2010年11月30日

イスラーム文化 井筒俊彦

欧米とイスラームの対立がなかなか収まらない。見かけは宗教対立のように見えるけれども考えてみると私はイスラームのことを欧米よりはよく知らないのである。
この本は9.11以前に購入していたのだが、ずっと積読状態であった。そしてこの本があることすら忘れていた。今回たまたま本棚を整理していてこの本を見つけた。
読み始めて、私がイスラームについて思っていた以上に無知であったことに改めて気づかされる。
例えば、イスラームといえば砂漠というイメージがあるが、イスラム教そのものは砂漠の民ベドウィンの血族主義とは真っ向から対決する思想である。神の前に人間は平等であって、親も子も信仰が違えばもう兄弟ではないというものである。またスンニ派とシーア派、名前だけは聞いたことがあっても、これがまるっきり対立する考え方であり、イラン・イラク戦争の対立がここから来ていたのか、ということも腑に落ちた。その他もろもろいろいろ教えられることばかりであって、世の中にはいろんな考えがある、と改めて思い起こさせるものであった。

これは著者が講演を行なったときのものを改めて本に書き起こしたものであるが、その時期はイラン革命直後の1981年のことである。「はじめに」のところで、著者は国際社会のイスラームの影響力を指摘した上で、日本がこの文化に無関心であることに疑問を投げかけて今までとは違う真剣さで考えてゆかなければならないという。このことは当時よりもさらに切迫した状況になってきていると思うのだが、果たして現在の世界情勢を見るに、お互いがお互いを理解しようと思うどころか偏見に満ちた敵意が増大していくばかりのように見える。
井筒先生がこの講演を行なった時代から日本はイスラームに対してどう変わっただろうか?と考えるときになんとも心もとない感じがするんだけど、どうなのだろう。私が知らないだけならいいのだが。
イスラーム文化−その根柢にあるもの (岩波文庫)
イスラーム文化−その根柢にあるもの (岩波文庫)井筒 俊彦

岩波書店 1991-06-17
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ラベル:異文化
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2010年11月28日

さようなら、私の本よ! 大江健三郎

大怪我で入院した古義人のもとに幼馴染の老人が尋ねてきた。彼との間にはいろんな事情がからんで絶交していた時期もある。海外に住んでいたその老人シゲが日本における本拠地として古義人の別荘の地所を買い取るのだが、古義人が退院後の養生にその別荘へ行くのへ、世話人として隣同士で住むということを言う。
それは古義人の家族がシゲに依頼したことでもあった。
そのようなことで、シゲのつれて来た彼の教え子ウラジーミルと清清と共に北軽井沢の生活が始まった。しかし、彼らはある目論見があってやってきたのである。それは世界を改革するための目論見であり、シゲは建築家としての技能を壊す技術開発へと熱中するのであった

実はこの小説の感想が難しい。テロに使える小さな暴力装置を開発するシゲや再び小説を書くために、ということで巻き込まれながらもそれに関わっていく古義人、そして脇に出てくる若者たちのことを、例えば、ウラジーミルと清清の属する国に象徴されるような外国の圧迫と読むかもしれないし、武、タケチャンに象徴されるような今の若者の行いと読む人もでてくるだろう。
シゲが作ろうとする暴力装置とは一体何か?巨大な暴力装置、つまり国家のもつ核兵器に個人が対抗するための小さな装置である。
ここで、この小さな装置を個人の抵抗の象徴と考え、個人が核兵器を拒むこと、というメッセージがある、なんて書いたらさぞかし楽だろうなあ、と考えたのだが、この小説全体を読めばそんな甘いことではないということは丸わかりであり、テロ装置はあくまでテロ装置なのだ。
ここで私の小市民的良識は揺さぶられる。テロは嫌だが、テロを望む自分の中の誰かがいないだろうか?と。
そしてそれが古義人の中にいるおかしなやつと似たようなものなのであろう。
そういう意味でとても面白いがなんともいえぬ不快さももたらす。
救いなのは、その不快さが生理的嫌悪ではなくてあくまで常識に対抗する私の中の小さな装置に他ならないということが理解されていることである。
さようなら、私の本よ!
さようなら、私の本よ!大江 健三郎

