2011年09月29日

徳川家康(トクチョンカガン)(上)(下) 荒山徹

遅ればせながらトクチョンカガン。なぜかというにこれが出版されたときにはまだ荒山徹に目覚めていなかったから。
で、だんだん毒(?)がまわってきたということです。
あの、めちゃくちゃぶりな朝鮮役モノに比べると、いささかオーソドックスにまとめてある感じなのだけど、最後の方にあたる大阪裏ノ陣へのお膳立てとみれば、なかなか抜け目なく話を進めていっている。まあ、元信が夢を本多正信が納得してしまうあたりはちょっと苦しいかなとは思うけれども、朝鮮がでてきて、柳生が出てきて、と結構心ときめく展開にはなっている。
そして佳境の大阪裏の陣、ここで真田雪村のとんでもない動機に笑ってしまう。これで朝鮮妖術のすごいのが出てくればもういうことなしなのだが、まあ、流石にそれはなかった。
でも、でも、隆慶先生(柳生雨月抄)に続いて、またしても!
雪村の赤備に感嘆する「池田隆一郎」槍大将w

真面目なことをいえば、作者があとがきにも書いてあるように、一辺倒に偏りがちな「正史」の視点を突き崩す「稗史」の役割としての伝奇小説、このコンセプトはこのトクチョンカガンにも十分流れている。伝奇小説を読む楽しみというのはこの崩壊具合を楽しむことに他ならない。
徳川家康 トクチョンカガン 上
徳川家康 トクチョンカガン 上荒山 徹

実業之日本社 2009-09-18
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徳川家康 トクチョンカガン 下
徳川家康 トクチョンカガン 下荒山 徹

実業之日本社 2009-09-18
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タグ:伝奇
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2011年09月27日

地下鉄のザジ レーモン・クノー

翻訳というのは実に難しいものだと思う。
この「地下鉄のザジ」は大人たちが眉をしかめるような言葉を連発するザジと彼女を取り巻く人物たちのいっぷう変ったドタバタ喜劇なのだけど、このザジが使う言葉を初めとして、この中で表現されてる言葉に私はあまり面白みを感じなかったのである。
いや、内容が面白くないというのではない。むしろ交わされる会話の中身は実にユニークで興味深いのである。それは人生の一こまだったり、どきっとさせる一言だったり、漫才みたいなかけあいだったりする。
それだけに、言葉の選び方と言うのは実に難しいものだと感じてしまうのである。
こういう小説こそ、原語がわかれば一番いいのだろうな。
地下鉄のザジ (中公文庫)
地下鉄のザジ (中公文庫)レーモン・クノー 生田 耕作

中央公論新社 1974-10
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タグ:どたばた
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2011年09月25日

辛酸―田中正造と足尾鉱毒事件 城山三郎

田中正造といえば、足尾銅山の事件で天皇に直訴しようとしたことで、教科書にのり、その「お願いがござります!」というセリフに随分インパクトを受けたという記憶がある。
本書はそのあと、谷中村を遊水地にしてしまおうという政府に抵抗する住民たちとともに戦う正造の晩年とその後の谷中村の住民の様子が描かれている。
主人公はもちろん田中正造ではあるが、この小説全体の視点は、谷中村の住民宗三郎という農民を軸にしている。
さて、小説とはいえこれは実際の出来事なのだから、これを読むと国家の強権ぶりに呆然とさせられる。なにせ、資本家の味方となって、反対派の多かった村を水没させてしまおうというのだし、実際、強制破壊にあうわ、土地は安く買い叩かれようとするわ、決壊した堤防は直してくれないわ、もうこんな理不尽なことがあっていいのでせうか、と気分はほとんど左翼になる。ということで以下、私の左翼人格はこう思っている。
基本的に、国は利権がらみで一部の人間を犠牲にすることをしばしば行ってきたし、残念ながら、大多数の国民もまた、それに見てみぬふりをしていたといってもよい。だが、生活基盤の土地を奪われるということに、国も大多数の国民も鈍感すぎるのではあるまいか。よく、別の土地に移ればいい、などというアレである。

田中正造は情熱と根気の人で、政府の巧妙な揺さぶりに次々と味方が離脱していくなか、最後まで残った在留民を盛り立てて彼らの村の復活に奔走する。なんとしてでも谷中復活を目指す正造はもしかすると正義に凝り固まって現状を見ようとしないのかもしれない。だが、そういう見方は権力側の都合で物事を考えたときであって、功利を度外視してまで住民と共に戦うのはそれだけ、生活というものの重要性を訴えているのである。国の都合で誰かがスケープゴートにされる社会はモノがあふれかえっていようが、住みよい社会なはずはない。
辛酸―田中正造と足尾鉱毒事件 (角川文庫 緑 310-13)
辛酸―田中正造と足尾鉱毒事件 (角川文庫 緑 310-13)城山 三郎

