2012年08月24日

統合失調症あるいは精神分裂病―精神医学の虚実 計見一雄

「行動を準備するという形で現実を作っていく」、つまりある行動を予測し、それに対応する計画的な絵図面を作る。それが可能なように、脳の中を統合することだ。それができなくなっているのが、多分統合失調症だろう。

のっけからこの本の結論めいたことを引用したが、従来の統合失調症に関して私の知る限りではこうした患者側からみた症状に言及して定義するようなものは見受けられなかったので、これはなかなか斬新な見方だ、と思った。もっともこういう定義を斬新だと思ってしまう現状が、著者にいわせると今までの精神医学の思考停止なところであって、その批判は前半の章でくわしく説明されている。

思えば、統合失調症と名前は変わっても、その偏見にしろ聖別的な見方にしろ、普通の人ではなくなってしまったというカテゴリーづけは相変わらずであると思う。著者はそうした現状をなんとか変えたい、つまり統合失調症も普通の人がかかる病気に過ぎないのであって、ここにハンセン病のような特別視されるようになってはいけないのではないかというところからこの本の講義は出発しているといってよい。
ハンセン病のように病気のメカニズムが解明されていない統合失調症はまだまだそういう点で特別視から抜け出すのは前途多難のように思えるが、近来、脳科学からアプローチされた統合失調症関係の一般人向けの本も少しずつ出てきているようだし、なにより、統合失調症の解明は「意識」とはなんであるか、という長年の疑問に答えを与えるものなのではないかと私などは考える。

第九回「何が分裂し、何が統合されるのか」の講義では、「意識とは―ニューロンの発火」という一章節がある。そこでは実験で、何かをするときに、まず「~をする」と意識(考える)する前にニューロンが活動する様子が捉えられたという。つまり何かを行うと思う前に脳が動くわけである。
まあ、ではなぜニューロンが動くのか、という問いになるとそれは堂々めぐりになってしまうだろうが、いすれにしろ意識の前に脳が動く、というこの実験の結果について、私が思い起こしたのは、最近読んでる空海の思想において六塵ということだ。これは五感に法(意識)を加えたものであるが、物質的な感覚に空海は意識も他の感覚と同じカテゴリーに並べたのであった。
私たちは西洋哲学の影響のせいか、精神と肉体を分けて考え勝ちであるのだが、そうではなくて、意識もまた五感と同じものなのではないか。そうすると精神の病は特別なものなのではなく、肉体が病むのと同じことなのではないか、そんなことをこの本を読んで思ったのであった。
統合失調症あるいは精神分裂病 精神病学の虚実 (講談社選書メチエ)
統合失調症あるいは精神分裂病  精神病学の虚実 (講談社選書メチエ)計見 一雄

講談社 2004-12-11
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【追記】この本を一部引用して紹介しているのがあったのでリンクしておきます。
科学に佇む一行読書bothttps://twitter.com/endBooks/statuses/237430601064517633
ラベル:精神疾患
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2012年08月22日

武士道 新渡戸稲造

武士道などという言葉はどうもアナクロな感じがしていったいどんなことが書かれてるのだろうと思っていたのだが、封建時代の道徳について、儒教や禅の影響を受けた武士の倫理観から日本が野蛮国ではないのだという、いわば西洋に向けての弁明の書だったのである。
新渡戸博士いうところの平民主義で育った私としてはこの武士道には必ずしも是とは思わないのだけれども、それはドラマチックで、もし、他の国に住んでいて、こういう価値観を読むと神秘的で美しい感じがするだろうと思うのは私がやはり日本人だからであろうか。

武士道の義や勇や仁についてローマの古典や聖書などから比較してそれが西洋の倫理観とそれほど違わないことなどを説明していくのはなかなか面白い。
自分たちの文化が他の国のなにそれに似ていると思うことは誰にでもあるかと思うが、それを系統立てて比較してゆくのはなかなかに骨が折れる。一つには自国の文化を良く知らないこと、一つには他国の文化をよく知らないことがあるからだ。
新渡戸博士はクリスチャンであり、西洋の文化に通じていた。そして明治時代の知識人ということもあって自国の文化にも通じていた。
このことでこうした優れた文化比較論が生まれてきたのだと思うと感慨深い。
国際人国際人と日本の社会ではよくお題目のように唱えられるけれども、己を知り相手を知ることが国際人への一歩なのだという当たり前のことをまた改めて認識。
武士道 (岩波文庫)
武士道 (岩波文庫)新渡戸 稲造 矢内原 忠雄

