2012年07月28日

遊戯の終わり フリオ・コルタサル

以前、「石蹴り遊び」を読んだときに、なぜかはわからないけど、ずいぶんかっこいいなあ、この世界。なんて思っていたのだ。そして、この短編集もまた同じように、ずいぶんかっこいいなあと思った。
夢や狂気を扱っているのだが、それが怪奇的ではあってもあまり陰惨な感じがしないのよね。ポーとかホフマンは凄い雰囲気をもっているのだけど、コルタサルはその凄みの代わりに都会的というか垢抜けた雰囲気がある。
どれもこれもかっこよくてああ、自分がもし小説家だったらこういうの書きたいよなあと思うくらいである。
しかし、さっきからかっこいいかっこいいばかりいってて自分は全然語彙が足りないのは遺憾なことだ。

この短編集では「河」とか「夜、あおむけにされて」みたいな現実と夢の地続きみたいな作品も大好きだし、「バッカスの巫女たち」みたいなめちゃくちゃなものや、「続いている公園」みたいなものも面白い。
そんななかで「昼食のあと」みたいなちょっとだけ子供心に少しだけ理不尽な感じを描いたのが好きだ。
「あの子」を連れて散歩に出かける話だが、こういう恥ずかしさというか、お荷物というかそういう複雑な心境をさらりと描いていて、ちょっと昔のことを思い出した。まあそれは「あの子」みたいにお荷物になるような子ではなかったのだけど、自分がチョーワガママだったので、お荷物に感じた、ということなんだけども。子供心といえば、「殺虫剤」とか「遊戯の終わり」なんかも切ない。
遊戯の終わり (岩波文庫)
遊戯の終わり (岩波文庫)コルタサル 木村 榮一

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ラベル:幻想
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2012年07月26日

ゴサインタン 篠田節子

主人公輝和のだらしなさと淑子の奇異な行動がこれでもかこれでもかと惜しげもなく描かれているところが読みどころ。
今まで何一つ自分で考えて生きてこなかった男性が、女性の破壊っぷりに引きずられ、どん底のどん底までいって、ようやく自分の意思で行動することになりましたとさ、めでたしめでたし、というテイスト的に昔話のような物語。だからああいう結末になってるのだろう。
そんな人間再生物語はともかく、彼の淑子に対する人権無視にはもうあきれ返るほかない。
もちろん、作者はそういう男性像を意識して登場させてるのだろうとわかるだけに、現実にこういう男性いるんだろうなあと思うとちょっと鳥肌ものですな。
無神経な善人だと思う。
無神経な善人というと、相手のことをよく見ないで傷つくようなことを平気でやるという人間を指す場合と、自分は悪人ではない、善良な市民ですよみないな意識をもつ人間を指す場合があるが、もちろんこれは後者。そして自分は善良であると思い込んでる人間は結果的に前者のような行動をとってしまうのでもうもう二重の意味で始末におえないんですよ。
おっと、主人公の悪口をいっぱい書いてしまったな。
まあこれは主人公だけの問題ではない。人間の中にひそむ偏見の大部分はこの無神経な善人という意識から生まれてくるのだと個人的には思うのです。
ゴサインタン―神の座 (文春文庫)
ゴサインタン―神の座 (文春文庫)篠田 節子

文藝春秋 2002-10
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ラベル:人生
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2012年07月24日

後白河院 井上靖

平安末期から鎌倉時代にかけての状況を4人の人物の話という設定で小説になっているのだが、この時代の渦中の人物といえば後白河院であり、タイトルが彼の名であることでわかるように、その話から見えてくる後白河院の人物像を描いたものだといえるだろう。
いろんな人に接触してあれこれと策謀をめぐらす、というイメージが私の中ではあったのだが、この小説を読むと、そうではないのではないかという作者の考えが見えてくる。
今様が好きで奇矯な振る舞いも多く、また時代が乱世、世の末という状況を呈していたこともあり、陰謀に明け暮れて政治を行っていなかったのだろうと思っていたが、実は、後白河院が即位する前から世は既に乱れており、公卿のあてにならなさと、武士の台頭といった中で、彼は恃むものなど誰一人おらず誰もあてにしないで生きてきたという見方が、4人の話を読んでいるうちにわかってくるのだ。
そう考えると、いろいろと翻弄されながらも崇徳院のような最期になることもなく、まずまず一生を全うしたといえるであろう彼のしたたかさは決して大天狗のごときではなく、むしろ自分で自分の身を守らなくてはならないということに根ざしていたのだと。
そしてまた、時代の趨勢が良く見えていたがための冷静さも、後白河院大天狗といわれたのかなとも思う。
後白河院 (新潮文庫)
後白河院 (新潮文庫)井上 靖

