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2011年12月30日

生姜粉末をつくってみたよ

最近手足が不調。原因はわからないが、血行をよくする漢方薬を飲んでまあマシになってるので、おそらくそのあたりから来ているものと思われる。そこで体を温めることを考え始めたのだが、なんといっても生姜がいいらしいとネットで書いてあるので、生姜をおろしてお湯で割ったものを1日2回飲んでいる。効き目は?というと夜中トイレに起きることがなくなったので、若干なりとも冷え対策にはなってるようである。

ところで生姜は保存に頭を悩ます。そのまま冷蔵庫に入れていてもすぐカビてくるので生では厳しい。今はまるごと冷凍して、生姜湯をつくるとき冷凍のままおろしている状況だが、乾燥させた生姜を粉末にすると良い、というのをネットでみかけた。ブックマークしわすれたのでどこだかリンク貼れないのだけど、なんでもNHKの「ゆうどきネットワーク」で紹介されていた方法なのだとか。それによると、スライスした生姜を天日で何日か干してからからにしたあと、すり鉢でするか、ミルにかけて粉末にするという方法だった。
だが、今は冬。寒冷地であるうちは天日など望めない。
しかしよくしたもので、我が家は終日暖房で室内はいつも20℃、湿度40%という環境。
これだけ乾燥していれば工夫すればなんとかできるんじゃね?と思って決行してみたのだった。

用意したのは128円で購入した根生姜。これはピースが2つ入っていて、そのうちの一つだけ試してみることに。
まずはスライスしてみたが、いくらうちが乾燥してるからといって夏の天日と同じなわけがないので、生から干すのは大変だ。そこで電子レンジにご登場願う。
500wで1分とか30秒を何回かかけて様子をみた。4回くらいで半なま状態になってきたので、ざるに並べて部屋につるす。
一晩では流石に乾かなかったが、二晩経過するとからからになった。
それからすり鉢で粉末にする。このときの生姜の香りはかなり凄い。生の匂いではないが、家族いわく「しょうがせんべい」の匂いがするといっていた。
ところですり鉢は正直いって、細かい粉末にするのは無理。
こんな風で挫折したもの。
syoga1112.JPG
おまけにすり鉢は最後の最後まで粉末がきれいにとれないので、やはりミルを使ったほうがいいだろう。うちにないので悲しいわ。

で、すり鉢の底に残った粉末にお湯を入れて試飲。
生の生姜湯に比べると香りはない。そして生よりかなり辛い。もうこれは本当に薬の次元に入ってる感じだ。
乾燥生姜粉末は成分が凝縮されてるので、(10倍という話もある)使うときはくれぐれも少なめに。
タグ:健康
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2011年12月29日

居酒屋 エミール・ゾラ

ゾラの小説は初だが、実に読みやすい。読みやすいというのは文章が砕けているとか、俗っぽいとかそういう意味ではない。まあ、確かに通俗といってしまえばそれまでなんだけど、バルザックよりはるかに読みやすいのは、これがバルザックおぢさんのように講釈がながながとあるわけでなく、写実的な内容が多いからなのであろう。絵に喩えるなら、分りにくい抽象画ではなく、一見ぱっとみてなにが書かれているかわかる絵である。
もっというなら、これって一時期はやったホームドラマみたいだな、ということだ。
果たしてホームドラマはゾラの影響を受けているのだろうか?という疑問はさておき、ホームドラマなんてとバカにしていたわたくし、ゾラのホームドラマには実に驚嘆した。だって、現代と見まごうような登場人物たちの行動は、これが19世紀に書かれたものだとはとても思えないのだ。
『居酒屋』はフランスの下層社会に生きる女性の人生をその腐敗と転落振りを生々しく描いたものである。依存症、という言葉は当時はなかったけれども、貧困に疲れて、なにかの依存症となり破滅していく様子は、たとえば日本におけるパチンコ依存症とか、借金まみれとか、そんなものを思い出させるし、もっといえば、この小説はアメリカの下層社会での問題点にさらに似ている。
訳者古河照一さんの解説ではアプトン・シンクレアはこういったという。「わたしは、ゾラみたいな作品を書きたいんだ。」
おお、アプトン・シンクレア。筒井さんが「人我を大工と呼ぶ」を絶賛していて、私もその小説を是非とも読んでみたいが、結局一人勝ちした資本社会は貪欲さがそのまま武器になるような社会である。そこにほおりこまれる我々は、うっかりすると自分の貪欲さのとりこになってしまい、限りない欲望に身を焦がすことになる。
主人公のジェルヴェーズを怠惰だとか意思が弱いとかいうのはたやすいのだけど、果たして違う環境に彼女がいたら、彼女の人生はどうなっていただろうか?
まあ、だからといって資本主義が悪だとはいわん。グージェのように立派に過ごしている人もいるんだし。
つまり「時代・環境・遺伝」ということだ。
それにしても、こうした社会でずるずると破滅へ向かって行く人の典型的な例が非常にうまく書かれていて戦慄する。
ここから自分はこういう人々を非難するのではなくて理解を学ばなくてはならないなと感じた。
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タグ:人間
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2011年12月25日