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ラベル:文化
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2012年08月21日

『ビアンカ・オーバースタディ』私的誤読(ネタバレ注意)

【これから読む人のことを考えずに書きまくるのでネタバレ注意です】

各章1~4までは同じフレーズの出だしが続く。これはあの「ダンシング・ヴァニティ」のように音楽的な繰り返しかな、と思ったんだが、まあ、それもあるかもしれないが、それよりは、学校生活の単調さ、というものを表してるように思えた。
同じような日常生活でも少しづつ物事は変わってゆく。あれれ、これじゃ「夢の木坂分岐点」だなあ。
ちょっとづつ普通の生活が異化されてゆくのが章を読みすすめてゆくごとに見えてくる。
カエルと人間を掛け合わせる、というところまできたときにはちょっとわくわくした。だって、往年のドタバタが始まるんじゃないかという予感がしたもの。
それは見事に結実し、もうよろこんだのなんのって。
カエルたちのセリフも最高。筒井さんの真骨頂は意味不明の言葉の中に意味みたいなものが見え隠れして、そしてその属性もほのめかされるというところ。

往年の作品のパロディみたいなのも見かけたなあ。自分それほど読み込んでいるわけではないので、どれがどのパロディなのかはちょっと指摘できないんだけど、ああ、このセリフあの作品にあったな、とか思い出せるものはそうやって楽しんでいった。
女の子がおっかないなあ。でも女の子がおっかないのは筒井作品ではそう珍しいことじゃない。というか昔から男性が優しくなって女性が強くなってきたみたいなことを書いていたし。あれはもう30年以上前の文章になるのかな?えっとなんだっけちょっと思い出せない。年だ。
ところでラノベの女の子ってあんなに強気なの?
ビアンカ・オーバースタディ (星海社FICTIONS)
ビアンカ・オーバースタディ (星海社FICTIONS)筒井 康隆 いとう のいぢ

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ラベル:筒井康隆
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2012年08月20日

現代の英雄 レールモントフ

一見変わった人物ペチョーリンについてその逸話と彼の残した日誌で構成された小説。
ペチョーリンは愚鈍な人間どころか賢くて才能もある青年なのだが、こと社会に対してニヒルな態度を取勝ちであり、また恋愛についてもひどく相手に対して結果的に残酷な結末になるようなことが多かった。
その様子は読んでいると今流行の言葉でいうところの「厨二病」的で、といっても冷笑というよりは幻滅でたいくつしきっているのである。
この無道徳性を眉をひそめて読むことも可能なのだが、この小説が書かれた国と時代のことを知ると、ペチョーリンの行動が単なる虚無主義なのではなくて国と時代に対する絶望なのではないかということがわかってくる。
帝政ロシアは上層階級が徹底的に下層階級をしばりつけた時代であり、思想の自由も当然なく、秘密警察や検閲が横行するような時代であった。社会は彼から見ればいろいろ批判したいところはあるのだが、それがうまく力にならなかったとき、人は絶望からニヒルにならざるをえなくなる。
著者のレールモントフがまさにそのような絶望の中にあったらしいことは解説で知った。といっても、彼がペチョーリンを賞賛していたわけではなく、むしろその行動を批判的に描いているようにも見受けられる。が、時代が時代だけにあからさまな賞賛は書くことができなかったであろうし、ニヒルな人間の常として、自分自身ですら皮肉な目でみてこれをこき下ろさずにはいられないということもあっただろう。いや、レールモントフがニヒルなのかどうかは本当のところわからないが。

この小説は全部で5つのパートから成り立っている。その中で人の人生には運命があるのか偶然なのかということを描いた「運命論者」は私も結構思うところがあった。
ただ避けられぬ最期を思うときに心をしめつけるあの本能的な恐れのみをいだいて地上をさまよいつつあるわれわれは、人類の福祉はおろか、われわれ自身の幸福のためにすら、もはや偉大な犠牲をはらう能力がないのだ、なぜかといえば、われわれは幸福などというもののありえないことを知っているし、あたかもわれわれの先祖が迷いから迷いへととびついたように、懐疑から懐疑へと熱意もなく渡り歩いているからで、―(p271)

宗教に限らず、なにも信じることができない絶望。それでも彼はたいくつに挑戦してゆくのである。ここにおいてペチョーリンが「現代の英雄」という時代の犠牲者であるという意味になるのであろう。
現代の英雄 (岩波文庫 赤 607-1)
現代の英雄 (岩波文庫 赤 607-1)ミハイル・ユーリエヴィチ・レールモントフ 中村 融