角川グループパブリッシング 1979-05
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タグ:人間
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2011年09月20日

人工楽園 ボードレール 阿片常習者の告白 ド・クィンシー

手軽に楽園への切符を手に入れられるということでしばしばドラッグのとりこになる人がいる。しかし、それはどういうことなのであろうか、と「人工楽園」ではアシーシュと阿片についてその姿を描写せんとしている。結論からいえば、著者はドラッグには否定的なのであるけれども、薬を用いたときに訪れる感覚や幻覚の描き方は幻想小説的。アシーシュは本人の体験も交えているのかどうか不明だが、聞いた話などを総合して感覚を超人的に高めるというアシーシュの効能を、阿片については、ド・クィンシーの著書の梗概を用いることでその姿に迫っている。
実は、この本を読む前にド・クィンシーの「阿片常習者の告白」をざっと読んだのだが、いろんな比喩を文章にちりばめられていて、意味がよくわからなかったりした。これはもともと著者がそういう文章を書くということもあったのだろうけど、阿片の影響じゃね?とかつい思ってしまうくらい曲がりくねった表現が多い。
これをボードレールは刈り込んで読みやすくしたのだけど、流石に悪夢の悪夢たる場面をうまくチョイスして原文で載せるなど、ド・クィンシーの著書の良いところを持ってきてるので、本自体を読んだときにはわからなかった、この本のよさがわかったりした。
まあ、それはともかく、そのようなわけで結果としてはそれほど背徳的なものではないので解説であまり評判にならなかったというのもわかるような気がする。
その点では常習者の言い訳満載のド・クィンシーの著書のほうがよっぽど背徳的であって刺激的ではある。
でも、なんだか知らんが「~告白」のほう、読んでると眠くなってくるんだよな。ボードレールが梗概を書いたほうも読んでて眠くなってきたので、もうこの内容自体になにか仕込まれてるとしか思えなかった。
あ、なんか意味不明でごめんなさい。
人工楽園 (角川文庫クラシックス)
人工楽園 (角川文庫クラシックス)ボードレール 渡辺 一夫

角川書店 1955-05
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阿片常用者の告白 (岩波文庫)
阿片常用者の告白 (岩波文庫)ド・クインシー Thomas De Quincey

岩波書店 2007-02-16
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タグ:ドラッグ
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2011年09月16日

血と砂 ビセンテ・ブラスコ=イバーニェス 他に佐伯泰英など

花形闘牛士フワン・ガリャルドが闘牛に恋に情熱を燃やす小説だが、この小説の面白みはといえば、あらすじよりはその闘牛の世界を克明に描いたという点だろうと思う。
前に、佐伯泰英の居眠り磐音「万両ノ雪」あとがきにおいて、スペイン闘牛の取材をしていたころの話を書いていたのを読んだことがあるが、この小説を読んで、そのあとがきのことがふわっと思い出されてきた。
社会の底辺から成り上がるためにたくさんの子供たちがそれこそ群がるようにしてあちらこちらの祭りに出没することや、闘牛士が国中を行脚する様子、それから闘牛場の舞台裏など、佐伯泰英が書いていたこととオーバーラップし、ああ、闘牛、少なくても1970年代まではその姿をあまり替えることなく続いてきたのだなあ、と、まあそんなことを考えた。
もちろん、こちらは地元作家が書くということもあって、闘牛の世界の光と影をしっかり描いている。外国から残酷だと非難されても、文中にはルイス博士による闘牛擁護の文章もあるし、また、ナショーナルが思う闘牛の批判もあるのである。
こういう小説を報告文学というらしいのであるが、奇妙なことに、この闘牛についての詳細な記述を有した小説、メルヴィルの「白鯨」のあのクジラについての詳細な記述とよく似ているように思う。
白鯨においてはそのクジラを事細かに報告することによって人間批評をしたように、この小説では闘牛及びアンダルシアの風習を描くことによってスペインというものが浮き彫りになってくるのだった。
血と砂 (岩波文庫)
血と砂 (岩波文庫)ブラスコ・イバーニェス 永田 寛定

岩波書店 1990
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万両ノ雪 ─ 居眠り磐音江戸双紙 23 (双葉文庫)
万両ノ雪 ─ 居眠り磐音江戸双紙 23 (双葉文庫)佐伯 泰英

双葉社 2007-08
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タグ:闘牛
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2011年09月12日