荀子(上)(下)

儒家の本はまだ読んでいない。もちろん、解説書みたいなのはいくつか読んでるけれども、原典を訳したようなものは、荀子が初めてである。
といっても、訳者の金谷治さんは、この荀子は儒家の中でも異端にあたるという。
荀子は性悪説といわれているが、その説は32篇あるうちの1篇にしかすぎない。おおよそは人とは後天的な環境で決まるから、学問はしっかりしよう、ということが繰り返し説かれているわけである。
まあそれにしても、結構雑多な感じは否めない。学問の必要性を懸命に説くかと思えば、政治的な話から、儀礼マニュアル、果ては心理学から言葉の分類、音楽とはなにかということまで、社会の生活を幅広く話題にしている。
であるから、興味のある心理学的な話などは結構面白かったが、儀礼マニュアルには閉口した。

荀子を読んでいると、儒教というのは農耕社会的な性格であるというイメージがする。農耕社会とは土地を管理して一定の財を得ることであり、自然そのものから財を得る狩猟採取文化とは性格を異にする。そこにあるのはできるだけ突出をなくして、予測可能な方向へ持ってきておだやかに暮らそうという意識であって、儒教はまさにそのための知恵なのだということが実感されるのである。
とはいえ、のちの韓非子などは荀子の弟子だったというから、荀子に関しては法家に良く似た、基準を設けるという思想もある。これは儀礼という意味の基準ではなくて、適切な行為を強化せしめるような手段としての褒賞と刑罰という意味である。これが荀子の心理学的な側面である。実際、荀子は現代社会でも通用するような概念があちらこちらに見えていて、こういってはなんだけど、ちょいと現代の自己啓発書に良く似てるように思うのである。
さて、自己啓発書的と書いたからには、私が啓発された部分を引用しておこう。
臣道篇第十三、七の部分。書き下し文は意味が分りにくかったので、現代語訳。
仁徳のある人はきっとすべての人を敬うものである。おおよそ人間は賢者でなければ馬鹿者であるが、相手が賢者であるのにそれを敬わないのでは自分で禽獣になるようなものであるし、相手が馬鹿者であるのにそれを敬わないのではまるで虎をあなどるようなものである。禽獣になるのではその身の惑乱で、虎をあなどるのはその身の危険であって、災害がやってくるであろう。…(中略)…だから仁徳のある者はきっとすべての人を敬う。そしてその敬い方にもきまりがある。賢者に対しては尊重し親愛して敬うが馬鹿者に対しては警戒して隔てを設けながら敬う。敬うということは同一であるが、その意味は違っているのである。しかし、誠実正直を旨として人をもわれをも害しないという点は誰に対しても同じであって、これこそ仁徳ある人の本質である。…

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タグ:中国思想
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2011年12月20日

