2011年03月30日

雪と人生 中谷宇吉郎

この本には雪の結晶についての話を初めとして、幼いころの話や、北海道の気候、昭和新山、凍土、そして科学と非科学的な伝承や文学についての雑感などが収められている。中谷先生は自分のことを、こういった反科学的教育がのちの自分の科学にとって邪魔になったとは思われない、と『簪を挿した蛇』の中で述べている。思うに、文学もなにも関連せずただ純粋に機械的な事柄だけを考えるようなことは発展がしにくいのではないだろうか?『雷獣』に少し述べられていた伝承のように、想像力が意外とその姿を正確に捉える場合もあるだろうし、ロマンがその対象物への限りない憧憬を生み出して情熱を育てることもある。そういえば、中谷先生の雪の結晶もすこぶるロマンチックで想像力をかきたてるものがある。

ところで私は先日、春分に卵が立つということについての文章を目にした。
やってみよう、春彼岸のお中日には卵が立つ?【イエはてな】“リブ・ラブ・サプリ~SEASON” #063THEME:「春彼岸に」「春の野草料理」「卒入学のお祝い」
このことについて、中谷先生が『立春の卵』という文章を書いている。昭和22年2月に卵を建てたというのが新聞記事になったらしいのだが、そのことについて科学的な考察を交えて随筆を書いているのである。卵は立てることができるが、それができなかったのはみんなが立たないと思っていたからである、とし、人類の盲点という言い方をしている。そしてこういう盲点が他にもいろいろな方面にありそうであると述べたが、科学とはそれを発見することであるのかもしれないな、と思った。だから常識では考えられないようなことをいろいろ考察して欲しいところだなあ。
雪と人生 (1977年) (科学随筆文庫〈2〉)
雪と人生 (1977年) (科学随筆文庫〈2〉)中谷 宇吉郎

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タグ:随筆
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2011年03月28日

ソフィーの世界 ヨースタイン・ゴルデル

ずっと前の話題本をあとから読んだことを宣言するのはなかなか言い出しにくいものであるが、そんな躊躇を吹き飛ばすくらい面白かった。
ファンタジーでありミステリーであり哲学史であるとたくさんの分類ができる。哲学史ではややこやしい概念がわかりやすい比喩になっていて、どうも哲学の用語がわからなくて、という私にはとても参考になった。加えてミステリー、これはソフィーが最初にもらった謎の手紙、「あなたはだれ?」「世界はどこからきた?」という問いを求めていくところで哲学的な考察が続いてゆく。これも次はどうなるのかと目が離せない。さらに異世界のようなファンタジー要素。これは先の2つの要素が組み合わさって御伽話のようになってゆくところ、これが現代文学の前衛っぽいのである。
いろんな要素から読んでゆくことができるが、私はこの本をあえて現代文学の指南書という視点で読むと文学と哲学の深い関係がわかっていいのではないかと思った。
とかく前衛文学はわかりにくい。ところが、この本の中では哲学の考え方を述べた後、その考え方にそって誘導された物語が続いてゆく、いわば物語の素材とその解説が一体化したようなものと考えることもできるのだ。
哲学と文学に共通するもの、それは人を不穏な気持ちにさせることである。今までの常識的な見かたを疑い、問う。哲学は理論を探り、文学は現象を描き出す。
まあ、いまさらこんなこと言うのもかなり遅れてるんですけど、自分の感想として。
ソフィーの世界―哲学者からの不思議な手紙
ソフィーの世界―哲学者からの不思議な手紙ヨースタイン ゴルデル Jostein Gaarder

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タグ:哲学
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2011年03月25日