新潮社 2007-07
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ラベル:歴史
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2012年07月22日

ホーニヒベルガー博士の秘密 ミルチャ・エリアーデ

福武文庫には表題のほか、「セランボーレの夜」も収録。

「ホーニヒベルガー博士の秘密」
とある夫人に夫が集めていたインド関係の書籍について招待を受けた主人公は、そこでホーニヒベルガー博士という人物について知ることになり、さらに夫人から夫に代わってその人物の本を書いてくれないかと依頼される。そして書庫へ通うようになるのだが、かの家の主人の奇怪な失踪を遂げたことを知る。そして秘密のノートが…
ホーニヒベルガー博士は19世紀の神秘家で、かの家の主人が彼の著作に感化されて、という筋書きになってるのだが、奇怪なのはホーニヒベルガーよりもその家の主人である。ヨーガなどインドの神秘な思想を背景にくりひろげられる謎はやがて主人公をも巻き込んでゆく。

「セランボーレの夜」
主人公と年長の2人の友人3人が遭遇したミステリー。幻想的だが、話の仕立て方はホラーとか幽霊話に近い。
幻想的な出来事に主人公が巻き込まれ、最後は彼はそれを合理的な思考でなんとかつじつまをあわせようとするのだが…

初エリアーデなのでまだなんともいえないのだが、読んだ感想として幻想を理性で解釈することを幻想はさらに上回っているということを示したいのではないか。
解決の見えるミステリーはすっきりしていて読後感もさっぱりするであろうが、それを許さない謎が残される。思うに幻想とはなにか?幻想は幻の想いと書くが、合理的思考そのものが幻を前提に考えてるという誤謬を犯してないと誰が断言できるだろう、ということを強く感じた。
ホーニヒベルガー博士の秘密 (福武文庫)
ホーニヒベルガー博士の秘密 (福武文庫)ミルチャ エリアーデ 直野 敦

福武書店 1990-10
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ラベル:幻想
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2012年07月21日

武田信玄(全4巻) 新田次郎

昔、とある会社の社長が「歴史小説を読め」とか社内報でしきりに言っていたんだが、なんでも勉強になるからだということらしい。なんの勉強になるのかは書いていなかったが、会社を経営している以上、それはやっぱり、ビジネス的なものなんだろうなと想像していたが、そういう意味で実にぴったりな歴史小説であるなと思ったのが、新田次郎の「武田信玄」。
著者は信玄の合理的なやりかたを好ましいと思い、惹かれてこの小説を8年間にわたり書いたのだが、その言葉どおり、信玄が国取りに行くためのさまざまな戦いがここにはいろんな角度から描かれている。まず、いろんな人の心理をはじめ、地形や天候のこと、軍の規模や作戦について、信玄がこう考えたであろうというという著者の考えを織り込みながら組織とはこんな風に動かしてゆくものなんだ、ということと、状況分析の徹底した描写と、読んでてずいぶんためになることばかりだった。
もちろん、これは戦国時代の戦争の話だから、現代にそのまま適応させるわけにはいかないが、人を使うより金を使うほうが結果的に経済的だとか、落とした城、取った国は自国のものになるのだから、なるべく損害を出さず、評判を落とさないように調略していくことなどは結構経営面で当てはまるのではなかろうかと思う。

ま、ビジネス書的な読みはこのくらいにしておいて、新田次郎、じわじわと嵌りつつあるなあ。
なにしろ、信玄が残酷な処置をしたときには労咳で体調悪く熱が出てきてるときだとか、まぼろし公方とかまぼろしの武田の騎馬隊だとか、なんというかツボなんだわ。
すごいベタな感じのセリフ回しである意味芝居がかっているのではあるけれども、それが却ってわかりやすくその状態を浮かび上がらせてくれるので、とても読みやすい。
それにしても、健康と望みを量りにかけるのはなかなか難しいものですな。
天下を取っても死んでしまってはなにもならないが生きていても天下をとらなければ生きている意味もない、というジレンマは武田信玄によくあてはまると思う。
なかなかに天は人にわかりにくい配剤をするものだ。
武田信玄 風の巻 (文春文庫)
武田信玄 風の巻 (文春文庫)新田 次郎