マダム・エドワルダ/目玉の話 ジョルジュ・バダイユ

人が隠微なものとして常日頃あつかうエロスやタナトスはそれを語るのにいろいろ工夫しているけれども、今回バタイユの小説を読んで、私はどちらにしろ美しく語られたものを読むことでこれらが引き連れてくる不安から目を背けていたのではないかと思った。
「マダム・エドワルダ」は娼婦との係わり合いの中で神体験を告白する男の手記だが、その神は恍惚たる美しい体験ではなくてひたすら地獄へと至る道に等しい。
また、「目玉の話」では性行為そのものではない、排泄物をも含めた下半身全体の、たがの外れたような遊戯とそこから派生する痙攣的な快楽を描写してなかなかに読むものをたじろがせる。
こういったものは、ともすればあの「冒涜的」とかいう言葉で抑圧されたり、生理的な嫌悪感が先立ってしまいがちになる。
しかし、両者とも共通していることは、性を通じた肉体の持つエネルギーに翻弄される人間の姿を極限にまで押し広げた、その想像力にある。
いやもうその極端さは「目玉の話」における目玉玉子金玉の類似性にこだわり抜いたところにあって、陰門に死んだ男からくりぬかれた目玉が押し込められていて、それが死んだ女の子の眼を思い出させるというくだりには、なにか肉体を持つということがこれほどまでに物悲しいとは思わずに入られなかった。
その肉体もやがては滅んでしまう。だが、この小説に諸行無常の枯れた域などはとうていなくて、どうも、そこにはこの肉体のもつ地獄を徹底的に見てやろうとする心意気が感じられてくる。その意味で生の究極の姿が死なのであるという逆説が思い浮かんでくるような小説。
マダム・エドワルダ/目玉の話 (光文社古典新訳文庫)
マダム・エドワルダ/目玉の話 (光文社古典新訳文庫)バタイユ 中条 省平

光文社 2006-09-07
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2011年09月09日

沙門空海唐の国にて鬼と宴す(全4巻) 夢枕獏

唐へ留学した空海が怪異を耳にした。空海はある思惑があったので、その怪異に関わって解決しようと試みる。博覧強記、能筆家、文章家として最強の空海が挑んだ怪異はその時代からさること半世紀前の王朝に関する愛の物語へと繋がってゆくのであった。

解説でも書かれていたが、完結まで17年という長さ。それだけに資料をじっくり読み込んで物語を織り上げていった著者の意気込みが伝わってくる力作。
なにしろあの空海が狂言回しというか探偵役となって、玄宗皇帝の時代に関わる話をミステリー調で明らかにしていく流れは先へ先へと続きが気になってしまうほど面白い。あんまり面白いものだから、4巻合計およそ2000ページを5日間で読んでしまった。こんなに速く読んでしまうのはもったいないし作者にも申し訳ないと思うんだが、どうにも止まらないものだ。
中国の歴史に疎くても大丈夫。それほどややこやしいことは出てこないし、ちゃんと人物関係も噛み砕いて説明されているので、これもまた読みやすさの一つであろう。
空海と行動を共にする橘逸勢はわれわれ読者の代表といってもいいし、ホームズにおけるワトソンの役割といってもいい。まあ、少しお間抜けな感じのする逸勢ではあるけれども、空海が出来すぎ君なのです。
それにしても、楊貴妃の話は随分と哀愁がある。4巻では宴が始まり、事の成り行きが明らかにされるのだけれども、読んでるとうっすらと哀しくなってくるのであった。
小説の中身はそんな感じなのだけれども、こういった伝奇的内容を通して、空海の為したことがいかに凄いか、ということもちゃんと書かれていて空海の人物に魅力を与えている。
沙門空海唐の国にて鬼と宴す〈巻ノ1〉 (徳間文庫)沙門空海唐の国にて鬼と宴す〈巻ノ1〉 (徳間文庫)
夢枕 獏

徳間書店 2010-02-05
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沙門空海唐の国にて鬼と宴す〈巻ノ2〉 (徳間文庫)沙門空海唐の国にて鬼と宴す〈巻ノ2〉 (徳間文庫)
夢枕 獏

徳間書店 2010-02-05
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沙門空海唐の国にて鬼と宴す〈巻ノ3〉 (徳間文庫)沙門空海唐の国にて鬼と宴す〈巻ノ3〉 (徳間文庫)
夢枕 獏

徳間書店 2010-03
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沙門空海唐の国にて鬼と宴す〈巻ノ4〉 (徳間文庫)沙門空海唐の国にて鬼と宴す〈巻ノ4〉 (徳間文庫)
夢枕 獏

徳間書店 2010-03
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Amazonを見ていたら、角川文庫からも今年10月に発売されるようである。
1巻の分だけ貼っておきます。
沙門空海唐の国にて鬼と宴す 巻ノ一沙門空海唐の国にて鬼と宴す 巻ノ一
夢枕 獏

2011-10-25
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タグ:伝奇 空海
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2011年09月04日