講談社 2005-09-30
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さようなら、私の本よ! (講談社文庫)
さようなら、私の本よ! (講談社文庫)大江 健三郎

講談社 2009-02-13
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ラベル:文学
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2010年11月26日

孔子、論語物語2冊

この頃中国思想などに興味が出てきたのでそれとなく入門書みたいな本を読み始めている。今回は下村湖人『論語物語』と和辻哲郎『孔子』の2冊。

『論語物語』
「論語」に書かれているものから著者が想像を膨らませて連作短篇に仕上げたいわば「小説論語」みたいなもの。孔子と弟子たちの交流が生き生きと描かれて面白かった。なにせ、孔子先生ってばものすごい洞察力で、まるで精神感応能力(テレパス)でもあるんじゃないかと思ったくらい弟子の心の内を察してそれに見合った言葉を投げかけるんです。
思うに、師と崇められるほどになるには言葉そのものの力も必要なのだが、状態に応じてその場に一番的を射ているような言葉を使うことができることが重要なんじゃないだろうか、などと思った。そんなところばかり読んでいたので、肝心の論語のエッセンスはほとんど覚えてない。
こんなことでは著者ががっかりしそうだが、何、論語に興味が出てきたということで許してもらおう。
あ、ところでこんな記事を見かけたんだが、
漢文関連本の出版相次ぐ(2010年11月22日 読売新聞)
この中で加藤教授が「団塊世代を中心に、漢文を学び直したいという人が増えています。若者にお説教するにも『論語』の一説で理論武装できます」などといっているのだけど、理論武装のために学ぶなんて孔子先生も嘆くことだろうて。若者諸君も武装しよう。例えば
「子いわく、後生畏るべし。いずくんぞ来者の今に如かざるを知らんや。四十五十にして聞こゆるなくんば、これまた畏るるに足らざるのみと。(年少者と言う者はばかにできないものだ。ぐずぐずしているとすぐに追いついてくるので。だが、四十、五十になっても徳をもって世に聞こえないようでは、もうその人の将来は知れたものだ)」

なんてね。
ああ、酷いな私も。優しい若者諸君はおそらく気の毒がって言わないだろうな。
論語物語 (講談社学術文庫 493)
論語物語 (講談社学術文庫 493)下村 湖人

講談社 1981-04-08
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『孔子』
かつて四聖といわれたソクラテス、キリスト、釈迦、そして孔子。著者は前者3人についての考察と孔子を比較して人類の教師たる人物たちの共通点を挙げたあとに、「論語」の構造を読み解き、その特徴をやはり前者3人についての教典と比較する。
「論語」についての考察は私には比較する内容が頭に入ってないので感想といっても特に思い浮かばないのだが、キリストの十字架にかけられるくだりのところがちょっと目を引いた。その時代、「イエス・バラバ」の民間信仰というものがあって、それは父の子を犠牲にする祭りだということらしい。それがキリスト磔刑の様子とよく似ていた。では崇拝されるキリストとは何者か、というところで著者はパレスチナにおけるヨシュア信仰がイエス信仰だとしているという部分。ちょうどユングの『変容の象徴』でキリストの十字架について、無意識内の死と再生の象徴であることを読んでいたので、キリスト磔刑が事実から神話になったのではなくて、自然発生的な儀式と混交された可能性があるんだな、と改めて無意識が生み出す出来事の不思議さに目を見張った次第。なんだかどうでもいいところばかり読んでるな。
孔子 (岩波文庫)
孔子 (岩波文庫)和辻 哲郎

岩波書店 1988-12
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ラベル:思想
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2010年11月24日

