かれた「獅子」のほうは、当時連載中であった「真田太平記」の最終章のような味わいをもつ作品に仕上がってるな、と思った。

で、「獅子」に限らず、「真田太平記」や「鬼平犯科帳」にもいえることなのだけど、陰の仕事として、辛抱強く待ち、使命を果たそうとする隠密や草の者や、盗賊たちの姿を著者は一種の敬意をもって描いていたのではあるまいかと感じる。
その使命が傍からみてどんなに汚く、卑怯なことであろうとも忍耐を伴うようなこれらの仕事、つまり池波正太郎は忍耐というものの大切さを信じていたものと思われる。
ああ、なんだか、時代小説って娯楽で読んでたんだけど、こんな処世訓を拾ってしまうとはなあ。というのも彼ら隠された者たちの描かれ方にはなにか惹きつけられるものがあるからなのだ。
実をいうと、堀平五郎も最終的にはああなって、普通なら敵役になってしまうし、信之の処置には痛快なところもあるんだけど、それは酒井雅楽頭に対してであり、平五郎には最終的に職務失敗とはいえ、気の毒でもあるし、よく頑張ったとねぎらいたくなるようなものがあったのだ。
敵役をうかうかと生かしておいたり、自分の手元で働いてもらう、というのはよほど肝が据わらない限り難しく感じるだろう。どちらかといえばそれはある種のヒーローに近い。

実をいうと、池波正太郎の小説は改行が多いし、歴史的な仕事の部分は単なる説明で済ませたりしているので、面白いけど「おやじのラノベ」とか密かに揶揄していたんだが、まあ、ラノベが青少年の心を動かすという意味であれば、これは
「おやじの心を揺り動かす…」
という意味で評価されるのであろう、
と最後は正太郎風表記で〆てみました。
獅子 (中公文庫)
獅子 (中公文庫)池波 正太郎

中央公論社 1995-04-18
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ラベル:歴史小説
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2012年09月16日

脂肪のかたまり モーパッサン

まったく、ひどいお話ですなあ。
などとつぶやいてしまった。
まあ、人には名誉だの地位だの道徳だのによって自分を律しているわけなんだと私などは考えてますが、結局そんなものは虚栄や偽善に過ぎないのであって、もしかすると人間というものは自分が普通の善人であるという思いがもっともエゴイズムを発揮するのではないかと、かように思うしだいです。
なにしろ、伯爵、資産家、豪商、といえばまあ、立派な人たちと普通考えるわけですが、この人々が、いわゆる娼婦と呼ばれる職業のブール・ド・シュイフ(脂肪のかたまり)というあだ名の女性に何をしたかといえば、もう、ご飯分けてもらったくせに、自分たちがトラブルに巻き込まれたら、彼女の尊厳など無視して利用し、挙句の果てには彼女を見下してフォローのひとつもせずに無視するっていうんですからもう開いた口がふさがりません。
しかも、この中には修道女すらいるんですから、モーパッサンのこの作品は人間の絶望的なまでのエゴイズムをあぶりだしたということでなるほど、傑作といわれるのも当然だろうと思います。

それにしてもロワゾー夫人が「あらゆる男とするのがあの女の商売なんだから、(拒絶するのはおかしい)」というセリフは慄然としてしまう。こういうのは形を変えてあらゆる場面で見出すことができる。
たとえば「お客様の信頼にこたえるのが仕事」といって、店員に無理強いする客とか類似。
それはまさに野生の獣の世界に類似した弱肉強食の世界で、それを肯定する人間が多くなれば行き着く先は人間嫌いの絶望。
脂肪のかたまり (岩波文庫)
脂肪のかたまり (岩波文庫)ギー・ド モーパッサン Guy De Maupassant

岩波書店 2004-03-16
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ラベル:人間
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2012年09月15日

真田騒動 池波正太郎

「真田太平記」がらみで、興味をもったので、池波正太郎の真田もの関係をぼちぼち読もうと思う。まずはこの文庫本から。
全部で5編納められていて、最初の「信濃大名記」「碁盤の首」は「真田太平記」のカバーしている年代と重なっている。「碁盤の首」は「真田太平記」のちょっと伝奇的なエピソードではなく、もし真田信幸を中心としたものだったら、こんな風な感じになるだろうなあ、という筋立てで、信幸の政治的センスがよく現している小説だと思う。といっても、どっちが好きかなといわれれば「真田太平記」のほうが好きなのではあるんだが。