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ラベル:ロシア文学
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2012年08月19日

原本現代訳54 蘭学事始 杉田玄白

古文は苦手なので江戸時代以前の著作には興味があってもなかなか手がでない。
そんな折、図書館で古文の現代語訳シリーズがあるのを見つけた。1980年代に出版された古い本であるが、中身をみるとまあまあ読めそうなので、試しに蘭学事始を借りてみた次第。

蘭学事始は杉田玄白が蘭学というジャンルを前野良沢や中川淳庵とともに始めたといういきさつからそれがどう発展していったかということが書かれている。オランダ語を日本人が本格的に学びはじめたのが吉宗の頃で、そのオランダの書物からいろんなことを学ぼうとはじめたのが蘭学というジャンルになる。有名な「ターヘル・アナトミア」の翻訳の苦労話は私も学生時代に聞いた覚えがあって、さらに、中川淳庵や桂川甫周などは「居眠り磐音」でおなじみだし、なんとなく親しみを持ちながら読んだ。
それにしても、オランダ語を学ぶということが最初はあまり推奨されていなかったということには徳川の慎重さがよく現れてるように思う。だが、権力を維持したいがために、新しいものを遠ざけるという方法はあまり感心しないなあなどとも思った。一方、玄白は平穏な時代に生まれて学問ができることにありがたみを感じでいて、この点については確かにそうだとも感じた。

この本にはほかに「形影夜話」というのが収録されてるが、こちらは玄白が宿直の折に書き付けた医師の心得のようなもので、公に出版されるのは書き付けた当時よりもだいぶあとなのだが、それ以前に筆写されて弟子などの間では読まれていたというこの著は、なかなか鋭いことが書いてあって面白い。
医者の仕事を孫子の兵法にたとえて物事の原理を知らないのは兵法を知らずに戦を経験だけで行ってる軍師のようだ、などと書いていたり、勉強と経験の両方をおろそかにしないこと、それから一番素敵だなと思ったのは、貴賎にとらわれずに患者が出たら手をつくすことを述べていることだ。自分はおべっかを使う気持ちがおこりはしないかと無用に高貴の人の家には出入りしないということも述べていて、こういう医者はいいねなどと思った。
蘭学事始 (教育社新書 原本現代訳 54)
蘭学事始 (教育社新書 原本現代訳 54)杉田 玄白 濱 久雄

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ラベル:古典
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2012年08月16日

マホメット 井筒俊彦

井筒先生が若かりしころ昭和27年に「アテネ文庫」から出たというこの本は、ページ数にして100ページちょっとの薄い本である。だから大著のようにマホメットについて詳しく書かれているわけではない。
具体的には、マホメットが登場する前夜のアラビア人たちのこと、そしてそこからなぜイスラームが登場したか、そして、ユダヤ、およびキリスト教との確執についての3点が述べられている。
そしてこれらの話の運び方が、実に小説っぽくてすっとわかりやすく状況が見えてくるのである。もちろん、この1冊でイスラームが理解できるなどとは思わないし、著者自身もこの小冊子の中ですべてを述べることなどできないことは十分わかっている。

にもかかわらず、そこに書かれているのは、現実主義者でこの世のことしか信じないベドウィンたちが永遠というものに憧れ、でもそれがかなわないので、せつな的な生き方をしていたという時代、マホメットはユダヤキリストの神の概念を取り上げて、黙示録的な啓示を行い、さらにその政治家的な資質を開花させて血族主義のアラビア社会に新しく政教一致の共同体を作り上げたこと、そして思わぬユダヤキリストの反発。
こういったことが、まるで一つの物語のように読めてしまうのだ。
それもそのはずで、井筒先生はかつてマホメットという人物にえらく入れ込んだことがあったというのである。
この小さな著がイスラームについてどれだけのことを語っているのかはわからないが、イスラームの始まる前150年ほどの「ジャーヒリーヤ(無道)時代」と呼ばれるアラビア社会はまるで西部劇のような一種のあらくれどもが血族を中心に他部族と戦いに明け暮れながら暮らしていたという話はこの本で始めて知ったし、その価値観は現代と比べ物にならないほど非情なものだったということも知った。
こういう本を読むと、なにかしら人間について一つ目を開かされたようになる。とはいえ、私の頭だとそのうち忘れてしまうことがおおいんですけどね(汗
マホメット (講談社学術文庫)
マホメット (講談社学術文庫)井筒 俊彦