物理学者の心 寺田寅彦

漱石の『吾輩は猫である』に出てくる寒月さんのモデルである寺田寅彦。随筆を今回初めて読むが、身近なものを物理学からアプローチする文章には、オデュッセイアの女中数珠繋ぎを力学的に説明しだした寒月さんそのものでとても面白かった。
しかし、この本のなかで印象に残ったのは、時節柄災害に対する文章なのであった。
『津波と人間』『天災と国防』『災難雑考』は災害について含蓄の深い言葉がたくさん並べられている。
『津波と人間』では昭和8年に起きた三陸沖の津波について、自然は過去の習慣に忠実だから保守的に執念深く遣ってくるのである、という。だが人がちょうど世代代わりする周期に襲ってくるために前の世代の言葉など聴いてくれるかどうかこれからの日本でははなはだ心もとないと心配する。
実際、明治に建てられていた津波の石碑は昭和8年には人目の付かないところに追いやられたり2つに折れたりしていたのであり、今回の震災でもこの点について述べた映像がyoutubeにあがっている。

寺田寅彦は関東大震災を経験している。それだけにその警告は非常に説得力があり、傾聴に値する。
また『天災と国防』では台風について普段の平均計測値だけを目安にした勘定では烈しい風の息の偽周期的衝撃に堪ええないのはむしろ当然であろうということが述べられていて、台風ではないが、津波について甘く見積もっていた福島第一原発のことを彷彿とさせる。
さらにさらに『災難雑考』では日本人の責任ということについて辞任したりはなはだしきは切腹したりすることについてそれで責めを塞いだというのは嘘だと思われる、とし、本当の責任とは原因を徹底的に調べその上で徹底的に安全なものを作り上げることではないかといっていて、謝罪することが悪いことだとはいわないが、それで済んだと思うところに日本人の甘さがあるように思えてならなかったからこれはまさに胸のすくような文章だった。
この随筆の最後のほうでは、植物も少しいじめないと花実をつけないものが多いし、ぞうり虫マラメキウムなどもあまり天下泰平だと分裂しなくなって死滅するが少し揺さぶってやれば復活するから、そういう意味では災難も結構礼賛に値するのかもしれないし、日本は自然災害が多いから日本人を日本人にしたのは学校でも文部省でもなくて、神代から今日まで根気よく続けられてきたこの災難教育であるかもしれないといっている。
まあ、どうせ何かの天啓だというなら天罰などと迷信深いことをいうのではなくてこのくらいのことはいって欲しいところですな。
物理学者の心 (1977年) (科学随筆文庫〈1〉)
物理学者の心 (1977年) (科学随筆文庫〈1〉)寺田 寅彦

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タグ:随筆
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2011年03月24日

〔現代語抄訳〕論語 岬龍一郎編訳

『論語』の本文を読まずして周辺図書から読んでいる理由は格別あるわけではないのだけど、ただでさえ私など説教くさいと誤解しそうなので、予備知識をいくらか仕入れてから読もうかな、と思ってるのが理由といえば理由か。
そんなわけで、今回もまた周辺図書。これは入門書みたいな感じで、いくつか文を抜粋して訳がつけられており、さらに編訳者の解説があるという体裁。
この編訳者は組織社会における人間育成のための塾を開いている人で、解説もその観点から書かれているようだ。そのため、そこらへんの考え方に疎い私には、そうなのか、となかなか有意義な解説が載せられていて、参考になった。
しかしながら、一点、編訳者の考え方に疑問を持つところがあった。
それは、
子曰はく、三年学びで、穀に至らざるは得易からざるなり。(長い年月の間学問をしながら、まだ棒給ももらえず、それでも学問を続けている人は得難き人である)