「錯乱」は「真田太平記」後、信幸が隠居してから起きた跡目争いのことを描いている。ここには密偵が出てきて、その密偵の身の処し方などが描かれており、ああ、なんか世を忍ぶ仮の姿の人というのは油断ならないなあと思わせる描写。信幸もそこのところの洞察力が鋭く、ちょっと見習いたいと思った。結末が痛快。

「真田騒動」は農民一揆や藩内の揉め事を扱った作品。江戸時代も中盤過ぎには主に財政的ゆきづまりからいろんな問題が出てくるけれども、真田家もその例に漏れず、困窮した財政からいろいろとトラブルが発生する。恩田木工は謙虚な人ではあるが、なかなか人心掌握に長けていて、ここ一番というときには自らを演出して物事を収めるなど、理想的な為政者に描かれている。池波正太郎の持論としては為政者は名君で当たり前であり、お金をもうけることでなく、ほとんど残らないほど私財をなげうてる覚悟がなければならない、ということなのかな?それは素晴らしいが、今の日本だとそうなればだれも政治家などやらなくなるだろうなあ、なんて考えてしまった。

「この父その子」は財政難ゆえ、隠し子を引き取ることができなかった若殿と、その子供の行方のお話。
あまり悲惨ではなく、何が幸せなのかはほんとうに生きてみないとわからないな、と思った。

ということでこの5編はだいたい年代別に並べられていて、「真田太平記」その後で、といった趣のある文庫本になった。惻隠の情、という言葉があるが、この5編に出てくる人々の物事の処し方というのがまさにそんな感じだなあと思う。これは器が大きくないとなかなかできないことである。
他に「獅子」という長編と「あばれ狼」にも真田関係の短篇が収録されてるというのでいずれ読む予定。
真田騒動―恩田木工 (新潮文庫)
真田騒動―恩田木工 (新潮文庫)池波 正太郎

新潮社 1984-09
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ラベル:歴史小説
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2012年09月12日

刺青・秘密 谷崎潤一郎

自伝的短篇「異端者の悲しみ」を含む7編が収められている文庫本。

「刺青」は思ったより短くてあっけない感じがしたのだが、処女作で女性のサディズム開眼の予感を思わせる結末は彼の文学の予兆そのものであるなあと思う。

「少年」はなんとも被虐的な描写にあふれた短篇。今の世の中だとさしずめ「いじめ」といわれかねないような遊びが少年たちを夢中にさせる。普通の文章なら嫌悪感がでそうなこの描写をよくもまあ読ませるなあとある意味感心してしまうくらい甘美な文章。

「幇間」は侮辱されたり嘲笑されたりすることになぜか喜びを感じてしまう男が、同業者の店でとうとう幇間にまでなってしまったという話。これもまた被虐的喜びの男の物語である。

「秘密」はなんということか、女装が出てまいります。これもまた被虐的な一種なのでありましょうか。住んでいながら知らない町並みがあって、それを散策する楽しみ、というのは誰にでもあるものだけど、いつもとは違う自分の秘密(女装)を持っていつもの町並みを歩くときのときめきというのもまた倒錯的。

「異端者の悲しみ」は放蕩無頼な主人公の心のうちを描いたもの。自叙伝的という話だが、悲劇に見えて結構喜劇的なのですなあ。これはどういうつもりで書いたのかしら?蓄音機のくだりなど、ありがちなあまのじゃくで思わずくすりとさせられてしまった。

「二人の稚児」「母を恋うる記」は美しい結末で陶酔してしまう。永遠の女性像がいかにも日本的な憂いに満ちてその儚さになんともいえぬ悲しみを感じる。
刺青・秘密 (新潮文庫)
刺青・秘密 (新潮文庫)谷崎 潤一郎

新潮社 1969-08-05
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ラベル:文学
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2012年09月10日