耳鳴りと難聴とベートーヴェン

5年ほど前から左耳が耳鳴りするようになった。ジーというような音が鳴り始め、頭を振るとブンブンという変な音がするというものであった。そのうちそれは奇怪なことに低音のリズムみたいな音が混じり始め、なんとなくベースが耳の中で演奏してるかのような感じになってきたので、一度耳鼻科で薬を貰ったのだが、耳鳴りは止まない。そうこうしているうちに耳鳴りはどんどんと複雑な音を出し始め、まるで雑音の中でリズムとメロディが奏でられてるかのような塩梅になってきた。と、同時に電話の声が聞き取りにくくなり、気が付けば高音が聞き取れなくなっていたのである。それが一年ほど前の話。その後、今年になってから右の耳も小さいながら耳鳴りが始まったので、こちらも聞こえなくなったらまずいと思い、5年ぶりに耳鼻科へいった。この間に左耳の難聴はかなり進んでいて、低音はまだ聞こえるものの、高音はほとんど聞こえない状態。幸い右耳は正常だったのだが、耳鳴りが始まってる現在、これもいつどうなることやらわからない。

ところでこの左耳の奇怪な耳鳴りを聞きながら、自分がもし楽譜を起こせる能力を持っていたなら、この耳鳴りの音楽を表現するのも面白いかもなあ、なんて考えていたのだが、そこで思い出したのは、かのベートーヴェン。彼も難聴であったが、もしかして彼も耳鳴りがしていて、そこからインスパイアされたのかなあ、なんて思ったのである。
そんなことを考えていた折、ネットである難聴の方が難聴の耳鳴りについて文章にしているのを見かけた。
http://www8.plala.or.jp/mimiyorikai/web63.html
その内容は、私の耳鳴りとよく似ており、ああ、難聴の人の世界って、実際自分がなってみないとわからんものだ、と感じた。その中で「ベートーヴェンの音楽は激しく切なく、常に彼の耳の圧迫感を連想させる苦悩に満ちていると思います。」というくだりが出てきて、やっぱりあの耳鳴りはベートーヴェンを連想させるよなあ、なんて思った次第である。
もし、事実そうだとしたら耳鳴りを通じて知る生命の律動が音楽の中に表現されているのであり、だからこそあんなにも激しく、勢いに満ち溢れているのだといえそうである。
そう、私は耳鳴りがする前から「月光」が好きだったのだけど、耳鳴りでベートーヴェンのことを思い出してから、一層好きになった。

耳鳴り難聴とは関係ないけど、私はたまに、うつらうつら昼寝をしているときに、パイプオルガンのフーガのような音楽が聞こえてくることがあった。それは神聖そのものといった感じがして、バッハの音楽に良く似ている。果たしてバッハを聞いた後だからそんな風に思うのか、どうかは知らないが、これ楽譜に起こせたら自分天才。と思えるほどに崇高な響きなのであった。かの「ブッデンブローグ家の人々」に出てくるハノーはその幻想の中に音楽を聞いていたというような場面が出てくるけれども、バッハはどうだったのかしらん、とかつい想像してしまう。
バッハも好きな音楽なのだが、こうしてみるとベートーヴェンといいバッハといい何らかの形で自分の身体を通じで表現されたものによく似たものがすきなのだということがいえる。
おっと、耳鳴りの話から支離滅裂になってきた。滅裂ついでだからもう少し書こう。

人体は通常、外の世界を認識するために感覚器官があるようなものだが、病になるとそれが内向きに逆転する。そうして認識した自らの内部を偉大な人々は外に向かって表現することができる。それは一般の人々も接しているのに知らない世界を開示するようなものである。もちろん病なしでも内側の世界を知ることのできる人もいるけれども、病というのは災厄のようでいて、実は未知の世界を知るための扉となる場合もあるのだということは否めないのではないだろうか。