変容の象徴 C.G.ユング

ミラーという若いアメリカ人女性が書いた二篇の詩とある夢について、ユングが伝説や神話に類似しているモチーフを指摘しながら、意識と無意識について述べた書。副題に「精神分裂病の前駆症状」とあるのは、この女性がユングの知り合いの医者の患者であり、統合失調症を発症したことから受けている。
本書には無意識の特徴一つを述べるに膨大な伝説や神話を引用しており、これを頭に収めようというのはなかなか骨の折れる作業である。従って何回も読んでその意味するところを少しづつ理解してくのが望ましいのであろう。
ユングが患者の夢想について適格な事例を持ち出して解釈していく様子というのはまさに神業だなと思う。何度も読んだとして象徴を見分けていくコツをつかむのは結構大変なことなのではなかろうか?記号的にはおおよその形をつかむことはできても、実際に応用するとなるとその意味をつかむことは並大抵ではないと思う。
例えば、ミラーの夢に出てきたアステカ人の英雄が最後に死ぬところの解釈をユングは「自我が危険にさらされている」と見抜くのだが、このあたりの機微は説明されればなるほどと思う半面、でも死ぬことは意識に統合される前段階だから悪い事ではないのでは?とも思ってしまう。そのあたりは前後の文脈なんだろうな。
どこで見かけたんだろうか忘れてしまったが、ユングのことを「歩く精神病院」と評したのがあったが、まさにこの本はそんなユング像を見せてくれるものだった。
でも、なにより、フロイトもそうなのだが、偉いと思うのは、患者の想起するものを意味のないものとしてしまわずに、それに取り組んだことである。一般に妄想や不安はある程度知識がないと、自分だけがこんなにおかしなことを考えてしまうと悩んで孤立してしまいがちだ。彼らはそこには万人に共通のものがあるのだという態度で患者に接してきた、そのことに私は感銘を受けるのであった。
変容の象徴―精神分裂病の前駆症状
変容の象徴―精神分裂病の前駆症状C.G.ユング 野村 美紀子

筑摩書房 1985-02
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ラベル:心理
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2010年11月20日

新田義貞(上)(下) 新田次郎

あまり太平記の話を知らないのではあるが、新田義貞というとなんとなく地味な感じで目立たないという印象がある。なんでも戦後は戦の下手な武将と思われるようになったとか。そんな新田義貞の名誉回復というわけでもないのだろうが、著者は自分のペンネームが似ているこの武将になんとなく愛着を感じて、書き始めたのだという。その内容は、立派な智将で、愚直なまでに誠実というまるでどこぞのテレビゲームのような勇者として描かれているのであった。とはいっても、それが不自然とかそういう感じは全然もたなかった。彼の一家は足利家と同じく源氏の嫡流を自認していたのだが、幕府が足利家を嫡流を認めていたために、逼塞していて、いつかはその名を奪い返すことが悲願だったのである。その自意識をして彼を勇者のごとき真っ直ぐな人間像に仕立て上げたのだという解釈ができるからだ。
まあ、それはそうと、私、新田次郎はこれで3作目だが、今までかならず虎の威を借りる狐のようなお偉方に足を引っ張られるという場面が出てきて、それが妙にツボに嵌って、そういう部分を憤慨しながらもすごく楽しんで読んでいた。そして今回、やっぱりありました。しかも大規模です。
後醍醐天皇をとりまく公卿どものいやらしさがてんこもりw
ことあるごとに、楠正成や新田義貞の足を引っ張って、窮地に陥ったこと数え切れず。もう、お前たちはどうしてそう根性がひねくれているんだ、と憤慨しながら楽しく読んでしまった。
そんななか、わたしの今回のお気に入りのセリフは
坊門宰相清忠のこの言葉。
「なるほど、保元、平治の乱には、愚かな公卿が武士の合戦に口を出したがために負けたという実例があった。そちはそのことを言おうとしているのであろうが、余は愚かな公卿ではない…(以下略)…」
もう、どこのアホかと。おまけに、この清忠、敵が味方より多いのをみただけで逃げ出してしまうんだよねえ。仕方のない奴だ。
新田義貞 (上巻) (新潮文庫)
新田義貞 (上巻) (新潮文庫)新田 次郎

新潮社 1981-11
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新田義貞 (下巻) (新潮文庫)
新田義貞 (下巻) (新潮文庫)新田 次郎

新潮社 1981-11
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ラベル:歴史小説
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2010年11月17日