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ラベル:宗教
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2012年08月14日

キルケゴール 死にいたる病 現代の批判

キルケゴールのこの2著はうかうかと日々をおくる人間にはまことに手厳しいものだなと思った。
「死にいたる病」とは絶望のことであるとは読む前からあちらこちらで見かけて知っていたが、それがどういうことを意味しているのか、というのは今回初めて知った。
キリスト教への篤い信仰を持っていないこと、これがすなわち絶望ということなのらしい。
だから、日々愉しく暮らしている異教徒の私も、その無精神性によって絶望しているのであり、篤い信仰と自分で思っていても、キルケゴールの要求する信仰は生やさしいものではなく、神の前で自己を放擲するところまでいかなくてはならないようだ。この論理でゆくならば、大抵の人はなにかしら絶望していることになる。
そして、さらにキルケゴールはこの絶望は罪であるとすらいうのである。というのも、神のすべてが可能であるということを信じないのは神の前における罪なのだからそうだ。
いや、もう厳しくて、大変だこりゃ、と思いました。

しかし、キルケゴールはなぜにそこまで厳しいのか。
それは彼が概念的とか抽象的とかいう、人間の捉え方をひどく批判していたということであり、そういったものに人間が堕して神と人間との緊張関係、神と人間に横たわる深淵を忘れてしまうことを嫌ったからということのようだ。これはキルケゴールの生涯から生み出されてきた考え方であり、実際彼の生涯は父の厳格な教え、恋人との不幸な関係、社会からの大変な中傷などに揉まれたのであったからして、その試練が、このような厳しい思想を生み出したようである。
とはいえ、概念的生成物に対する彼の見方は、「現代の批判」で、公衆とジャーナリズムについて語るときに、現代にも通ずる警告が秘められている。何事にも分別をもつような時代では、ジャーナリズムの助けをへて「公衆」という化け物を生み出すこと。これが誰にでもあるくせに誰でもないという幻影であり、これがしばしば退屈しのぎに、いけにえを求める、と彼は書いている。

抽象性は結局、人間個人を無責任にしてしまうものらしい。
これらの著書は多分にキリスト的で、なじめないところも多々あるのだが、自分が他ならぬただ一人神の前に立つ人間であるという自覚を促す彼の主張は、まわりに埋没して自分を見失うようなことになりがちな時代には貴重な意見かもしれない。
死にいたる病、現代の批判 (中公クラシックス)
死にいたる病、現代の批判 (中公クラシックス)キルケゴール Soren Aabye Kierkegaard

中央公論新社 2003-06
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ラベル:思想
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2012年08月10日

プラハ冗談党レポート ヤロスラフ・ハシェク

ハシェクという作家はずいぶんとハイテンションで悪ふざけがすきなんだな。
この「プラハ冗談党リポート」というのは、ハシェクが仲間たちとお遊びで「法の枠内における穏健なる進歩の党」というのを作って、綱領を決め、選挙にも出馬したときの顛末を、「政治的・社会的歴史」などと大げさな言葉を党の名前の後ろにくっつけてタイトルにして書いたものなのである。
ということは一種の抗議活動なのか、と思うんだけど、本人たちは大真面目でふざけてる様子なので、本当のところよくわからない。
わからないといえば当時のチェコの政治や雰囲気もよく知らないので、そのあたりのところも非常に読みにくくて、よくぞ時代地域限定のネタ作品を訳したものだと感心した。

しかし、わからないなりにもハシェクの快刀乱麻のごとき筆力。当時の言論人、政治家がメッタ斬りなのである。それも誹謗中傷というよりはほめ殺し、揶揄、戯画化と性質が悪いです。
だから、当時の人物たちをよくしらなくても、政治活動のカリカチュアされたものだと思って読めばかなり面白く読める。
こんな本を書ける人はそうそういないだろうなあ。

私ははしがきの次の文章が結構ウケた。
私たちは、多くの方面から大言壮語する傾向がある、と非難された。それは同じく大言壮語する傾向のある他の諸政党がたどった道を私たちもたどったからなのだが、…


ハシェクはボヘミアンで一時アナーキストで、目立ちたがり屋だったということである。
これが権力志向の人だとしたらかなりの俗物になりそうだが、叛骨の人なので、その才能は風刺や戯画化に生かされた。なんというか、いろんな意味で「頭おかしい」(ほめ言葉)思ったのはこの人のこの作品が初めてじゃないかな。
そのうち兵士シュヴェイクも読んでみたいと思う。
プラハ冗談党レポート: 法の枠内における穏健なる進歩の党の政治的・社会的歴史
プラハ冗談党レポート: 法の枠内における穏健なる進歩の党の政治的・社会的歴史ヤロスラフ ハシェク Jaroslav Ha〓sek