心に狂いが生じるとき 岩波明

先日、発達障害といわれていた被告人が、そのことを理由に重めの刑を下されたことがあったが、裁判員制度になってから、いわゆる触法精神障害者と犯罪のことについては知らないでは済まされなくなってきたといっていいだろう。
本書は全部ではないが、犯罪者になった精神疾患者を含めた、いろいろな患者についての臨床からの報告集である。そして、著者は正常と異常の境は大きなものではなくて、ちょっとしたズレなのだという。ここに出てくる患者さんたちはかなり異常に見えるのだけど、よくよく読んでいくと、それは小さな異常から始まっておりだんだんに大きくなってゆくのがわかる。精神疾患とはある日突然襲い掛かるものなのではなくて、じわじわとわからぬうちにやってくるもののようである。
とはいえ、患者自身押さえ切れなくなったものを他人が押さえ込むことは難しい。精神障害者の犯罪はほぼ認知障害による誤解が彼らを不安にさせて行動を起こさせるものだから、本当は刑罰としての懲役ではなくて社会訓練としての懲役という観点があったほうがよいのではないかと私なんかは思うんだが、被害者のことを考慮するとそこはなかなかうまいこといかないんだろうな、とも思う。

さて、以下は私の偏見なのであるが、どうもこの本、なるべく客観的に私情を挟まないようにということで書かれたのではないかとは思うんだけど、患者とのやり取りの部分を読んでるとなんか尋問的で違和感を覚える。共感部分の会話が省かれてるのかもしれない、とも考えたけど、なにかなじめないのだな、と思いつつあとがきのところまできて、ユングのことが書かれており、ユング心理学は今の精神科臨床において有用ではないと述べていて、ああ、そうかこれは私との考え方の違いなのだ、というのがわかった。
ユング心理学は確かにどこかカルトめいていて、医学にはそぐわないかもしれない。医療現場で患者の妄想や夢をいちいち分析するなんてことはとても時間がかかるし、カウンセラーの感受性に左右されるので、いわば職人芸ともなってしまうだろう。きちんとした投薬やいろんな医学的に認められた療法はどの患者にもきちんと受ける環境が整っていないといけないとは思う。
しかしながら、前回「統合失調症あるいは精神分裂病」を読んだとき、ユングの診察と同じような場面の様子を読んだときに受けた感銘から程遠いことを、この本で感じてしまったのだ。そこには、大げさなことをいうと実存が感じられなかったのである。
いや、だからこの本がダメということではなくて、むしろわかりやすい丁寧な本なんだけど、自分が精神疾患にかかったとき、多分治療の優秀さとは裏腹になにか釈然としないものを感じるかも、とか考えたのだった。
「人はパンのみにて生きるにあらず」
とはこういうことなんじゃないかな。いや、宗教が必要とかいう話じゃありませんよ。
心に狂いが生じるとき―精神科医の症例報告 (新潮文庫)
心に狂いが生じるとき―精神科医の症例報告 (新潮文庫)岩波 明

新潮社 2011-03
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ラベル:精神疾患
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2012年09月09日

存在の耐えられない軽さ ミラン・クンデラ

私は今、この本の感想を書くにあたってタグを「哲学心理な小説」とつけた。これはすでにあったタグで、一体前はなんの本につけたのだろうと見てみるとカレル・チャペックの短編集だったのである。
チェコという国は実に周りから翻弄された国であった。チャペックの時代にはハプスブルグの支配から一応短いながらも独立を勝ち取ったが、それもつかの間、やがてナチスに席捲されてしまう。続いてソ連。
1968年チェコは社会主義の中の民主化、すなわち「プラハの春」を迎えたのだが、やがてソ連の軍事侵攻により終わりを迎える。
本小説はその「プラハの春」からもとの全体主義への「正常化」へと戻されつつあるボヘミア(チェコスロバキア)にいることになる2人の男女、そして彼らとかかわる一人の女性と、西ヨーロッパに住む一人の男性の計4人を中心とした物語の断片である。

ミラン・クンデラはこの本の中で「キッチュ」について言及している。それは通常まがいものとか俗悪のものなどという意味で説明されるが、クンデラはもっと大きく意味をとり、存在との無条件の一致(根源的な信念)の審美的理想の結果、そこに伴う受け入れがたいものなど存在しないかのように振舞う世界、このような審美的理想はキッチュであると説明する。
私がこの説明から受ける印象は「偽善」という言葉が意味するものであった。
しばし、キッチュはセンチメンタルを呼び起こす。というのも、それが論理的な観点から作られたものではなくて、感情に影響する美の観点から作られたものだからである。
そして、この中でテレザがしばしば自分の身体と心について考えをめぐらすように、キッチュは二面的である。そこには物事と一緒にそれを見ている自分、行ってる自分、感動している自分、などという自己意識が忍び込んでくるからである。テレザはむしろ意識的にキッチュになろうとするのだが、それができずに苦しんでいる。そして、キッチュ的なものを徹底的に嫌悪したのがサビナなのであった。