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2012年07月13日

黒檀 リシャルト・カプシチンスキ

“ここの国は人間のものではありません。この国は神の国なのです”
ユングが熱帯アフリカへ行ったときに、こう忠告されるシーンをマンガで見たことがある。その後で展開するユングの旅行の様子ではその意味するところがあまりはっきりしなかったのであるが、今回、カプシチンスキの『黒檀』を読み、おぼろげながらも、なるほどなあという感を持った。
カプシチンスキは、およそ40年にわたってアフリカのいろんなところを取材してきた人物である。
彼がアフリカへ行き始めたころはちょうど、アフリカの独立運動が盛んであった時期である。ヨーロッパ諸国から勝手に区画割をされて、ありとあらゆる資源が、(人的資源も!)搾り取られたこの大陸は燃えていた。それが1958年のことである。それから年を追って、あちらこちらのルポを切り貼りするように作品は続いてゆくのだが、希望に満ちた時代は、いつしか無政府状態で、テロや虐殺が横行するようなカオスへと向かっていくのがなんとも戦慄する。

カプシチンスキの語るところを読んでいると、ここには非情の神が住んでいるようである。その自然環境を人間が手なづけることはまったく容易ではなく、彼の言葉を借りるならば
アフリカで<生きる>とは、生き残ることと死に絶えることとの間で脆く危ういバランスを見つけ出そうとする、絶えざる努力と試みを指す。

一昔、北海道のキャッチフレーズに「試される大地」というものがあったけど、そんな生易しいものではなく、まさに存在そのものを「神の手」にゆだねられているといって過言ではない状態。
さらに、弱者には支配者の過酷な政治が待っている。その政治もまた人間の理性などものの数ではないほどに桁外れの過酷さを示している。その過酷な治世の多くはヨーロッパ支配時代に端を発しており、神の国に人間の賢しらさを持ち込んだ結果がこれなのかとすら思いたくなる。

いくつかの明るい話はあるけれども、こういった風土や政治状態を見ると、なにか絶望を通り越して無力感すら憶えるのだが、その中で生きる人々を描くこともカプシチンスキは忘れない。時間と空間すら人間の尺度では測れないこの土地で人々がどのようにして生きているのか、最終章「木陰にてアフリカを顧みる」にはそんなエッセンスがつまっており、ここにルポルタージュを超えた文学的な思索を見る思いがした。傑作。
黒檀 (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 第3集)
黒檀 (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 第3集)リシャルト・カプシチンスキ 工藤 幸雄

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2012年07月10日

マーカス・チャウンの太陽系図鑑

太陽系に属する天体の写真や図が美しい印刷で、宇宙好きに私にはたまらない図鑑だった。画像を見ているだけでも飽きない。土星や天王星や海王星の美しさ、木星の禍々しさなど、説明を読みながら見るとなんともイマジネーションがいろいろと浮かんでは消えて、至福の時を過ごした。
特設サイトあり→(http://www.oreilly.co.jp/special/solarsystem/about.html

ところで、私は幼いころ、学研マンガ「宇宙のひみつ」というのを読んだときに、海の潮汐について月の引力で海が引っ張られるから、という説明を見た。そのとき女の子が「でも、月が引くのなら、なぜ片一方だけふくらまないのかな?」みたいなことを質問して、それに答える宇宙人のコンピューターが「キミニ ワカルヨウニ、セツメイデキナイ、モットベンキョウシテクダサイ」みたいなことをいっていて、それがずっと気になっていた。
今回、この図鑑で答えが出ていて、長年の気になることが落ち着いた(笑)
つまり、影響を及ぼす重力の差だったのである。どういうことかというと月側の海に一番重力が働き、地球の中心はそれより弱い重力がかかり、月の反対側の海にはもっとも弱い重力しかかからない。そこで、反対側の海はその場に取り残される形で膨らむので、結果として、反対側の海も潮が満ちるのである、ってなことだった。ありがとう、マーカス。
以上、覚書。
マーカス・チャウンの太陽系図鑑
マーカス・チャウンの太陽系図鑑マーカス・チャウン 糸川 洋

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宇宙のひみつ (学研まんがひみつシリーズ 1)
宇宙のひみつ (学研まんがひみつシリーズ 1)あいかわ 一誠

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ラベル:宇宙
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2012年07月07日