トランスビュー 2012-06-05
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ラベル:風刺
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2012年08月08日

ボクには世界がこう見えていた 小林和彦

アニメの仕事をしていた著者が統合失調症にかかり、幾度かの入院を経てその半生をつづった手記。
幼いころの状況を語ることからはじめ、長じるにつれて自分が傾倒していったサブカルチャーの話題が多く、80年代、90年代の世相も書かれていて、あの時代の雰囲気を伝えてくれる本でもある。

今までいろんな、といってもそれほど多くはないが、統合失調症の手記を読んできたが、主に逸脱行為をしたり、その行為をする要因となる妄想が書かれていて、これは内面というよりは自分がなぜこういう行動をしたかという理由のようなものだったが、この本は理由というよりは、まさに彼の「世界観」がいろんなところにちりばめられている。世界を改革するために、と彼は誇大妄想に襲われるのであるが、その連想自体はもし彼が病気にならなかったら、ちょっと過激な考えという程度のもので、これに類した考えをおおっぴらにしゃべったり主張したりする人はいくらでもいる。まあ、その辺は著者に申し訳ないんだが、そう思う。
だが、この本の恐ろしいところは、そういう誇大妄想の影で、思考が解体していく様子が不気味に語られていることである。多幸感の中で頭がかつてないほど働き、関係のないように見える事柄と事柄、言葉と言葉が次第に彼の中で結びついてゆき、ある発音の言葉が駄洒落のように違う意味に変換し、やがてすべてが自分を中心に(あるいは謀略的に)意味深げに動いているという感覚に陥ってくる。幻覚も幻聴もその中の一現象にしがすぎず、そして崩壊がやってくる…
その様子は他人からみるとひどく滑稽にみえてなにかの冗談かと思われるくらいなのだが、これに類したものを実はゴーゴリの「狂人日記」で読んだような記憶がある。もちろん中身はまったく違うが。
そして、統合失調症が本人にとって恐ろしいとしたら、まさにこの解体する思考を体験することであり、他の読者はどう読んだのかわからないが、私にはこの部分がもっとも笑いをとる場所であるだろうと思うと同時に恐ろしく不気味に感じられた。

この本はもともと自費出版されたもので、新潮社が改題の上加筆など行って文庫にしたそうだが、改題はさすがに出版社だけあって、うまい。まさに彼にとって「世界がこう見えていた」。
自費出版されたときのタイトル「東郷室長賞―好きぞ触れニヤ―」じゃなんだかよくわからないものなあ。
ボクには世界がこう見えていた―統合失調症闘病記 (新潮文庫)
ボクには世界がこう見えていた―統合失調症闘病記 (新潮文庫)小林 和彦

新潮社 2011-10-28
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ラベル:精神疾患
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2012年08月06日

曲説フランス文学 渡辺一夫

「曲説」と頭につけてるのはこの著が自分の知りえたことだけを書いてるから、とは著者の言葉であるが、知りえたことだけといっても私のような門外漢にはとても参考になる。
もっとも「入門の入門」ということでもあるから、そういう意味では私にちょうど良いのかもしれないが。
それはさておき、「曲説フランス文学」は第一章狂信と寛容といういうタイトルでルネサンス期の文学から始まり、徐々に時代を下って、20世紀、そして結びとして、これら500年のフランス文学の母胎と著者が位置づける中世文学の概要について少し触れている。
前半のルネサンスから17世紀あたりまでは文学史のように、後半ロマン主義から現代にかけては著者の考えがところどころ入ってきて、文学観のようなものが見受けられる。
フランス文学は人間の「調書」を提供してきた、と著者は述べる。文学を書かれる上で作家たちはどうしても自分たちの土地の問題から離れることはできないのだが、フランスの問題とは何かこの本ではそれは特に記されていない。
しかしながら、この500年で何回も出てきた現象といえば、その時代に流行った思想などについて対照的な見方をする文学者たちが登場していたということである。
いわく、自由と宗教、進歩と伝統、近代と古代、などなど。
その対立の中で文学は研ぎ澄まされてゆき、ロマン主義以降には爆発的にいろんな文学が登場してきたのではなかろうかと思う。
井筒俊彦が「ロシア的人間」において19世紀ロシア文学が人間存在の危機を自覚した文学だというように、こちらはヨーロッパ的価値観の流入によって自らの文化の危機を自覚した、いわば共同体全体への軋轢のような生まれ方をしたのだとすれば、フランスのそれは、個人個人の価値観や考え方のぶつかりあいによって生まれてきたものなのだろうかと考える。それはどこか個人主義的なフランスにぴったりのイメージのような気がするのだが。
曲説フランス文学 (岩波現代文庫)
曲説フランス文学 (岩波現代文庫)渡辺 一夫