全体主義の社会がいかなるものか、ということを描いているだけでも、この小説は戦慄する。
この間「真田太平記」を読んで、徳川の大名支配計画に同じようなことが書かれていて、ちょっと寒気がしたのだが、密告や策謀をもってして権力側がその社会を掌握することはまさに悪夢そのものである。
存在の耐えられない軽さ (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-3)
存在の耐えられない軽さ (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-3)ミラン・クンデラ 西永 良成

河出書房新社 2008-02-09
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2012年09月06日

真田太平記(全) 池波正太郎

いつかは読みたいとかねてから思っていた「真田太平記」。この度ようやく読み終えることができた。図書館では借りられる冊数が限られているので文庫本ではなくて、全集3冊を借り出した。
いや、面白くてそれこそ
「あっという間に…」
読んでしまった。
真田昌幸のどことなくお茶目な性格と幸村の勘ばたらきのすばらしさは草の者たちの物語と相まって読むものを退屈させない。それに、途中で敵味方と分かれた兄信之はその冷静な性格から前半はそれほど目立たないのであるが、後半じわじわとその素晴らしさが小説内で描かれるようになってきて、幸村の口を借りて
「天下人として申し分なき」
と言わしめた訳がわかってきた。

そして、真田といえば忍び。草の者たちの活躍は鬼平犯科帳の盗賊たちによく似ているなあと思いながら読んだのだが、この本当とも虚構ともつかぬ彼らの物語こそ、実は真田太平記の核の部分なのではないかと思った。ちょうど鬼平犯科帳に盗賊たちの話が欠かせないように、である。そしてここに出てくる忍びたちの働きは小説にスリルを与えてくれる。だれが忍びでどんな働きをしているのかということが歴史に絡められて描写されているから、「こいつは怪しい」とかつい考えてしまい、それで読むのがとまらなくなった私なのであった。
さて、以下メディアマーカーに書いた感想をまとめておこう。



真田太平記(一) (完本 池波正太郎大成)
池波 正太郎 / 講談社 (1999-03-19)
読了日:2012年8月31日
【真田太平記文庫1~4に相当】真田一族の心の機微がよく書かれていて、家を守るために謀略を用いたばかりではなく、正直に申すところは申す、という場面もあり面白く読み進める。また、真田に使われてる草の者たちの話もあって、歴史の表舞台になる物語と、裏になる物語が、真田家と草の者と平行して書かれていて、単なる歴史をなぞった大河小説でないところが面白い。

それにしても名胡桃城の見殺しには驚愕した。いや、戦国のことだからいろいろあるだろうけど、鈴木主水は気の毒だった。

ところで、壺谷又五郎の正体が気になる。向井佐平次のことをなぜあんなに気にしてるのだろう。それは以降で明らかになってゆくのかな。
真田太平記(二) (完本 池波正太郎大成)
池波 正太郎 / 講談社 (1999-04-20)
読了日:2012年9月3日
【真田太平記文庫5~8巻相当】関が原前後の時代。真田家は結局2つに分かれてしまうのだが、長男の顔を立ててやろうと昌幸が徳川とのやりとりのあと、幸村との対話がユーモラスで好きな場面だ。この巻では関が原で草の者たちが壮絶な戦いをして、それもまた読みどころ。真田父子が九度山に押し込められてからは草の者たちの活動が描かれるのだが、甲賀にも変化があって、時代の移り変わりをしのばせる。
真田太平記(三) (完本 池波正太郎大成)
池波 正太郎 / 講談社 (1999-05-20)
読了日:2012年9月6日
【真田太平記文庫9~12巻に相当】いよいよ関東と大阪の手切れのときがやってきた。この間は草の者の話と手切れに至るまでの経緯なので少し読むほうがだれた感があったのだが、さすがに戦いが始まってからは読むのがとまらなくなった。真田幸村の活躍が心躍る。この弟の活躍に兄のほうは影が薄れがちなのだが、太平の世になって、幕府の策謀がうずまき始めた頃、この信之の凄さがじわじわと見えてくる。

それにしても、最終兵器角兵衛も一時どうなることかと思ったが、母、久野の逆転サヨナラ攻撃には参ったわ。ははは。


文庫本は1巻目のみ紹介しておきます。全12巻。
真田太平記(一)天魔の夏 (新潮文庫)
真田太平記(一)天魔の夏 (新潮文庫)池波 正太郎

新潮社 1987-09-30
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ラベル:歴史小説
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