2011年02月27日

堕落論 坂口安吾

再読である。最初に読んだのは学生時代。タイトルに惹かれてろくに著者のことなど知らずに買って読んだ。そして堕落論とは面子などにこだわるな、人生裏街道をみよ、なんていうような学生時代の制度へ反抗したいお年頃に都合のよい解釈をしてしまって、今回読み返してまったくお恥ずかしい限りです。
それに、よくよく読めば、これら一連の評論、学生時代にはほとんど理解できてなかったのでは?、ということも判明して恥の上塗り。だったらブログに書かずに隠しておけばいいものを、もう随分昔のことだから、半ば恥を晒すことを面白がってもいるわけであります。

戦時の偉大な破壊と敗戦後の堕落。日本の武士道も負けてしまい、戦前の拠り所となる考え方を失ってしまったわけだが、著者はそれを戦争のせいではなく、人間だから堕ちるのだ、とした。どんなに立派な人間でも観念を生ききることができず、そこから堕落する。その堕落を坂口安吾は是とするのである。
それは主義主張、制度の下で立派に生きるということは自らを虚飾していることに他ならない。安吾はその虚飾を嫌ったので、堕ちよと説くのだ。
この虚飾を嫌う態度は「青春論」においての宮本武蔵の話だとか、「デカダン文学論」での道徳や真面目さがニセモノに繋がるという話など、他の随筆にもあらわれていて興味深い。
制度や教条が虚飾に繋がるという考えを学生時代の私は理解できていなかったので、いまひとつわからなかったんだな(汗
ほんとにあのころわたしはアホでした。今でもそうだけど。
堕落論 (角川文庫)
堕落論 (角川文庫)坂口 安吾

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タグ:評論
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2011年02月25日

タイタンの妖女 カート・ヴォネガット・ジュニア

世界一の金持ちのもとに生まれたマラカイ・コンスタントが破産して波乱万丈の人生を送ることになるが、時間等曲率漏斗(クロノ・シンクラスティック・インファンディブラム)に巻き込まれたウインストン・ナイルス・ラムファードがそれを予言するばかりが、後にそのことにも関わっていることが明らかになってくる。
なんとも不条理なコンスタントの人生の様子と、ラムファードの君臨振りを読んでいくうちに、これが、現実社会で社会的に不利な立場へ追い込まれ、結果利用されざるをえなくなる人々とオーバーラップしてくる。そのあたりのことを寓話として読んでもいいのだろう。
ただ、訳者の解説によれば、この小説、滑稽小説であると書いてあって、私は軽くのけぞった。
いや、別に深刻で真面目な小説とは言わんが、滑稽とも思わなかったからだ。
この小説が書かれた時代のアメリカでは笑いを誘う部分があるのかなあ。私はそのアメリカの様子を知らないのでこれを滑稽だとは思わなかったのかもしれん。
いや、だがもしかするとこれが笑い話にならないような事態になってるのかもしれないと思ったらちょっと鳥肌。たとえば後半、無関心の神の話などとてもでっちあげとは思えないんだよね。もちろん表立って自己犠牲やハンデを背負うようなことはあり得ないんだけど、お互い優位に立たないようなそんなあり方が日本社会になんだか似ていて不気味に感じたのだけど。
タイタンの妖女 (ハヤカワ文庫SF)
タイタンの妖女 (ハヤカワ文庫SF)カート・ヴォネガット・ジュニア 和田 誠

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タグ:SF
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2011年02月22日