についての解説。ここで編訳者は、ここまでくると世間に訳に立たない学問をすることがそれほど立派なことであるかどうか、筆者には疑問に思えてくる(中略)世の中や人類の役に立たない学問は学問といえるのだろうか。これは学ぶ者の傲慢ではないかと…。ということを述べている。
しかし、私はこの文は、孔子が世間に役立つという功利すら忘れて学問を続ける姿を賞賛したのではないかと考えるのである。というのはこの本の別のところにも、昔の学者は道を明らかにして徳を極めるために行なったものだ。ところが、いまの学者は人に知られるため、つまり自分の名声を得るために学んでいる、というようなことを言っているし、人が知ろうが知るまいがそんなことを憂いてはいけない、というようなこともいっているからである。
それに、もうひとつ、世間の役に立つ立たないは誰が決めるのだろう?こういってはなんだけど、人間の視野というのはそれほど広くないと思うのである。それは人知れず役に立ってるのかもしれないし、今使えそうにない学問が実は後の世の役に立つかもしれないし、世間の判断では計り知れないところがあるように思うのよね。
こういう組織社会での価値観はそれからはみ出したものを排除してしまうという欠点がある。しかしはみ出したものががちがちに殻で閉じこもった世界を打ち破るちからになるのである。それは新たに発展していく世界の始まりだ。
そういう人たちが、このあたりのことをもう少し考えてくれたなら柔軟性も出てくるんだろうになあ、と思う。
「現代語抄訳」論語―欲望に振り回されない生き方
「現代語抄訳」論語―欲望に振り回されない生き方岬 龍一郎

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タグ:中国思想
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2011年03月21日

審判 フランツ・カフカ

銀行家ヨーゼフ・Kは30歳の誕生日に逮捕される。それは誰がなんのために、また自分がどういう罪で逮捕されたのかもわからない状況である。身柄こそ拘束されなかったものの、日常生活に付きまとう訴訟。Kはそんななかで事実を知りたいとも、審理をなんとかしたいとも、いろいろ手をつくしてみるが。
平穏な生活に突如訪れる不条理。Kの訴訟問題は主体がわからず、理由もわからない点でかなり不気味である。
この不気味さはなにかに似ていると思ったのだが、これは陰湿ないじめの構図に似てはいないだろうか?ここでいういじめの定義としては、特定の人物が特定の人物をターゲットにするいびりやハラスメントではなく、集団全体がなんとなく特定の人物を排除するいじめのことを指す。自分がなぜいじめられるのか、わからない不条理さ。集団側としても、自分の関わっている部分でしか物事を知らず、主体がそれこそ誰だかわからないという無責任さがなんとも恐ろしい。
加えて、大きな組織にありがちな手順の複雑さなどがここに加わって、情報だけが飛び交いそこに顔が見えてこない世界を浮かび上がらせる。
カフカの短篇集は前に読んだことがあるけれども、そのときは彼の作品が何をいいたいのかあまりよくわかっていなかったが、この『審判』では今いったようなことを汲み取れて、なるほど、カフカがなぜ現代文学で重要な一人であるのか、というのが理解できた。
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タグ:不条理
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2011年03月20日

吸入ステロイドは水が必要だった

前の阪神大震災の時は、持病などなくて電気や水が足りなくなるといってもどこか他人事だったのだが、持病ありの身になってしまった今、東北関東大震災で電気や水が足りなくなるということを再び思い出して考えたのは、吸入ステロイド(パルミコートとかフルタイドとかオルベスコなど)は吸入したあと、うがいしなくてはならないではないか、ということだった。
吸入ステロイドはうがいをして口の中に薬が残らないようにしないとカンジダ症になる恐れが出てくる。
パルミコートを今は吸入しているが、薬剤師さんが説明してくれたところでは10回、最低でも5回以上うがいをしてくださいということだった。
実際やってみるとわかると思うが、10回うがいするにはコップ1杯の水が必要。朝と夜2回ならコップ2杯、だいたい300~400ccほどになる。
これ、結構な量だと思うんだが。
こんなに水を使わなくてもいいよう、うがい回数が少なくてもよい薬や、もっといえばうがいをしなくてもいい薬が開発されないものかねえ。
うがいをしなくても良くなれば、別に水がどうのこうのというだけでなく、手間が省けて生活の質も向上すると思うんだ。
とはいっても、うがいなしでも大丈夫な吸入ステロイド剤開発というのは難しいのかな。
タグ:喘息
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2011年03月15日