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ラベル:フランス文学
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2012年08月03日

神変不知火城 山田風太郎少年小説コレクション2

山田風太郎少年小説コレクション2は、「青春探偵団」シリーズの取りこぼしたものと、推理クイズ、そして時代小説長編2作が盛り込まれている。山風の作品はどれも面白いのだが、好みとしては歴史ものに偏ってるだけに、この時代小説2編は大変よかった。

「地雷火童子」は真田幸村の大胆不敵な挑戦を成就すべく、少年大助と、月絵、そして主人公小源太が大活躍の冒険活劇。痛快で一気読了。
そして、この本一番の呼び物はやっぱり表題になった「神変不知火城」でしょう。
山風の作品では有名どころの、森宗意軒に天草四郎、由比正雪らが出てきて大乱戦。おまけにあっとびっくりあんな人物やこんな人物まで、いったい山風は何をしようというのでしょう(笑)と、忍法帖好きならまずたまらない展開になっている。鉄板の面白さ。
いや、自分、幼いころはあまり本読まなかったけれども、こういう少年小説を読んでいたらきっと本中毒になっていただろうと思うくらいの面白さだった。
山田風太郎はだいたい読みつくしてきただけに、ここにきて新しい伝奇ものを読めるとはなんたる幸せ。
他にも「七分間の天国」もいつもはリーダーシップの小太郎が事件に巻き込まれてしまうなど、少し違った展開で新鮮。
「推理クイズ」の「毒虫党御用心」にはあっと思わされた。自分頭固いなあ(苦笑)
挿絵も素敵だし、巻末の「評判作家訪問」も愉しく読んだ。
神変不知火城―山田風太郎少年小説コレクション〈2〉
神変不知火城―山田風太郎少年小説コレクション〈2〉山田 風太郎 日下 三蔵

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ラベル:少年小説
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2012年08月01日

魔将軍 岡田秀文

足利義教といえばくじ引きで決まったということと暴政を振るった将軍ということで学校でならった記憶がある。だからめちゃくちゃな人物なのだろうと思っていた。いや、山田風太郎の「室町の大予言」でもエキセントリックな人物として描かれていて、まあこれが面白い。

ところで、今回読んだ『魔将軍』なのだが、これはタイトルから受けるまがまがしさと対照的に、わりと義教を評価しているような小説であった。
恐怖政治で圧政を行ったことには違いないのだけれども、そこにはなにかと乱れがちな世の中を威力によるおさえによって平定しようという動機を盛って、彼が只者でないことを示すようなシーンが前半のキー的人物である三宝院満済を介して描写されている。義教本人は改革という意識で行っていたさまざまな政治はあまりにも過酷で、その後100年以上にわたる戦乱の世になってしまったがために結果的に後年の評価は暴政ということになる。

ところで、この本でもそうだし、「室町の大予言」でも触れられていたが、ひとつミステリがある。
本書から引用してみよう。
尾張半国を継いだ織田信長は、比叡山焼き討ち、敵対勢力への徹底的な弾圧、みずからの神がかり的な振る舞いなど、義教の足跡をたどるようにして天下の階段をのぼりつめた。この二人の独裁者は同じ京都の西洞院通り沿いで、同じ6月に同じイニシャルの家臣に殺されるという、オカルト的な符号を持つ関係にある。

後年の評価は、信長が圧倒的に高い。というのも信長後は古い慣習が壊され、新しい封建社会が作られていったからであろうかと思われる。
似たような天才が、かたや恐怖政治の暴君、かたや革命児。
立場と結果の違いがこのような分かれ方になり、つくづく歴史上人物の評価は難しいと思う。
魔将軍―くじ引き将軍・足利義教の生涯 (双葉文庫)
魔将軍―くじ引き将軍・足利義教の生涯 (双葉文庫)岡田 秀文

双葉社 2009-06-11
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ラベル:歴史小説
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