砂の本 ホルヘ・ルイス・ボルヘス

ありふれて馴染んだ出来事が、不可知の世界に変わる。
人の想像力の方向はいろいろあるけれども、ボルヘスのこの本ではそれは抽象性と結びつき、泥臭さとは無縁の雰囲気をかもし出している。
暗殺や死、人間関係のごたごたなどはあるのだけれどもそれが地獄的に恐ろしげではなく、どこか達観したような静謐さに満ち溢れているので、こちらもおのずと静謐な気持ちになって読みすすめていった。
ドッペルゲンガーを主題とした『他者』は、自分の分身と出会うこと、それを恐ろしげな出来事とはせず、過去の自分への哀愁、未来の自分へのいぶかしさ、そういった感情で綴られており、非常に心打たれた。そう、私も青春から程遠い年齢になってきたが、過去の自分と出会ったならば、それは忘れえずにはいられないだろうし、若い頃は年をとった自分の様子など想像もできないことだ。
他に印象深かった作品は、表題の『砂の本』。
無限とは憧れでもあり恐怖でもある。こんな本があったらやっぱりおっかなくなってくるだろうなあ。

砂の本 (ラテンアメリカの文学) (集英社文庫)
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私が読んだのは古い本。
砂の本 (1980年) (現代の世界文学)
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タグ:幻想
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2011年02月19日

夜のみだらな鳥 ホセ・ドノソ

シスターベニータ、こんなにわずかな仮面しか作らなかったけちくさい神を、あなたが信じつづけていられるのが不思議だ。おれたち大勢の人間が、あちこちから屑ものを拾ってきて仮装し、それでやっと自分も何者かであるという自信をえているのに…

うむうむ、これはなかなか凄い。想像力の逸脱ともいえる大洪水の中で奇妙なほど筋道だった考えが見え隠れする。それは交換可能な個性。老婆は次々と入れ替わるが、修道院の中で行なわれていることは脈々と続けられてゆく。語り手がどんどんと姿を変えてゆく様子。身体が個性である畸形たち。
この小説を読んでいると、アイディンティティなんて吹けば飛ぶよなものでしかないのではないかという不安が立ち上ってくる。
しかし、そんな不安と裏腹に、この豊穣な世界はなんといったらよいのだろう。解説ではシュールレアリズムとか、精神錯乱的で詩的とか、いろいろな言葉が並んでいたが、この豊穣な世界はわれわれがそれとは知らず認識するもう一つの世界ではないだろうか?
ブルジョワジーとして現れるドン・ヘロニモはリンコナーダで、イネス夫人は修道院で、彼らもやがて自分という名の仮面をを剥奪されてゆく。
客観的に見れば、これは語り手ウンベルトの恐るべき妄想と錯乱の世界なのかもしれないが、これが読むものにとって異世界なのであると、いいきることができるだろうか?果たして?

それにしても、この小説も2011年2月現在、品切れ中である。
確かに簡単に読めない類の内容かもしれないが、イメージの豊穣さにひきつけられる文章である。復刊してもらえるといいのだけど。
夜のみだらな鳥 (ラテンアメリカの文学 (11))
夜のみだらな鳥 (ラテンアメリカの文学 (11))ドノソ 鼓 直

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タグ:異彩
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2011年02月15日

Windows Vista Cドライブ拡張してみた

うちのPCはVistaで購入してから3年半ほどになる。
VistaはどういうわけかOSの入ってるドライブの容量を激しく食うことが話題になっていて、うちのもご他聞にもれず、どんどん容量が減っていってびっくりしたことがあった。
一つには復元ポイントをどんどん作るので容量が減るということだから、ディスククリーンアップで古い復元ポイントを消すか、作成されるのを停止すればいいのだけど、それでもじわじわとドライブの容量は減ってゆくのが気にかかっていた。
調べてみると、購入当時は添付書類の数字に従うなら27.5GBだったのが、3年半で37GBまで増えていたのである。
これは更新プログラムなどを入れてるから仕方ないんだろうけど、Cドライブは46.5GBしかないんだよ?この調子だとあと3年でドライブが満杯になってしまう。
そこで、Cドライブ拡張を考えざるをえなくなった。
幸いDドライブにはかなり余裕がある。そこから54GBほどもらって100GBにしてみたい。