淮南子の思想―老荘的世界 金谷治

この間『老子・荘子』を読んだときに、「淮南子」という言葉が出てきて、それが老荘思想を受け継いだ書物だという。その名を冠したタイトルの本を見かけたので、老荘ついでに読んでみようと思ったのだが、これもまた面白かった。
「淮南子」とは漢の時代の小国を治めていた「淮南王」が食客とともに編纂した書でありとあらゆる思想が盛り込まれた書物なのだが、その基調には老荘思想がある、というものなのだそうである。その「淮南王」の劉安のことがまず最初に伝記風に述べられているのだが、これが実に文学的。劉安はもともと漢の高祖の孫である。父が漢によって追放されて死亡。その後、淮南の地は3つに分けられ、その一つを安が治めることになるのだが、彼の元には漢の儒教重視の政策にあぶれた知識人が集まり、漢とは一線を劃した思想や政治を行なっていた。しかし、やがて彼が謀反を起こそうとしていると漢に罪を問われ、自害して果ててしまうのである。もともと淮南の地は漢とは別文化の地であった。さらに儒家による中央集権を目ざす漢からはみ出したほかの思想を奉ずる知識人たちが集まって作られたこの書物は、いわば漢に対する「抵抗の文学」だと著者はいうのである。とはいっても儒家への反発ではなくて、1つの思想だけを重用することに対して、この書物は1つの考えだけに束縛されるものではない、という意味での反抗。この部分もとても文学的。
内容はそれこそいろんな考えがあって一口にはいえないが、形而上の道と形而下の事を初めとして、対立する思想をうまく統一しようと試みる姿勢があるようだ。これもまた魅力的である。
思想を含めて、これ小説にしたらすごく面白いんじゃないかと思うが、資料が少ないようだし、淮南子自体も難解のようであるからなあ。誰かチャレンジャーはおらんかのう。
淮南子自体もまたそのうち読んでみたい。
淮南子の思想 老荘的世界 (講談社学術文庫)
淮南子の思想 老荘的世界 (講談社学術文庫)金谷 治

講談社 1992-02-05
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ラベル:中国思想
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2010年11月15日

黄金の華の秘密 ユング/ヴィルヘルム共著

ユングが一人でマンダラ体験について考察していたときに、ヴィルヘルムが送ってきたという『太乙金華宗旨』。本書はユングやヴィルヘルムの解説とともに、ドイツ語版の重訳ではない、原書からの訓読文と日本語訳(ドイツ語版を生かしているが)が収録されている。
『太乙金華宗旨』そのものについてはよくある宗教関係の本であって、随分もったいぶって書いてる部分もあり、新興宗教の経典みたいだなあとは思うんだが、瞑想によって、光を回転させて、気を練り、聖なる胎児を宿す、その意味が道の完成にあるという点、一読して、そこにユングが体験したことと似たものが展開されていたときの驚きといったらなかっただろうなあと想像してしまう。実際、この本にあるユングの一連の文章を読んでると彼の高揚した気分がなんとなく伝わってくるのである。
私も、これほど劇的ではないにしろ、個人的な体験だと思っていたものが、あとで同じようなことが書かれた本に出会って驚いたことがあるので、なんとなく共感してしまうのだ。人間というものはどんなに個人的で風変わりだと自分で思っていても案外それほど違いはないのかもしれないと感じる。
解説によれば、ユングはこの本を読んだことによって、西洋の錬金術研究へ向かってゆくらしい。錬金術についてはユングを通しての理解であるから、よくは知らないけれども、内的世界での黄金の華とと、卑金属から黄金と作り出す錬金術、同じ最高のものを作り出すという点では共通している。しかし東洋では人間の内界において、西洋では外界においてその試みをなそうとした違いは大きい。なぜこのような違いが生まれたのか、単純に考えれば、アジアのほとんどの地域は緑豊かで外界とあまり戦う必要がなく、砂漠で生まれた一神教の地域では過酷な自然環境のために、それをコントロールしなければ生きてゆけない事情があったともいえる。緑豊かなところでは足るを知るみたいなことをいってられても、砂漠ではそれでは死んでしまうからな。
黄金の華の秘密
黄金の華の秘密C.G. ユング リヒアルト ヴィルヘルム 湯浅 泰雄