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2011年12月18日

無限の本質―呪術師との訣別 カルロス・カスタネダ

これは一連のカスタネダの本の遺作ということである。まだ全部読んでないのにいきなり最後の本を読むのはどうかと思ったのだが、カスタネダの肉声がわかるというようなレビューを見かけたので、とりあえず先に読んでみることにしたのだ。
で、思ったのはこれは呪術がどうとかこうとかの話より、一人の人間が、作家になる、その過程において何をしたのかという本なのではないかということ。
本作においては、ドン・ファンが記憶すべき人生での出来事を集めた戦士のアルバムをつくるようにと言われ、自らの人生のエピソードでコレクションするものを探し始める。そして、その中でカスタネダの生活を描いた文章が何篇か載せられている。
ドン・ファンによれば、このコレクションの基準は、その体験がシャーマン個人とは関係ないにも関わらず、シャーマンがそれらの真っ只中にいるという非個人的にして、しかし個人的なものだという。
この基準を読んで、これって、ちょっと文学的だよなあと思った。カスタネダの一連の本はフィクションだという話も聞いていたので、だからこそ、これがもしフィクションならばカスタネダ自身の作家的自伝ということもいえるのである。
とはいえ、本当にしろフィクションにしろ、カスタネダ自身が選んだという話は正直ちょっとどうなのかな?と思うような話が多い。一方、ドン・ファンがサンプルとしてあげた話「鏡の前の踊り」は、ははあ文学的だなと思った。ご丁寧にドン・ファンによる解説もついていて、その解釈が人間とはどういう存在なのかということを明らかにしてくれる。
そのほかの話は残念ながらそれそのものではあまり興味を惹かれるようなものではなかったけれども、ドン・ファンの解説によって、それらの話も人間とはなにかという視点を提供してくれる。
しかし、フィクションだったとして、このドン・ファンというトリックスターにして王ともいうべき人物を作り上げただけでもたいしたものだと私は思う。だから本当か嘘かということはどっちでもよいのです。
無限の本質―呪術師との訣別
無限の本質―呪術師との訣別カルロス カスタネダ Carlos Castaneda

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タグ:呪術
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2011年12月13日

丹下左膳(一)(二)(三) 林不忘

今回読んだ3巻は、1巻が「乾雲坤竜の巻」で1冊完結。2巻「こけ猿の巻」3巻「日光の巻」は2冊でひとつづきの話になっている。
この最初の話と、後の話では丹下左膳のキャラクターが随分と違うのである。
1巻では、どこか陰惨な雰囲気を漂わせ、夜な夜な辻斬りに出かけるという剣呑な趣なのだが、これが2巻3巻となると、同じく人斬りがすきなのは相変わらずだが、どこか人間的な情をもち、ちょっと陽気な人になってる。
なぜ、これほどまでに性格が変ったのか?
思うに、これは主をもつか、持たないかということに由来してるのではなかろうかと思う。
1巻の左膳は一応相馬藩に仕えてる身である。殿様の密命を受けて行動しているのである。それはあくまでも密命で、しかも非合法ときたもんだから、どう考えたって明るくなろうはずもない。
で、打って変わって後の物語では左膳、浪々の身で気ままなその日ぐらし。何も制約されることがないってことは自然自分らしくなるもので、がための明るさなのではないかと思うのである。勢い、そのキャラは叛骨精神に近くなってきて、庶民のヒーローまでにあと一歩。

1巻と2巻3巻は左膳のキャラだけでなく、話の趣も随分違う。1巻は結構重苦しいし、主人公と思しき諏訪栄三郎には魅力がないしで正直読むのがちょっとつらかった。ところが2巻3巻のこけ猿の話は、まるでドタバタ喜劇であって、こけ猿の壺はどれがどれだかわからなくなるし、ヤラセがあったり、左膳のラブレターが一人よがりだったりして、楽しかった。
映画は見てないけど、解説を読む限りではこのこけ猿の左膳のキャラが映画のキャラに近いとか書いてあって、なるほどなあと思った。
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タグ:時代小説
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2011年12月08日