そういうことでネットを検索すると、Vistaはドライブのパーテーションを変更できる仕組みがついているらしい。
MT Systems:Windows Vista システム領域(Cドライブ)の拡張(パーティションの仕切り直し)
しかし読んでみると、Dドライブを一度削除しなくてはならないようなので、悩む。
で、この記事のコメント欄を見るとなんだかよさげなツールの名前が出てきた。
「EASEUS Partition Master」という。これだとDドライブのデータはそのままで変更できるらしいので、もう一度検索をかけてみて、調べてみたあとに、このツールをダウンロードしてチャレンジしてみることにした。

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タグ:PC
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2011年02月13日

忍者黒白草紙 山田風太郎

鳥居甲斐守実行する廓清の影で手足となって働く伊賀者箒天四郎。その仕事は表立って出来ないことばかりがゆえに、難題が続く。一方、天四郎の友人である塵ノ辻空也は甲斐守の考えが気に入らないので、敵となることを宣言。天四郎の仕事に横槍をいれるのであった。
水野越前守の天保の改革は如何に?

一応忍法帖のくくりになっているのだが、忍法帖として読むならば、これははっきりいって物足りないし、あまり面白いとも思えない。
あの、戦国時代から徳川黎明期にかけての時代が書かれた忍法帖のきらびやかさはなく、まあ、つまり忍者が落ちぶれて、一介の下士になった時代だからこれは仕方ないことなのかもしれない。
ところが、これが視点を変えて、処罰の鬼鳥居甲斐守の恐るべき妖人ぶりに目をつけるとちょっとした伝奇的小説になって結構面白いのである。
甲斐守の陰謀は実に凝っている。その凝った陰謀の片棒を担ぐ箒天四郎。
権力者の狂気が噴出したような甲斐守の仕事ぶりがなんとも凄い。

この本、角川文庫で昭和時代に出版されたのが最後で、なかなか手に入りづらくなっている。
まあ、忍法帖というより、明治ものへの橋渡しとして幕末あたりの歴史ものがいくつかあったよね。どっちつかずであまり注目されてない分野だけど、この分野に近いのではないかと思う。で、この分野の小説、地味だけどなかなか味わい深いものがあるんだよね。「魔軍の通過」にしろ、「修羅維新牢」にしろ。
文春ネスコなんかは、飛騨忍法帖を出してるようだが、あれより私はこちらのほうがずっと面白いと思う。あ、飛騨も幕末だったな、そういえば。
忍者黒白草紙 (1981年) (角川文庫)
忍者黒白草紙 (1981年) (角川文庫)山田 風太郎

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タグ:忍法帖
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2011年02月11日

美しいアナベル・リイ 大江健三郎

公子に踏みつけにされた男が武力蜂起を起こすクライストの小説『ミヒャエル・コールハースの運命』を世界各国で映画にしようという「M計画」が30年前にあり、主人公の私は木守にシナリオを頼まれたことがあった。出演するのはサクラという国際的女優。主人公はかつてある少女の映画を故郷で見たことがあったが、彼女とポーの詩に出てくるアナベル・リイがオーバーラップした。その少女がサクラさんなのである。
表に出てきているのは少女をとりまく性の文学性と犯罪性についてであるし、「M計画」がメイスケさんの一揆と繋ぎ合わせられて、虐げられた民衆の蜂起について映画を作るという設定の基に語られている。
特に性の問題はポーの詩にあるとおり非常に官能的であるが、背後にあるのは詩を語る少年にたくした男性たちの性愛のことである。
その性愛の問題はメイスケさん一揆に出てくる、メイスケ母の無残な姿にまで重ね合わせられるのである。
この作品を読み終わり、人生とはなんて無残なものであろうかと思った。
踏みつけられる民衆然り、サクラさん然り、メイスケ母然り。
私はずっと前に大江健三郎の別の小説を読んで、どうもセンチメンタルなところがあるんだという感想を書いたのだけど、こういう小説の中に出てくるなんともすくいようのない体験をしてしまった人たちに救いがあるとするならば、やはり多少センチメンタルになるのは仕方がないではないか、と思わずにいられなくなった。
世の中には木守がサクラさんにやったようなことをして平然としている人間がいる。木守はきちんと贖罪をしたけれども、「オレが真実をみせるから、お前はそれを乗り越えないといかん」的なこと、人には強要しちゃいかんよ。
美しいアナベル・リイ (新潮文庫)
美しいアナベル・リイ (新潮文庫)大江 健三郎