人文書院 2004-03
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ラベル:心理
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2010年11月13日

老子・荘子 森三樹三郎

中国人というのは現実主義で政治的関心が強いという。儒教を初めとした一連の思想は政治的な事柄についての事柄を述べたものばかりらしいのだが、そんな中にあって、老荘思想はあまり政治的な事柄ではないほう、もっといえば哲学とか宗教に近い思想なのだそうだ。まあ、確かに老子とかいうとどことなく神秘的な香りがしてくるんだが、老子というのは政治的関心から無為自然の思想へと発展していったそうで、そこから無の哲学が発展していったそうな。荘子にいたっては有も無もすべて包み込む無限という考えにまで広がっている。そこから荘子の、生も死も等しく、運命を受け入れることが肝要なのだという人生哲学のような思想が生まれてくる。
この本はこうした老荘思想についての解釈と説明について書いているのだが、他に歴史的背景が説明されていてこれが滅法面白い。
なにせ、神秘的でオカルトっぽく思える老子、実は民間信仰にあった神仙術などと結びついて、道教の経典になってしまうのである。私なんかは老子のテキストから道教が生まれたのだと思っていたのだが、そうではなくて、仏教と競うための箔づけとして民間信仰である道教側で老子を利用したのだとか。
さらに、その仏教と老荘思想の関係なんだが、もともと理屈が嫌いで現実主義の中国人がどのようにして仏教を解釈したのかというと老荘思想を介してなのだそうだ。さらに、仏教は禅と浄土教という2つの宗派しか中国には残らなくなるが、これが老荘思想とどう関連あるのか語られ、それはさらに日本の禅と浄土真宗の話へと発展してゆく。
こうして、日本においては老荘思想そのものに儒教と比べると影響を受けていないのだが、仏教を介して老荘思想の影響を受けている、という点、非常に興味深く読んだ。
老子・荘子 (講談社学術文庫)
老子・荘子 (講談社学術文庫)森 三樹三郎

講談社 1994-12-05
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ラベル:思想
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2010年11月10日

変身物語(上)(下) オウィディウス

ギリシャ・ローマ神話の変身譚を集めて、一つの大きな物語を詩にしたオウィディウス。天地開闢からカエサルの神化までをうたいあげる。
こうして変身する話ばかりを集めてみると、どういうときに変身するかというのはおおよそのパターンがあって、一つは悲しみや恐怖などが昂じて変身してしまうもの。もう一つは神々の感情によって変身させられてしまうもの、あるいは、死を避けさせるために別なものに神が変えてしまうこと、といったところで、一読していくと神話の中の悲しみや怒りといった感情の側面がクローズアップされてくる。
これを人間の心に当てはめてゆくならば、負の感情をドロドロの愛憎劇ではなく、なんらかの変容をもたらすことによって、巧みに収めているという様子が伺えて興味深い。
また、解説によれば、オウィディウスは恋愛に関する詩を書くのがうまかったというから、恋愛につきものの葛藤の解決としての変身というモチーフに興味を惹かれたのかな、などとも思う。
キリスト教が広まる前の古代、人々の心性は自然に神々を見、自然と自己との距離も近くに感じていたのだろうと想像する。これは日本の八百万の神に似てなくもないよなあ。
聖書とギリシャ・ローマ神話の2つのうち、後者の方が圧倒的に理解しやすいのである。聖書は読んだけどどうも腑に落ちる感じがしない。
砂漠を生きる人と緑豊かな土地で暮らす人の違いなのかもしれない。
オウィディウス 変身物語〈上〉 (ワイド版岩波文庫)
オウィディウス 変身物語〈上〉 (ワイド版岩波文庫)中村 善也

岩波書店 2009-09
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オウィディウス変身物語〈下〉 (ワイド版岩波文庫)
オウィディウス変身物語〈下〉 (ワイド版岩波文庫)中村 善也