シルヴェストル・ボナールの罪 アナトール・フランス

シルヴェストル・ボナール先生は学士院会員で、本に囲まれ、ひっそりと暮らしてて、その生活の日々を日記として書き記しているという設定の小説である。およそ冒険など起こりそうにもないように見えても、ある日先生の情熱を書きたてるものが出現すると、それに向かって、先生は自嘲したり、昔の思い出を日記に書きながら、話は展開していくのである。
2部に分かれていて、第一部「薪」は所有欲を刺激する本をめぐる話。ここで挿入される、先生の幼きころの思い出がなんとも笑いを誘う。人間、自分の属性と他人から見られているものに似つかわしくないものが欲しいことはあって、それにまつわる話なのだが、ここのくだりが大好きで、もう、この部分だけで、この主人公先生が大好きになってしまった。
第二部はある少女にまつわる話。これもまた老先生の情熱を掻き立てるような思い出と関連する話である。
総じて、語り口は老先生にふさわしく、淡々と静かに、それでいて、どこか皮肉めいた口吻と、人生を達観したような警句が折り込まれていて、読むものを退屈させない。
皮肉というとちょっと毒を感じさせるかもしれないが、このボナール氏の日記に関して言えば、その皮肉は他人だけでなく、よりいっそう自分に向けられているから、この日記の中で氏は道化を演じているのではないかとすら思われるほど可笑しい。自分の悪口をいっていた学生が本を借りにきたとき、復讐を果たすべく、自分では到底持ち歩くことができそうにない重たい本を持ってきたのはいいが、あっさり学生が受け取ってらくらくと持ち運んでいったときのこととか、老いに対する戯画にも見えて、興味深い。

解説では、このボナール先生の話は作者37歳の作品だとか。そして実際の作者のそれからの生活をまるで先取りしたようだと書いている。
アナトール・フランスもこんなキャラで年をとっていったのかな、と想像するとちょっと愉しい。
シルヴェストル・ボナールの罪 (岩波文庫 赤 543-4)
シルヴェストル・ボナールの罪 (岩波文庫 赤 543-4)アナトール・フランス 伊吹 武彦

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ラベル:人間
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2012年07月05日

日本的霊性(角川) 鈴木大拙

どうもね、「日本的霊性」という言葉は「大和魂」と同じなんじゃないかというイメージがあったのだけど、読んでみると、著者は同じどころか、「大和魂」という言葉を連想させるような戦中の全体主義的精神論を批判するためにこういう言葉を使ったらしい。ほんと、言葉は難しいなと思う。
では、その「日本的霊性」とは何か、となると、どうもよくわからないんだよね。
一応、霊性という言葉は宗教意識のようなもので、精神を超えた働きをするものだというふうに定義しており、日本的、となると、著者はそこに禅や、浄土系思想を挙げる。禅の場合には、何ものをも持たないで相手の懐に飛び込むような明るさが意識の表面だけでなく、もっと深い無意識に無分別に莫妄想に働くときに、日本的霊性が認識されるということ。浄土系の場合は絶対者の無縁の大悲、善悪を超越して衆生の上に光被してくることを、もっとも大胆に明白に明らかにすること。
とまあ、こういうことかな、と自分なりにまとめてみたが、やっぱりわからない。
ただ、本に展開される浄土系思想、法然や親鸞のこと、浄土的な信仰あつい妙好人のこと、金剛経における禅のことなどを読んでいると、因果関係や取引のような信仰を超え、今ここにある瞬間を生きること、仏の大悲そのものを無条件に信仰すること、ということなのかなあとおぼろげに思うのである。
文章自体はそれほど難しいわけではないが、自分自身がこういう局面を迎えたわけではないので、ぼんやりと想像するしかなく、そうするとどことなく雲をつかむようなここちがする。
とはいえ、通常の生活では因果を考え、功利を考え、とかく分析分析で生きていく人間とは、大拙によれば「対峙の世界は相克・相殺の世界」であり、「力の関係で規制される世界」だから、「そこに悪い意味での人間性が現れる。ひとたびこれが現れて来ると、とめどがなくなる。人間自滅の期がきっとくる」。
そこで禅なり浄土なりのもつ、没合目的性、無功徳性、無分別性、応無所在性という境地を見つけ、日常生活の人間性を超越したところで、力の対峙は初めて克服され、解消せられるのだと。
こういった主張はなるほど、とうなづけるところがある。

この本は戦時中の精神主義を批判したと先に述べたが、戦時中にかかわらず、現代でも「力の対峙」を克服しなければならない局面はあとを立たない。いや、これは争いをなくす方法とかそういうことをいっているわけではない。所詮、物事はなるようにしかならないのだし、問題は起こる出来事に対処する人間なのである。争いは起きるだろう。だが、そこに自我が入らなかったら、世界はどのように展開していくのか。「愛のこらしめ」とは自我のある世界では言い訳のような身勝手な言葉であるが、人間性を超越した場合、それはやはりなるようになるものごとの一つなのである。
日本的霊性 完全版 (角川ソフィア文庫)
日本的霊性 完全版 (角川ソフィア文庫)鈴木 大拙

角川学芸出版 2010-03-25
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ラベル:日本
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