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タグ:文学
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2011年02月08日

思いかげずダイエットになったでござるの巻

歯周病になる2ヶ月くらい前からレコードダイエットと称して、朝の体重とその日食べたものを記録し始めた。
ところがあんまり減らない。記録していれば食べすぎかどうかおのずからわかってくるとかそんな話を聞くんだが、自分に限ってはまったく無自覚であった。
そんな折だ、歯周病になったのは。
ネットで調べると甘いものは歯にも歯茎にもよくないらしいので、ここでおやつと言うおやつを食べないことにしたのだった。
これ、天の配剤であろうか。
ま、そんなことはよろし。要は病気にでもならんと甘いもの断ちができなかった自分のふがいなさよ。
そんなわけで甘いものを食べなくなってから、みるみると体重が減りだした。
これがグラフだ。
体重グラフ
こうしてグラフをよくみると、なだらかな変化のあとに体重変化が激しい時期がやってくる。激しく上下する時期に体重が減る準備がなされているといってよい。それが過ぎると前回より下がったところでのなだらかな変化があって、また変動の激しい時期がくる。

この変動の激しい時期だが、一度がくんと落ちる前に体重が上昇することがしばしば起こる。
いままでこの水準で変化してたのが、いきなり前の時期の水準にもどるみたいな感じの。
だからこのリバウンドでダイエット失敗と決め付けてはいけない。
もっとも、そのまま上昇したらなにかが悪いんだけど。

こうして資料がそろったところで歯周病になる前となった後の食べ物を比べてみると、明らかにおやつ食べすぎだし、ごはんも今より多く食べてるんだな。
今は昔よりごはんが少なくてもちっとも少ないと感じない。
食欲って意外に主観的なものだから、小食になれればそれほど苦にならないものだ。
短期間ダイエットの方法は知らないが、長い期間をかければダイエットはそれほど苦痛ではない。
要は、自分が何を食べ過ぎているのかそれを知ることができればいいと思うな。
タグ:ダイエット
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2011年02月06日

夜の果ての旅(上)(下) セリーヌ

これはかなり読み応えがあった。
主人公フェルディナンが自らの放浪と人生を語ってゆく小説なのだが、その文体が破天荒というか、露悪的というかスラング多用というか、呪詛と罵倒に満ちているのである。
その文体で、戦争を語り、植民地を語り、アメリカを語り、民衆を語る、って書くとなんだかとんでもない政治小説に見えてしまうが、政治どころか本文中ではアナーキストとまでいわれているから、その破天荒さがわかろうというものだ。
ところで、なぜ彼はこんな文体で書いたのだろう?
私の拙い想像を許して欲しいが、この小説の内容は世の中のしくみに対する告発が見え隠れしている。
この本の解説ではそのことを反戦とか搾取とか非人間性などといっていたが、実はこういうものを普通の文章で書くとなると、どうにも偽善の匂いがしてきてしまうような気がするのである。自分はえらそうに正義漢、でなければ被害者面、まあ、こんなひどいことをいうのは、今この本を読み終わったせいかもしれんが。
セリーヌは主人公も徹底的に貶めて書いてるし、他の人間についてもそうだ。ただ、打算を伴わない奉仕や愛を見かけたとき、彼の毒舌はおとなしくなる。それは姪っ子を養うためにジャングル勤務をしている男であり、打算なしでフェルディナンを愛してくれた娼婦である。

うまく感想を述べられないのだけど、この話にはロバンソンという男が出てくる。何気なく登場して、だんだんフェルディナンと深く関わるようになってくるのだが、この男、出会うたびにだんだんダメ人間になってゆくところが興味深い。
よく、旅の途中で師匠に出会って、成長してゆくような小説があったりするが、このロバンソンを見ていると、それの逆パターンのような気がして興味深い。