岩波書店 2009-09
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ラベル:神話
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2010年11月07日

ビューティフル・マインド シルヴィア・ナサー

ゲーム理論でノーベル賞をとった数学者、ジョン・フォーブス・ナッシュ博士の半生を描いた伝記であるが、これが映画化され、原作でも全米批評家協会大賞受賞をとった、その中身はナッシュ博士の数奇な人生を丁寧に描いた点にあるのだと思う。
若い頃天才といわれ、青年期の終りに統合失調症に罹患、そして30年以上の長きに渡り病気で苦しんできたのだが、老年期に差し掛かる頃から徐々に回復の兆しが見えてきて、1994年ノーベル賞をとったときには、研究を再開し、普通の人と変わらない生活を送れるようになっていたのである。伝記はナッシュ博士の成し遂げてきたことと、病気のことをどちらも同じくらい力を入れて書いている。天才といわれるほどの業績も驚嘆に値するなら、ほぼ絶望的とまでいわれる統合失調症の妄想に苦しめられこのまま廃人として生涯を終えてもおかしくはなかったのに、そこからの回復もびっくりするくらいだ。
さて、私がこの本を読んで考えたのは、ナッシュ博士のことではなかった。
精神疾患といわれる病についてである。
誰かちょっと失念してしまったが、躁鬱病の周期のことをこんな風に述べてるのをどこかで見たことがある。それは、周期はいろんな長さがあるけれども、躁と鬱の周期が一生の長さになるものだったら?たとえば躁と鬱が70年周期で訪れるとしたらどうだろう?というようなこと。
精神疾患についてはまだわかってないことが多いと思う。統合失調症についても、一度発病してしまったら治ることはあまりないといわれている。だからナッシュ博士の症例も奇跡的だともいわれることもあるだろう。
しかしながら、博士がもし若くして生涯を終えたら?
統合失調症は平均寿命が短いといわれる。自殺のほかに身体への無感覚さが重病を察知することに遅れ、取り返しのつかないことになることが多いからだともいう。
もし、自殺を防ぐことができて、肉体的な病も定期健康診断などで早期発見ができるようになって、寿命が延びたとしたら、その寛解率(治癒とはあえて書かないが)はどう変化するだろう?
思うに、これらの病はじっくりと根気よくとりくんでいく必要があるのではないだろうか?急いで結論を出すことが間違いに繋がることもあるのではないか?
並大抵のサポートではないことはわかる。しかし、回復して晩年穏やかな生活を手に入れることができた人物がいたということは頭の片隅に置いておいてもいいのではないかと思うのである。
いや、twitterの話になるけど、精神疾患への偏見を助長するような書き込み(もう治らないとか)を目にしたことがあるんで、なんとなく憤慨しておったのだよ。
ビューティフル・マインド 天才数学者の絶望と奇跡
ビューティフル・マインド 天才数学者の絶望と奇跡シルヴィア ナサー 塩川 優

新潮社 2002-03-15
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star最高の伝記です。アイデアがいっぱいです。
star何をポイントとして読むかによりかなり変わってくる
starこんな人間が「ビューティフル」マインドの持ち主だって!? トンデモナイ

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ラベル:伝記
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2010年11月03日