創造する無意識 C.Gユング

ユングによる芸術、文芸と心理学についての考察的な文章をいくつか集めたもの。ユングは最初に収められている『分析心理学と文芸作品の関係』において、心理学は作品創造のプロセスに関わる部分だけが対象になるのであり、芸術本来の本質を成す部分は対象たりえない、ということを述べている。そして創造過程と無意識との関わりについて述べてゆくのであるが、この論述は結構興味深かった。『心理学と文学』で述べてるようなニーチェやゲーテのファウストなどは一見奇妙で読みどころがつかみにくいため、ユングの語るところの原像やら幻視という解説は読みどころの一助となりうる一つの説だと思う。もっともその原像とか幻視という概念そのものがまたえらくつかみどころがないといえばないんだが、もし少しでも自分の心の中に起こってくる出来事に注意を向けていたならば、こういった幻視的作品になにか共感や馴染みを感じることはいえると思う。
最後に収められている『超越機能』はユング心理学の基本的な態度を解説している。意識と無意識は常に補償補完しあう関係にある。意識の偏向した態度を補う無意識であるから、それの要請するところを辛抱強く汲み取り、統合していくことで新しい意識の形が生まれてくるという考えによって無意識と対決していくのはなかなか大変なことではある。まあできれば避けたいけど、危機に陥ったらそんなことも言ってられなくなるな。それに、このような道のりは芸術作品の創造過程によく似ているということでもあるし、そうなると作品の優劣はともかく人は誰でも芸術家になれるということだね。
創造する無意識―ユングの文芸論 (平凡社ライブラリー)
創造する無意識―ユングの文芸論 (平凡社ライブラリー)カール・グスタフ ユング Carl Gustav Jung

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タグ:心理学
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2011年03月12日

夜 エリ・ヴィーゼル

ちょうどこの本を読んでいる最中に東北地方太平洋沖地震が発生した。その凄まじい津波は対策を立てていた想定以上のものではなかったか。名取川から畑へと侵入してくる大水は自然の非情さをまざまざと見せ付けたのである。
『夜』はナチスドイツによって強制収容所に送られた少年が後日大人になってからその体験をノンフィクション小説にしたものである。彼の体験は自身の中での神の死という結末に至った。
この悲惨な体験は純粋に人間のもたらしたものであるけれども、人間といえども自然の一部である。その非情さは時に襲い掛かるものに想像以上の猛威を振るうことがあっても実はおかしくないのかもしれないと、そんなことを考えた。
もちろん、人間は自然に対抗すべく社会を形成してきた生物である。であるからその猛威を自ら調教して緩和しなくてはならないことが期待されるし、それはうまくいっているようにも見える。
だが、やはり自然の一部である人間が理性を逸脱してその残虐な面をむき出しにすることがあるというのを忘れてはいけないのだろう。丁度自然災害の猛威を忘れてはいけないように。
冒頭、先に強制収容所に送られてた外国のユダヤ人が戻ってきて住民に警告する。だが、住民たちはそれが人間として考えられないことなので信じない。これを住民が楽天的すぎるとか考えてしまうのであるが、いや、でもどうなのだろう。自分もやっぱり信じられないと思ってしまうかもしれない。
ナチスを断罪することはたやすいけれども、断罪したからといって将来絶対にこのようなことが起こらないという保証は残念ながら私には考えられない。ただ、いえるのは一人ひとりが理性を失ってしまわないよう注意深くなること。しかし、それでも自然の猛威は時に人間の心の中で振るってしまうことがあるだろう。だがやれるだけのことはやるしかないのである。ユングが言っていたのはおそらくそういうこと。
夜 [新版]
夜 [新版]エリ・ヴィーゼル 村上 光彦