夜の果てへの旅〈上〉 (中公文庫)
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夜の果てへの旅〈下〉 (中公文庫)
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タグ:人生
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2011年02月02日

山田風太郎 育児日記

山田風太郎が日記に子どもたちのことを記した部分をのちに1冊の日記帳にまとめて、嫁ぐお嬢さんへ渡したという本である。
プライベートなことなので、もしかしたらファンでないと興味が持てないかもしれないが、少なくとも、人に読んでもらうためにまとめた日記なので、プライベートな中にも山風一流の人間観察と筆致が単なる育児日記に終わっていないという印象を私は受けた。
たとえば、この文章などは随分と美しいな、なんて思った。1959年2月1日の最後の数行。
午後、知樹をつれて野を散歩。うす蒼い空に高く飛行機雲が残っている。知樹トコトコと転ばずついてくるが、犬が吼えるとそっちにゆき、カラスが空を飛ぶといつまでも上を見、棒があるとこれを拾ってふりまわし、気がちることおびただしい。枯野曠茫。

のんびり散歩する山風と、知樹さんの腕白ぶり、そして冬の光景が目に浮かんでくるようである。
そして、山風と佳織さんのマセた珍妙な会話や、あとがきでお嬢さんの佳織さんも書いていたが、いたずらを見つかったときの知樹さんの顔に「悪の愉しみ」と「悪の悲しみ」を見る場面など、子どもの中に人間の心理を見出す様子が印象深い。

しかし、赤ん坊の顔をみて、「木々高太郎みたいに」っていうのが出てくるので、一体木々さんってどんな顔をしているのかと検索してしまった。
こんな方です。赤ん坊みたいでしょうかね?
http://azalea-4.blog.so-net.ne.jp/2007-11-23
山田風太郎育児日記
山田風太郎育児日記山田 風太郎

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タグ:日記
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2011年02月01日

アシジの貧者 ニコス・カザンツァキ

聖人というイメージはキリスト教徒ではない私にはあまりよくわからないのだが、この作品の聖フランチェスコは紛れもなく狂気との境界にいるような人物だ。
作者はこの作品を書くにあたって、「不安をかもし出し、おそろしいと感じられる書物を私はかいている、(中略)聖フランチェスコの生涯を書いたのは、われわれの世界にとって聖者でもある英雄が必要だからだ」ということを述べていたが、作中のフランチェスコにしばしば自分の事を「神の道化」と言わせている。
そう、フランチェスコは神の声を聞いて回心し、人間の作り出した豊かさを捨て、人間の考え出す知識をすて、神のみわざを讃える愛を説いたのであった。
作中、フランチェスコの周りに現れる人々は世の中のわれわれではなかろうか?そこには嘲るもの、心酔するもの、利用するもの、さまざまな人物が登場する。しかし、なんといっても一番われわれに近いのは弟子エリアではなかろうか?彼は恐ろしく合理主義な人間である。弟子入りしたものの、やがて彼は独自に富を蓄え知識を蓄え、神のみ名を知らしめる方法として戦いを賞賛する。そして、清貧、素朴、愛を尊ぶフランチェスコはエリアによって締め出されてしまう。このことが物語で少しづつ語られてゆくが、その有様は、なんとなく現代社会のわれわれの暮らし方に似ている。作者はそのことを意識して描写したのだろうか?
そして、この作品の語り手で、ずっとフランチェスコにつき従っていたレオーネ、彼もまた至高なるものを求めるが、俗な世界から離れることに苦しむわれわれの象徴かもしれない。
妙なことに、フランチェスコとレオーネが一緒にいて話をする場面はなんとなくドンキホーテとサンチョパンサを連想させる。狂人的な崇高の人と、そんな彼に本気で付き従うものの、どうにも俗っ気が抜けない人と。
この混迷し争いが絶えない世界、その原因をわれわれの合理主義が一端をになっているとするならば、フランチェスコはまさにそれを退ける英雄なのであろう。
アシジの貧者
アシジの貧者ニコス カザンツァキ Nikos Kazantzaki

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タグ:聖者
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