修羅維新牢 山田風太郎

明治元年、江戸に入った官軍が何者かによって何人も殺害された。そんなとき、ある旗本の家に押し入ってた3人の官軍がその家の主人に斬られ、首は鼻をそがれた状態で送りつけられる。それに激怒した中村半次郎は、旗本を10人捕まえて、下手人が出てくるまで毎日一人づつ斬ってゆく、という恐るべき復讐に出たのであった。
本作は、そのあらすじの中に捕まった10人の旗本それぞれの人生を連作短篇のように組み入れて、一つの作品に仕上げたもの。
特に冒頭、明治元年の騒ぎと、太平洋戦争の終結を重ね合わせ、その類似性について触れている。山田風太郎の小説を読んでいると、あの戦争が原点になっていて、しばしば歴史上その類似性を指摘している箇所が見受けられる。著者は戦争を体験したがこれが新しいことでもなんでもなく、しばしば歴史に似た様な場面があることを、書かずにはいられなかったのかもしれない。それがあたかも日本人の癖なのであるといわんばかりに。
10人の旗本たちは決して立派な人間とはちょい傍目にみてもいえない。言い換えれば彼らも市井の平凡な人物たちであって、その欠点は誇張されてはいるがよく見受けられるものなのである。しかも、彼らは無作為に選ばれたものであって、この理不尽さは何かで見たことがある、と考えて、ああ、そうだ、あれは筒井康隆の「死にかた」ではなかったかと思い至ったのであった。
「死にかた」では鬼が会社のオフィスに現れて一人づつ殺していくという短篇。殺される前の社員たちの反応がそれぞれ違っていて、その様子が読みどころでもあるのだが、これと同じ発想ではあるまいか。また2人の発想の類似性を見つけてしまったぞ。
まあ、とにかく、理不尽に死んでしまう人のなんと多いことか。
そして、最後、山風は実に皮肉な結末を描く。このあたりも筒井さんの小説でいくつかお目にかかったような内容で、この二人の作家の人間観はなんとも恐るべきものがある。

ちくま文庫ででました。(2011.4.10追記)
修羅維新牢 山田風太郎幕末小説集(全4巻) 1回配本 (ちくま文庫 や 22-30)
修羅維新牢 山田風太郎幕末小説集(全4巻) 1回配本 (ちくま文庫 や 22-30)山田 風太郎

筑摩書房 2011-04-08
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修羅維新牢―山田風太郎傑作大全〈3〉 (広済堂文庫)
修羅維新牢―山田風太郎傑作大全〈3〉 (広済堂文庫)山田 風太郎

廣済堂出版 1996-06
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『死にかた』所収の文庫は今品切れなんだな
バブリング創世記 (徳間文庫)
バブリング創世記 (徳間文庫)筒井 康隆

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ラベル:明治
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2010年11月01日

春琴抄 谷崎潤一郎

春琴と彼女に徹底的に仕えた佐助という男の物語である。
朧たけた盲目の美女、というとそれだけでなにやら神秘的なかおりがしてくるのだが、彼女は保護欲をかきたてるというよりはその驕慢さと気位の高さゆえに佐助が徹底的に心酔した。
この内容からして、春琴の複雑な性格、佐助が春琴に惹かれてゆくその様などを徹底的に掘り下げて書くこともできただろうし、そうなったらそうなったでこれは日本の物語というよりはどこか西洋風の恋愛小説になるだろうとも思う。
しかし、著者はそうではなくて、春琴のことを書いた小冊子と、彼女たちを知る人物の話という観点から、彼ら2人の生活ぶりを描いていて、それが、なんともしれず美しく洗練された物語として立ち上がってくるのだ。
鶯の声を堪能する春琴。佐助を折檻する春琴。春琴の世話をする佐助。そして、春琴の美貌が傷つけられたときに、自らも盲目になった佐助。
後半はその佐助が盲目になってからの境地が描かれている。傍目からは不幸にみえる彼らの事件も、佐助にとってみれば崇める女性と同じ世界に入ることができたという喜び、以後、彼の世界は春琴を自らの観念の世界へと生きながらえさせる。これは「盲目物語」の語り部の境地である。
しかし、こうしてみると人を愛すること、それはその人をありのままの姿を愛することだという昨今の神話がなにやら薄っぺらく思えてしまう。
「たとえどんな姿になろうとあなたのことを愛している」
というのは春琴には耐えられない言葉なのである。それならばいっそ死んでしまったほうがいい。
佐助は、あえて盲目になることで事件の後の春琴の顔を見ないようにした。相手のキズに触れないこと。これもまた愛のひとつなのだろう。そして日本の美意識はこうしてあえて触れずにいるところで成り立ってるものが多いような気がする。
春琴抄 (新潮文庫)
春琴抄 (新潮文庫)谷崎 潤一郎

新潮社 1951-01
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star文学とは何か?
star単なるアブノーマルではない。佐助の中の崇高な「母性」
star美の陶酔

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ラベル:耽美
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