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2011年03月11日

モルグ街の殺人・黄金虫 エドガー・アラン・ポー

ミステリーといえばポー。でも今まで読んだことなかったんです。今回読んだ本には『モルグ街の殺人』『盗まれた手紙』『群衆の人』『おまえが犯人だ』『ホップフロッグ』『黄金虫』の6篇が収録されている。『群衆の人』『ホップフロッグ』などはミステリーというより後年の不条理小説とかに近いかもしれないが、実をいえばこの2つと『おまえが犯人だ』がこの中で好みだった。
デュパン登場する推理小説『モルグ街の殺人』『盗まれた手紙』は面白かったけどこれをもう一度読みたいか、というとそうでもないような気がする。まあ、あまりミステリーを好んで読む人間ではないので。
とはいえ、この6篇を見る限り、ポーのミステリーには独特のブラックユーモアがあると思う。それが一番顕著に現れてるのは『おまえが犯人だ』だろう。この小説は最初のほうを読むと犯人当てということではだいたい想像がついてしまう。読みどころなのはその犯人探しにおける人々の振る舞いであり、こういう事件が起こったときの人々の反応を微妙に諷刺してるように思える。
『黄金虫』の暗号解読のくだりはなかなか絶妙である。小説の前の部分を読んでゴシック風になるのかと思いきや、後半ではその謎解きが痛快。エンターテイメントとして読む場合、これが一番面白かった。
モルグ街の殺人・黄金虫―ポー短編集〈2〉ミステリ編 (新潮文庫)
モルグ街の殺人・黄金虫―ポー短編集〈2〉ミステリ編 (新潮文庫)エドガー・アラン ポー Edgar Allan Poe

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タグ:ミステリー
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2011年03月09日

黒猫・アッシャー家の崩壊 エドガー・アラン・ポー

伝奇小説といえばポー。でも今まで読んだことがなかったんです。そのうち読まなくてはと思いつつ今日まできましたが、先日新潮文庫の2冊をを手にする機会ができたので、まずは、短篇集ゴシック篇から。
ゴシック篇では怪奇小説が主に集められている。収録作品は、『黒猫』『赤き死の仮面』『ライジーア』『落とし穴と振り子』『ウィリアム・ウィルソン』『アッシャー家の崩壊』の以上6篇。黒猫とか赤き死の仮面はあらすじをどこかで見たことがあって、話の内容はだいたい知っていたが、あらすじを知ってるのと実際に読むのとは大違い。
少なくともこの本で読んだ小説は舞台となる家の描写や人々の様子などが雰囲気たっぷりに描かれていて、この描写があるからこそポーの小説は凄いと評判になったのだろうと想像が付く。
アッシャー家の家の描写など、これだけで一篇の怪奇的な詩になりそうなほどだ。
こういうのを読むと、小説をあらすじだけで読んでしまうということがいかにばかげてるかわかろうというものだ。
ところで、私は不謹慎かもしれないが、『落とし穴と振り子』では振り子の部分なんかはつい悪党に捕まり危機迫るヒーロー映画みたいなシチュエーションを想像してしまってどうしてもおかしさがこみ上げてきてしょうがなかった。本当は異端審問で処刑されそうになる主人公の恐怖を感じ取らなければならないんだが、すいません。
黒猫・アッシャー家の崩壊―ポー短編集〈1〉ゴシック編 (新潮文庫)
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タグ:伝奇
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2011年03月06日

花のノートルダム ジャン・ジュネ

囚人のジャンがおかまのディヴィーヌの生涯を支点に、同性愛者、泥棒、殺人犯などを登場人物にした童話を書こうと思い、この小説が出来上がってゆく。
その表現は社会から逸脱したものたちを神聖な存在にまで高めるほど、詩的な表現に彩られ、一体自分は何を読んでいるのか忘れてしまうほどであった。
社会逸脱者としての彼らを逸脱したものゆえに憐れむとか怒るといったことが偽善に思えてしまうほどほどである。
その詩的な表現は彼らに対する情愛の深さゆえだろうか。はたまたこの小説でジャンが語っているように、ディヴィーヌも、この小説もまやかしなのであって、実に彼らは魔法を必要としている人々なのだということであろうか。
だが、彼らは社会の裏返しである。社会というものが人間の使う魔法そのものなのだから、裏返しの彼らに別の魔法が必要だとしてもおかしくはあるまい。
語り手ジャンはとびきりの魔法使いである。
花のノートルダム (光文社古典新訳文庫)
花のノートルダム (光文社古典新訳文庫)ジャン ジュネ Jean Genet