世界平和のために ダライ・ラマ14世

1999年ニューヨークで行われたダライ・ラマ14世の一般者向け講義を抜粋して編集したのが本書である。中身は仏教における瞑想の方法と空の概念や悟りについての解説で、ダライ・ラマ14世の言葉を借りるならば、仏教についての理解を深めてくれるようにとの願いが込められているそうである。
そういう背景があるので、この本は仏教とはなにか、ということが実にわかりやすく書かれているように思う。
仏教とは自分が幸せになるようにという願いをかなえること、とはダライ・ラマが冒頭このように述べたのであるが、ここから先が肝でまず幸せでないというのはどういう状態なのかということを述べ、では幸せになるにはどうしたらいいのか、ということを仏教の修行の中身を参照にしながら説明していくのである。
生とは苦しみそのものである。このあたり、人が原罪をもっているとするキリスト教よりは感覚的に理解しやすい。その苦しみから自由になる方法が仏教でさまざまにある教えである。この教えを実践するための瞑想の方法や、いろいろな行を行うための方法が人が一般人にわかるように説明されているので、仏教に疎い私もなるほどなあと随分勉強になったのだった。
他の生き物たちを助けるために悟りを得るのだ、という大乗の考えは職業倫理によく似てるな、と思った。例えば医者も無知だと患者を助けられないので、一生懸命勉強する、というのに似ている。小難しくて、知識をもてあそんでるかのように私には見えてしまう仏教哲学も本来は衆生を助けるために自分を鍛えるためのものだったのである、ということがなんとなく了解された。
世界平和のために (ハルキ文庫)
世界平和のために (ハルキ文庫)ダライ・ラマ14世テンジンギャツォ Dalai Lama

角川春樹事務所 2008-07
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タグ:宗教
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2011年09月01日

クオ・ワディス(上)(中)(下) シェンキェーヴィチ

世間から「趣味の審判者」といわれるほど、その見識に一目置かれているペテロニウスに甥のウィニキウスが相談を持ちかける。それはローマ帝国の人質として住んでいるリギアというリギ族の王の娘を見初めたのでどうしたらよいだろうか、ということであった。ペテロニウスはローマ式のやり方でギリアがウィキニウスのものになるよう手配するが、リギアはキリスト教徒であり、ローマの腐敗した風俗を目の当たりにして彼らの前から逃げてしまった。ウィキニウスは血眼になって探し回るのだが。
岩波文庫3冊分の長さの話であるが、一気に読んでしまった。上巻のペテロニウスの丁々発止なやり取りや、のちに禍の元となるキロンのしたたかさなどは読んでいて面白く、これは一体どんな風に話が進むんだろうと先が気になるほどだった。
中巻ではウィキニウスがリギアへの愛からキリスト教へ傾倒してく様子が語られる。このあたりはキリスト教の教えが混じりこんで少し退屈したのだが、ローマの爛熟しきった文化と比較したとき、この考え方が当時としては画期的であったことを思えば、これがなんらかの伏線になるだろうとの予感で読みすすめた。
果たして、その伏線はローマ炎上とキリスト教徒の迫害という場面へと繋がったとき、彼らの愛と忍耐が際立ってきたのである。
この話の主人公の一人がそうしてキリスト教へと傾倒していくウィニキウスだとすれば、もう一人はローマの文化を代表するようなペテロニウスだろう。彼の眼から見たローマの権力中枢が語られる。その描写は皮肉に彩られていて機知に富んでいるのだが、そんな彼を生み出したローマの文化はやはりたいしたものだといってよろしく、キリストの教えはこの中にあっては頑なな考えにしか読めなくなってしまう自分がいた。
とはいえ、あの暴虐の中で死後の幸せを約束された信者たちはやはり恐るべき忍耐力を持つといわざるを得ない。それは権力に対しての一つの抵抗の姿でもある。
その様子は下巻のキリスト教徒迫害のシーンによく現れている。そしてこの最後の巻がスリルとサスペンスが盛り込まれ、一種、エンターテイメントにも思われるほどである。リギアは果たしてどうなるのか?ということだけでもどんどん読めてしまう、親切設計。
クオ・ワディス〈上〉 (岩波文庫)
クオ・ワディス〈上〉 (岩波文庫)シェンキェーヴィチ Henryk Sienkiewicz

岩波書店 1995-03-16
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クオ・ワディス〈中〉 (岩波文庫)
クオ・ワディス〈中〉 (岩波文庫)シェンキェーヴィチ Henryk Sienkiewicz

岩波書店 1995-03-16
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クオ・ワディス〈下〉 (岩波文庫)
クオ・ワディス〈下〉 (岩波文庫)シェンキェーヴィチ Henryk Sienkiewicz

岩波書店 1995-03-16
売り上げランキング : 130105


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タグ:歴史小説
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