その男ゾルバ ニコス・カザンザキス

知的なものの考え方、観念的抽象的に還元するやり方が尊ばれ、教養ある人、とある種の尊敬を勝ち得ている、そんな人が作家である語り手の「私」である。彼の教え子であり、友人である男性は同胞を救いに東へ旅立つとき、「私」も共に来るように誘うのであるが、「私」はそのまま残る。そして、クレタ島に鉱山を借り受けたのでそこで、非難された「行動しない私」に見切りをつけようとわたる準備をしている港の酒場で、ゾルバと出会った。
本作は、そのゾルバの行状があますところなく語られている。学もなく、さまざまな体験をして、酒や女には目がなく、日本語でいうところの「香具師」的性格をもった彼は、実のところ「私」がどうしても持ち得ない体験の知恵を、大地の知恵を持ち合わせた得がたき人物なのであった。
ゾルバのやることといったら、どうも実際こんな人がいたらついてゆけない、などど、ひ弱な自分は思ってしまうのだが、その語るところといったら、実に魅力的。

「おまえさんは一度だって、飢えたことも、殺したことも、盗んだり、姦通したりしたこともねえようだ。それで世の中のことがどうして分るんですか?…」

(無知なある老人に知識を授けようとしている「私」に対してゾルバがいう)「もし、あいつらが目を開いた時、あいつらが今、遊びまわっている暗黒より、ましな世界をおまえさん、みせることが出来りゃだが…出来るかね?」

ゾルバがイメージする神は、峻厳な裁く神ではなくて、人の魂の罪を聞いてるうちに退屈しきってその罪をスポンジで吹き消してやって天国へ消えちまいな、という神。

「おまえさんが話してなさる間、わしゃ、おまえさんの腕や胸をみてまさあ、それで、腕や胸が何をしてるんです?ただ黙ってまさあ。一言だっていいませんぜ。まるでそこにゃ血の一滴だってねえみたいになあ。それで、おまえさん、何でもって理解するってんですかい?頭でですかい?フン!」

「わしの国、それをおまえさんがおっしゃるんで?…おまえさんは本に書いてあるくだらねえことをみんな信じてるんですかい!おまえさんが信じなきゃならねえのはこのわしだ。国なんて区別がある間は人間は動物のままでいますぜ。獰猛な動物でな…」
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タグ:人間
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2011年12月04日

苦海浄土 石牟礼道子

およそ人の苦しみのなかでこれほどまでのものがあろうか。
水俣病について、社会に現れた出来事、患者たちの述懐、筆者の心象風景などさまざまな文体が絡み合って織物のように一つの作品が作られた。
社会に現れた出来事というのは通常私たちが目にできる情報である。そこにはメディアを通じて知らされる状況や、数々の報告書といったもので構成されており、もしこれだけを読むとしたら、被害者と加害者のあくなき闘争ということばかりが目につくであろう。いや、実際それは闘争なのであった。闘争以外の何者でもない。こんな風になったのはチッソが誠意を見せないからだとか、患者が歩み寄らないからだとか、行政がしっかりしてないからだ、とかいろいろ見方はあるだろうけど、実はこれが近代というものの姿なのであろうと思う。
これと対照的なのが、患者たちの心のうちが書かれた文であり、筆者の心象風景である。
そこには、まだ不知火海が汚されていなかった頃の豊穣な暮らしへの思慕があり、業病を背負ったものの悲しみがあり、そしてそれでも生きていく姿が描かれている。業病を背負った彼らの告白は諦観すら漂っていて、あの、社会に出回る文書からは見ることのできない人間の尊厳を思い起こさせるような内容に満ちている。
これが、近代が葬ってきたものであり、隠されてきたものであった。
苦難に満ちた彼らの姿はそのまま宗教的ですらある。いみじくもチッソの病を代りに病んでいるという表現は、そのままキリストの受難を思い起こさせるし、これは一企業だけの病なのではなくて、近代そのものの病であり、これはいまだもって治癒すべきところを見出しておらず、この後もたくさんの生贄の羊たちが捧げられているのである。
なんて、まあ堅いことばかり書いてますが、悲惨ばかりだと読むのが大変。そこはかとないおかしみも知らず知らずに盛り込まれています。曰く、ご詠歌でどうしても歌詞が覚えられない場面とか、チッソ患部幹部たちが不条理感たっぷりに経験したであろう自主交渉での爪印騒ぎとか。ああ、なんか事実は小説より奇なりというけど、筆者は重層的に描写していくことで現代社会について一つの象徴的世界を描き出したのであった。
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タグ:社会 不条理
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