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2011年03月03日

意味の変容 森敦

内部と外部と境界について数学的定義を用いて全体概念をとらえ、他にも数学的定義から世界をとらえようと思索したこの本は、私には難しすぎた。数学がパーだから理解できないのか、言葉の意味がよくつかめないから難しいのか、それは自分でもわからないくらい難しい。
とはいえ、全文がそんな小難しいことを書いているのではなくて、具体的な話ももってきて、それがしばしば寓話的に読める場所もあるのである。
私が印象に残ったといえば、口輪をはめられた皮膚病の犬の話。口輪があるために野良犬のように処分されることもなかった犬だが、そのために自分のかゆい場所を掻くことができないという話である。犬はそのかゆい脚を食いちぎってしまいたいほどなのだ。
その口輪が取れたとき、犬はバキュームカーに轢かれてその脚が千切れてしまう。やっと口で掻けるようになったときに脚がなくなってしまうのだ。さらにちぎれた脚を狙う野良犬たち。さて、これでも神があるのだろうか?
そしてこのあとに神も矛盾として実存するとし、ここに絶望がある、とするのである。
生死も神のあるなしもすべては内部と外部と境界に存在する矛盾という観点から思索しているのだろうな、ということはおぼろげにわかるけれども、さて、なぜ矛盾が生じるのか、となると私の頭ではさっぱりなのである。
だいたい、私の弱い頭では、
高度に発達した思索は狂人の妄想と見分けがつかない。
ってなことになってしまうのであった。
意味の変容 (ちくま文庫)
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タグ:私小説
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2011年03月02日

ノートル=ダム・ド・パリ ヴィクトル・ユゴー

カジモドの名前は知っていても小説の内容を知らなかったのでいったいどんな話なのかと思いきや、ノートル=ダム大聖堂を舞台とした物語であることは確かなのだが小説のここかしこに著者のノートル=ダム大聖堂に対する並々ならぬ興味があふれ出ていて、この物語に重みを加えている。
まあ、司馬遼太郎の余談みたいなもの、といってしまえばそれまでなんだけど、芸術と建築の関係、15世紀のパリを鳥瞰してみたり、ノートル=ダムを初めとした建築物の説明など、舞台となる場所の説明に余念がない。これは飛ばして読んでも物語はわかるけれども、時間があれば一読しておいたほうが雰囲気を味わえてよい。
それはさておき、まだ人権とか平等とかいう概念が声高に叫ばれていない時代の恐ろしくも悲しい恋の物語である。ジプシー娘エスメラルダに恋するカジモドとクロード・フロロ神父。しかしエスメラルダは別の姿の良い軍人に恋をしている。醜いカジモドの純粋な愛、フロロ神父の呪われた情欲、そしてエスメラルダの愚かな恋は彼ら自身を破滅の淵へとさそってゆく。その様子が劇的構成をもって展開されるのだ。
フロロとエスメラルダの恋は傍目から見るとおぞましかったり、愚か過ぎたりするのだろうけど、恋とは綺麗なものばかりではない、その恐ろしい面をユゴーはあますところなく描写した。
一方、醜いカジモドの恋は読むものの悲哀を誘う。彼はその姿を疎まれたゆえに、性格まで意地悪になっているが、それだけに、エスメラルダの親切が彼の心に大きな光を与えたことは疑いないところだ。

それにしても、この物語は救いようのない結末ともいえなくもないな。そういえばディズニーの映画は見たことないけど、アニメだけにこの結末じゃないんだろうな。子供向けにはちょいきついお話だからなあ。

私が読んだのは昭和時代に出版された古い文庫本でamazonの古書にもなかった。同じ出版社から同じ翻訳者の本が出ているから、それを紹介しておきます。
ノートル=ダム・ド・パリ (ヴィクトル・ユゴー文学館)
ノートル=ダム・ド・パリ (ヴィクトル・ユゴー文学館)ヴィクトル ユゴー Victor Hugo

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